「ま、私も真帆が異動した後大阪支社内で成績アップしたし? お互いのために良かったんかもね」
けろりとした表情に変わる光莉さんを、私はすぐそばから見つめていた。
「とりあえず、二人とも。今日と明日は加勢よろしくお願いします」
宮沢さんが私たちに向かって丁寧に頭を下げる。光莉さんが「任せてー」とガッツポーズをする。そんな光莉さんに負けないように、私も気を取り直して頑張ろうと思った。
今日の私の主な仕事は、宮沢さんの営業同行。光莉さんは営業部長についていくとのこと。
早速宮沢さんとペアになり、一気に緊張感が増した。
「よろしくね、琴音ちゃん。今日は半分は新規営業だから、琴音ちゃんも大阪でやったことあるよね? 同じ感じで、頑張っていこう。ルートのほうも、思ったことがあったらどんどん発言していいよ」
「はい、分かりました」
半分は、というのは残りの半分はルート営業——つまり、もともと取引のある会社との商談なのだろう。新規営業はいわゆる飛び込み営業。飛び込みで顧客をゲットできる確率は低いけれど、ゼロなわけではない。それこそ、光莉さんなんかは新規営業が大得意な営業マンで、上司も顔負けの契約数を誇る。
営業マンの見た目から話し方で、売上も変わってくるのだ。プレッシャーを感じながらも、後で光莉さんに褒めてもらえるよう、今日は宮沢さんに良いところを見せるのだと意気込んだ。
……と、決意したのはいいものの、宮沢さんと外回りを開始して数時間。はっきり言って、今日の私は散々だった。
新規営業では緊張でどうしても早口になってしまい、とてもじゃないが、聞いている人からして信頼できるような営業になっていなかった。話しながら、だんだんと顧客の表情が曇っていくのを見て泣きそうになった。
「我が社のレトルト食品は、世界的にも有名なレストラン格付けガイドブックでも三つ星を獲得した店が監修をしているものもございまして……」
説明したいことが多すぎて、つい喋りすぎてしまう。
ああ、違うよな。
光莉さんの営業は、もっと言葉が少なかった。
そにもかかわらず契約を獲得できるのは、言葉を交わす以外の仕草や丁寧な態度が相手に伝わっているからだ。光莉さんは信頼できる人間で、光莉さんが背負っているポラリス食品も信頼できる。そう思わせるプロなのだ。
「あの、今日は突然、いろいろと話しすぎてしまい申し訳ございません。入り口のお花がとても可愛らしかったので、気になってご訪問させていただきました。お時間を割いていただき、ありがとうございました」
最後には逃げるようにしてそう言って、ぺこぺこと頭を下げる。花の話など関係がないのに、何か言わなければと思って、つい無駄な話をしてしまう。自分の中に引き出しの少なさを実感して、顔から火が出そうなほど、恥ずかしかった。
しかし、個人経営らしい小さな飲食店の店主は、「あら、あのお花、私の趣味なの」と曇り顔をぱっと煌めかせた。
「そうなのですね。素敵だと思います」
「ありがとう。初めて褒めていただけて嬉しいです」
営業のこと以外で感謝をされても、正直何にもならない。
私はつい笑顔が引き攣るのを感じて、「それでは失礼します」と飲食店を後にした。
私の斜め後ろに立っていた宮沢さんは、「惜しかったね」と慰めてくれる。
「惜しくはないですよ。本題には全然食いついていただけなかったので」
「はは、それはそうだけどね。新規営業なんてみんなそんなもんよ」
「そうなんでしょうか。でも宮沢さんや光莉さんは、新規営業も獲りますよね?」
「それはまあ、五年分の差があるからね。琴音ちゃんも経験を重ねていくうちにできるようになるよ、絶対!」
元気出して、と優しく背中を撫でてくれる宮沢さん。
こんなの、ずるいよ。
宮沢さんはあまりにも完璧で、非の打ちどころがない。せめて後輩に厳しい先輩だったら私の心も慰められたかもしれないのに、そんなことはまったくなかった。
後輩にも優しくて優秀な先輩。まさに、光莉さんの隣が似合う人。
