風に舞う桜吹雪。
景色は淡い桃色から新緑の映える季節へと移ろうとしていた頃。
一つの屋敷で穏やかではない話が展開されていた。
「…逃げた、という事か?」
人里離れた山を丸々一つ買い、麓に建てた屋敷は帝都一の大きさを誇る。
その屋敷の主人であり、『精神干渉』という特殊異能を持つ現代当主、能見 隆臣が氷のように冷たく言い放った。
「…先方から連絡がありました。昨日買い物へ出掛けたまま、お戻りにならないそうです。道にでも迷われたのでしょうか。はは…」
今日は縁談の日だった。
家紋の入った正装に身を包み、婚約者を迎える準備は整っている。
だが、待てど暮らせど相手は現れない。
家臣が異能を使い、家に事情を尋ねると昨日から行方をくらませているという事実をそのまま隆臣に伝えた。
言葉を濁す家臣に、息を漏らす隆臣。
これは、初めての事ではない。
「…駆け落ちでもしたのだろう。娘が来ないのなら、金の話は勿論なしだと伝えておけ」
立ち上がると、堅苦しい着物から着替える為に客間から出ようとした。
「かしこまりました。ところで、当主様」
それを、家臣が呼び止めると隆臣は視線を向けた。
「ーー何だ」
慣れてはいても、会う前から逃げられるのは初めての事。
家臣の言葉に反応するのが遅れた。
「この状況で申し上げにくいのですが…次の縁談、藤代家へ申し込む話は…進めてよろしいでしょうか?」
「あぁ。すぐに進めろ」
「かしこまりました」
隆臣の言葉を聞けば立ち上がり、客間を後にした。
廊下に出て、自室へ向かう途中、隆臣は眉間に指を当てて頭を悩ませた。
隆臣は、二十四歳という若さで、異能犯罪を取り締まる特殊能力監獄隊隊長に上り詰めた。
歴代最強の『精神干渉』を持ち、『血を流さない戦いの先駆者』と呼ばれる男。
街を歩けば誰もが振り返る端正な顔立ちと、軍人らしく鍛え上げられた身体。
地位、名誉、財力、容姿ーー誰もが羨むものを持ちながら、ただ一つだけ恵まれないものがあった。
それが、縁談である。
隆臣はその理由を知っていた。
それは、隆臣の異能ーー『精神干渉』の呪術。
『相場の3倍の結納金を下さると言うから行ってみたけれどーーあんなの生贄よ。あの当主ーーバケモノだもの。気味が悪い。まっぴらごめんだわ』
背中に刻まれた呪術はーーまるで、生き物のように蠢く。
火傷のように見え、内臓が飛び出しているようにも見えてしまう。
どれだけ金を積まれても、逃げ出してしまう。
「早く…早く結婚しなければ。俺の命はーーそう長く持たないだろう」
隆臣は家紋の刺繍をぎゅっと握りしめた。
『精神干渉』ーーそれは、人の心を読んだり、操るという神のような存在になれる異能。
ただ、この異能には『制限』がある。
二十五歳までに、婚姻しなければ呪術により命尽きるーー。
残された時間は、あと一年もないーー。
何度破談を繰り返されたとしても、当主は見合いを続けるのであった。

