青と白の境目は混ざり合って、霞んでいた。
雲海の水平線はわずかに弧を描いていて、地球は本当に丸いのかもしれないと初めて実感した。
「ねえー、琴音、イヤホンどこにあるか知らへんー?」
隣から光莉さんの声が飛んでくるのも聞こえないぐらい、飛行機の車窓から見える初めての景色に心を奪われていた。
「どこにあるんやろ〜……」
ガサガサと座席の周辺を探るような音がして、ようやく光莉さんのほうを見た。
「あ、あった!」
屈んで起き上がった光莉さんの手に、白い有線のイヤホンが握られている。
「前の座席の下に落ちとったみたい」
「見つかってよかったです」
もし見つからなくても、私のイヤホンを貸してあげたのだけれど。一度も使わずに、前の座席の背のポケットに収納したままにしているイヤホン。大阪から札幌まで約二時間のフライトで、イヤホンで世界の音を遮断するのがもったいないと感じてしまっていた。
「琴音はせえへんの? 映画とかほら、たくさんあるのに」
前方に設置されたモニターの画面を指で操作しながら光莉さんはイヤホンを装着する。
「はい。私、飛行機初めてなので、外の景色を堪能したいんです」
「え⁉︎ 初めてなん?」
「はい」
「そおか〜。この会社おったら何回も出張あるし、これから飽きるぐらい乗ることになるで」
「それでも、初めてだから嬉しいんです。それに……」
光莉さんと——尊敬する先輩と一緒だから。
なんて、口には出せない。光莉さんは「なに?」と小動物のように首を傾げた。
「なんでもないです」
恥ずかしくなって、視線を逸らす。左腕に温かいものが触れた。光莉さんの手が当たっただけなのに、こそばゆくてぽっと顔が赤らむ。
「今回は札幌やしね。札幌出張はレアやで。梅雨が明けて本州はほんまに暑いし、初めての出張が札幌でラッキーガールやね、琴音は」
「それはそうかもしれません。札幌、楽しみです」
「私も楽しみやで!」
光莉さんがくふふっと笑う。私より五歳年上の光莉さんが屈託のない笑顔をするのを見るのが、たまらなく好きだ。
食品メーカーであるポラリス食品に新入社員として入社してまだ三ヶ月。引っ込み思案な私は最初、とても緊張していた。営業部で、愛媛県出身の私には馴染みのない大阪支社に配属された時は大丈夫かと不安だったが、教育係の光莉さんが私の未来を明るく照らしてくれた。
光莉さんは大阪支社営業部の数少ない女性社員の一人。さらに毎月表彰されるトップセールス10に度々ランクインしている実力の持ち主。社交的で男性社員にもずばずば意見を言うところに、憧れを抱く後輩たちは少なくなかった。
そんな先輩が教育係になってくれたことで、私は慣れない社会人生活を楽しみながら送ることができている。
光莉さんは私の憧れの人だ。
「光莉さん。私、札幌でおいしいご飯屋さんを調べてきたんです。よかったら夜ごはん、一緒に行きませんか?」
「ええ、ほんまに? うわあ、すごい。シゴデキ! さすが琴音!」
スマホにリストアップした「行きたいご飯屋さん一覧」のメモを見せると、光莉さんの目が爛々と輝いた。
「お寿司屋さんに味噌ラーメンに、ジンギスカンに海鮮丼に……って、全部おいしそうやなぁ!」
「ちょっとたくさんリストアップしすぎましたかね?」
「なに言うてるの。リストアップは新規営業の基本やんか。きちんと私の教えを守ってえらい!」
子どもをあやすように褒めちぎる光莉さんに、私は素直に照れてしまう。
「気になるお店、ありますか?」
「ええっとぉ……こりゃ迷うな。そうねえ……」
光莉さんが真剣に考え始める。その姿にきゅんとしてしまう。
「ここはどう? スープカレーの店」
「ああ、ここ! 私も一番行きたかったんです」
光莉さんがチョイスしてくれたスープカレーの店は、毎日行列ができるほどの人気店らしい。毎時間は長いかもしれないが、コクのあるスープと濃厚なカレーがとてもおいしいのだと評判だった。野菜もお肉もたっぷりで、これぞ北海道名物という感じ。
「行列ができるって書いてあんねんけど、大丈夫?」
「私は大丈夫です! おいしいものを食べるためなら、少しぐらい我慢できます」
「そうやんな! 私も同じ」
光莉さんと意見が合って、不意の喜びが全身を駆け巡る。
「仕事やけど、なんや旅行気分やな」
「光莉さんもですか?」
「うん。いつもは仕事だー! って感じで行くけど、今日は二人やからかな。相手が琴音やからかも」
琴音やから。
光莉さんの本心なのかどうかは分からないけれど、そんなふうに思ってもらえるなら純粋にとても嬉しい。
新人が出張で「旅行気分」だなんて言ったら怒られるような気がして言えなかったが、実は私も同じような気持ちだった。
「ほな、ひとまず仕事は頑張ろう。札幌支社のメンバーのことも紹介するわ。仕事が終わったらそのスープカレー屋さんにGOやね」
「はい。楽しみです。今日はよろしくお願いします」
一泊二日の札幌出張。最初はどうなることかと心配していたが、光莉さんと二人で飛行機に乗った瞬間、ふわふわと浮き立つような心地がして、一気に楽しみが膨らんだ。名店にも行けるとなれば、頑張らない理由はない。
飛行機は私たちを北国へと連れて行ってくれた。