胸にまた暗い影が落ちる。振り払うために社用スマホで時間を確認すると、帰社する時間が近づいていた。
「今日はこれで終わりね。事務所に帰りましょう」
「……はい」
結局私は最後まで宮沢さんの役に立つことも、新規営業で契約を獲得することもできずに札幌支社に戻ることに。
二人で社用車に乗った瞬間、運転席に座った宮沢さんのスマホが鳴った。
「あれ、営業部長からだ」
光莉さんと行動を共にしている部長からだと知って、私はぴょんと心臓が跳ねたような心地がした。
「はい、宮沢です」
宮沢さんが電話に出る。スピーカーにしているわけではないが、営業部長の切羽詰まった声がスマホから漏れ聞こえた。
『宮沢、大口顧客からクレームが来た。商品に金属片のようなものが混入していたようだ。商品を購入したお客様から連絡があったから、調べてくれと。もし事実なら100%、うちの過失だ。今すぐ事務所に戻って対応をお願いできないか?』
「え、は、はい! 今すぐ戻ります!」
捲し立てるような営業部長の言葉は完璧には聞き取れなかったけれど、宮沢さんの表情が一瞬にして真っ青に変わったのを見て、ただ事ではないと理解した。
宮沢さんが電話を切る。私の顔を見ることなく、アクセルを踏んだ。
「札幌で一番の大口顧客から、クレームが入ったの。一緒に事務所で対応を手伝ってくれるかな」
「わ、分かりました」
何がどうなっているのか、正直私には理解できない。でも、私以上に宮沢さんは混乱している様子だった。
「お役に立てるかどうか分かりませんが、精一杯頑張ります」
少しでもやる気のある人間だと思ってもらいたかった私は、決意を込めてそう口にする。
赤信号で、宮沢さんがはっと私の顔を見つめた。
「……うん、お願いね」
強張っていた頬のあたりがほっとしたように弛緩したのが見えた。だけどまた正面を向く頃には眉間に皺が寄っていた。
宮沢さんと、札幌支社のみなさんの役に立ちたい。
新人の私には何もできないのは分かっているけれど——宮沢さんや光莉さんが見ている世界を、私も見てみたいと思った。
けろりとした表情に変わる光莉さんを、私はすぐそばから見つめていた。
「とりあえず、二人とも。今日と明日は加勢よろしくお願いします」
宮沢さんが私たちに向かって丁寧に頭を下げる。光莉さんが「任せてー」とガッツポーズをする。そんな光莉さんに負けないように、私も気を取り直して頑張ろうと思った。
今日の私の主な仕事は、宮沢さんの営業同行。光莉さんは営業部長についていくとのこと。
早速宮沢さんとペアになり、一気に緊張感が増した。
「よろしくね、琴音ちゃん。今日は半分は新規営業だから、琴音ちゃんも大阪でやったことあるよね? 同じ感じで、頑張っていこう。ルートのほうも、思ったことがあったらどんどん発言していいよ」
「はい、分かりました」
半分は、というのは残りの半分はルート営業——つまり、もともと取引のある会社との商談なのだろう。新規営業はいわゆる飛び込み営業。飛び込みで顧客をゲットできる確率は低いけれど、ゼロなわけではない。それこそ、光莉さんなんかは新規営業が大得意な営業マンで、上司も顔負けの契約数を誇る。
営業マンの見た目から話し方で、売上も変わってくるのだ。プレッシャーを感じながらも、後で光莉さんに褒めてもらえるよう、今日は宮沢さんに良いところを見せるのだと意気込んだ。
……と、決意したのはいいものの、宮沢さんと外回りを開始して数時間。はっきり言って、今日の私は散々だった。
新規営業では緊張でどうしても早口になってしまい、とてもじゃないが、聞いている人からして信頼できるような営業になっていなかった。話しながら、だんだんと顧客の表情が曇っていくのを見て泣きそうになった。
「我が社のレトルト食品は、世界的にも有名なレストラン格付けガイドブックでも三つ星を獲得した店が監修をしているものもございまして……」
説明したいことが多すぎて、つい喋りすぎてしまう。
ああ、違うよな。
光莉さんの営業は、もっと言葉が少なかった。
そにもかかわらず契約を獲得できるのは、言葉を交わす以外の仕草や丁寧な態度が相手に伝わっているからだ。光莉さんは信頼できる人間で、光莉さんが背負っているポラリス食品も信頼できる。そう思わせるプロなのだ。
「あの、今日は突然、いろいろと話しすぎてしまい申し訳ございません。入り口のお花がとても可愛らしかったので、気になってご訪問させていただきました。お時間を割いていただき、ありがとうございました」
最後には逃げるようにしてそう言って、ぺこぺこと頭を下げる。花の話など関係がないのに、何か言わなければと思って、つい無駄な話をしてしまう。自分の中に引き出しの少なさを実感して、顔から火が出そうなほど、恥ずかしかった。
しかし、個人経営らしい小さな飲食店の店主は、「あら、あのお花、私の趣味なの」と曇り顔をぱっと煌めかせた。
「そうなのですね。素敵だと思います」
「ありがとう。初めて褒めていただけて嬉しいです」
営業のこと以外で感謝をされても、正直何にもならない。
私はつい笑顔が引き攣るのを感じて、「それでは失礼します」と飲食店を後にした。
私の斜め後ろに立っていた宮沢さんは、「惜しかったね」と慰めてくれる。
「惜しくはないですよ。本題には全然食いついていただけなかったので」
「はは、それはそうだけどね。新規営業なんてみんなそんなもんよ」
「そうなんでしょうか。でも宮沢さんや光莉さんは、新規営業も獲りますよね?」
「それはまあ、五年分の差があるからね。琴音ちゃんも経験を重ねていくうちにできるようになるよ、絶対!」
元気出して、と優しく背中を撫でてくれる宮沢さん。
こんなの、ずるいよ。
宮沢さんはあまりにも完璧で、非の打ちどころがない。せめて後輩に厳しい先輩だったら私の心も慰められたかもしれないのに、そんなことはまったくなかった。
後輩にも優しくて優秀な先輩。まさに、光莉さんの隣が似合う人。
胸にまた暗い影が落ちる。振り払うために社用スマホで時間を確認すると、帰社する時間が近づいていた。
「今日はこれで終わりね。事務所に帰りましょう」
「……はい」
結局私は最後まで宮沢さんの役に立つことも、新規営業で契約を獲得することもできずに札幌支社に戻ることに。
二人で社用車に乗った瞬間、運転席に座った宮沢さんのスマホが鳴った。
「あれ、営業部長からだ」
光莉さんと行動を共にしている部長からだと知って、私はぴょんと心臓が跳ねたような心地がした。
「はい、宮沢です」
宮沢さんが電話に出る。スピーカーにしているわけではないが、営業部長の切羽詰まった声がスマホから漏れ聞こえた。
『宮沢、大口顧客からクレームが来た。商品に金属片のようなものが混入していたようだ。商品を購入したお客様から連絡があったから、調べてくれと。もし事実なら100%、うちの過失だ。今すぐ事務所に戻って対応をお願いできないか?』
「え、は、はい! 今すぐ戻ります!」
捲し立てるような営業部長の言葉は完璧には聞き取れなかったけれど、宮沢さんの表情が一瞬にして真っ青に変わったのを見て、ただ事ではないと理解した。
宮沢さんが電話を切る。私の顔を見ることなく、アクセルを踏んだ。
「札幌で一番の大口顧客から、クレームが入ったの。一緒に事務所で対応を手伝ってくれるかな」
「わ、分かりました」
何がどうなっているのか、正直私には理解できない。でも、私以上に宮沢さんは混乱している様子だった。
「お役に立てるかどうか分かりませんが、精一杯頑張ります」
少しでもやる気のある人間だと思ってもらいたかった私は、決意を込めてそう口にする。
赤信号で、宮沢さんがはっと私の顔を見つめた。
「……うん、お願いね」
強張っていた頬のあたりがほっとしたように弛緩したのが見えた。だけどまた正面を向く頃には眉間に皺が寄っていた。
宮沢さんと、札幌支社のみなさんの役に立ちたい。
新人の私には何もできないのは分かっているけれど——宮沢さんや光莉さんが見ている世界を、私も見てみたいと思った。