雲海の水平線はわずかに弧を描いていて、地球は本当に丸いのかもしれないと初めて実感した。
「ねえー、琴音、イヤホンどこにあるか知らへんー?」
隣から光莉さんの声が飛んでくるのも聞こえないぐらい、飛行機の車窓から見える初めての景色に心を奪われていた。
「どこにあるんやろ〜……」
ガサガサと座席の周辺を探るような音がして、ようやく光莉さんのほうを見た。
「あ、あった!」
屈んで起き上がった光莉さんの手に、白い有線のイヤホンが握られている。
「前の座席の下に落ちとったみたい」
「見つかってよかったです」
もし見つからなくても、私のイヤホンを貸してあげたのだけれど。一度も使わずに、前の座席の背のポケットに収納したままにしているイヤホン。大阪から札幌まで約二時間のフライトで、イヤホンで世界の音を遮断するのがもったいないと感じてしまっていた。
「琴音はせえへんの? 映画とかほら、たくさんあるのに」
前方に設置されたモニターの画面を指で操作しながら光莉さんはイヤホンを装着する。
「はい。私、飛行機初めてなので、外の景色を堪能したいんです」
「え⁉︎ 初めてなん?」
「はい」
「そおか〜。この会社おったら何回も出張あるし、これから飽きるぐらい乗ることになるで」
「それでも、初めてだから嬉しいんです。それに……」
光莉さんと——尊敬する先輩と一緒だから。
なんて、口には出せない。光莉さんは「なに?」と小動物のように首を傾げた。
「なんでもないです」
恥ずかしくなって、視線を逸らす。左腕に温かいものが触れた。光莉さんの手が当たっただけなのに、こそばゆくてぽっと顔が赤らむ。
「今回は札幌やしね。札幌出張はレアやで。梅雨が明けて本州はほんまに暑いし、初めての出張が札幌でラッキーガールやね、琴音は」
「それはそうかもしれません。札幌、楽しみです」
「私も楽しみやで!」
光莉さんがくふふっと笑う。私より五歳年上の光莉さんが屈託のない笑顔をするのを見るのが、たまらなく好きだ。
食品メーカーであるポラリス食品に新入社員として入社してまだ三ヶ月。引っ込み思案な私は最初、とても緊張していた。営業部で、愛媛県出身の私には馴染みのない大阪支社に配属された時は大丈夫かと不安だったが、教育係の光莉さんが私の未来を明るく照らしてくれた。
光莉さんは大阪支社営業部の数少ない女性社員の一人。さらに毎月表彰されるトップセールス10に度々ランクインしている実力の持ち主。社交的で男性社員にもずばずば意見を言うところに、憧れを抱く後輩たちは少なくなかった。
そんな先輩が教育係になってくれたことで、私は慣れない社会人生活を楽しみながら送ることができている。
光莉さんは私の憧れの人だ。
「光莉さん。私、札幌でおいしいご飯屋さんを調べてきたんです。よかったら夜ごはん、一緒に行きませんか?」
「ええ、ほんまに? うわあ、すごい。シゴデキ! さすが琴音!」
スマホにリストアップした「行きたいご飯屋さん一覧」のメモを見せると、光莉さんの目が爛々と輝いた。
「お寿司屋さんに味噌ラーメンに、ジンギスカンに海鮮丼に……って、全部おいしそうやなぁ!」
「ちょっとたくさんリストアップしすぎましたかね?」
「なに言うてるの。リストアップは新規営業の基本やんか。きちんと私の教えを守ってえらい!」
子どもをあやすように褒めちぎる光莉さんに、私は素直に照れてしまう。
「気になるお店、ありますか?」
「ええっとぉ……こりゃ迷うな。そうねえ……」
光莉さんが真剣に考え始める。その姿にきゅんとしてしまう。
「ここはどう? スープカレーの店」
「ああ、ここ! 私も一番行きたかったんです」
光莉さんがチョイスしてくれたスープカレーの店は、毎日行列ができるほどの人気店らしい。毎時間は長いかもしれないが、コクのあるスープと濃厚なカレーがとてもおいしいのだと評判だった。野菜もお肉もたっぷりで、これぞ北海道名物という感じ。
「行列ができるって書いてあんねんけど、大丈夫?」
「私は大丈夫です! おいしいものを食べるためなら、少しぐらい我慢できます」
「そうやんな! 私も同じ」
光莉さんと意見が合って、不意の喜びが全身を駆け巡る。
「仕事やけど、なんや旅行気分やな」
「光莉さんもですか?」
「うん。いつもは仕事だー! って感じで行くけど、今日は二人やからかな。相手が琴音やからかも」
琴音やから。
光莉さんの本心なのかどうかは分からないけれど、そんなふうに思ってもらえるなら純粋にとても嬉しい。
新人が出張で「旅行気分」だなんて言ったら怒られるような気がして言えなかったが、実は私も同じような気持ちだった。
「ほな、ひとまず仕事は頑張ろう。札幌支社のメンバーのことも紹介するわ。仕事が終わったらそのスープカレー屋さんにGOやね」
「はい。楽しみです。今日はよろしくお願いします」
一泊二日の札幌出張。最初はどうなることかと心配していたが、光莉さんと二人で飛行機に乗った瞬間、ふわふわと浮き立つような心地がして、一気に楽しみが膨らんだ。名店にも行けるとなれば、頑張らない理由はない。
飛行機は私たちを北国へと連れて行ってくれた。



