ワケアリ当主様との契約結婚 〜生贄婚と呼ばれる治安軍最強の軍神の元で、本当の愛を知りました〜


「高園っ…高園は来ていないか…!?」

肩で息をしながら紬達に尋ねる隆臣。

「高園…? 隆臣さん、一緒にいたでしょう?」

摩耶がそう尋ねると、隆臣は唇を噛み締めた。

「そうですが、高園が厠へ行くと言ったまま出て来ず、他の方に尋ねたら…中にはもう、誰もいないらしく…」
「…なんですって?」

隆臣の言葉に、摩耶の視線が鋭くなった。

「隆臣さん。高園に異能を使っていなかったの?
鬼陰の血があったとしても、彼女とは意思疎通できるはずでしょう?」
「申し訳ありません。さすがに、厠へ入った女性に異能を使うのは…」
「摩耶ちゃん。僕も隆臣の気持ちが分かる。そんな時に、異能なんて使えないよ」

所在を掴めないと言う隆臣に、唇をワナワナと震わせる摩耶。
しかし、それを一臣が付け加えれば摩耶はそれ以上言う事はなくグッと堪えた。

「高園さんが…うそ…」

紬が声を震わせた。
高園は、自分の身代わりとして危険な目に遭っているのかもしれない。
そう思うだけで、胸が締め付けられた。

「わ、私…高園さんを、探して…きますっ…!」

よろよろとした足取りで扉の方へ向かった。

「待てーー」
「お待ちなさい。紬ちゃん」

隆臣が引き止めるよりも先に、摩耶が立ちはだかった。
優しい摩耶が一変した。

「マ…ママ様…っ」
「みんな、貴女を守るために動いているの。それなのに、守られる貴女に何かあったら…高園の気持ちを踏み躙るようなものではなくって?」

厳しい言葉ではあるが、愛を持って諭した。

「で、でもっ…このままじゃ、高園さん…!」

小さく首を横に振れば、摩耶が優しく微笑んだ。

「…今、高園に何かあったような言い方をしてしまったけれど、それはあくまで最悪の可能性。高園だもの、きっと…お腹が空いて、他の方に混じって立食しているわ」

優しく紬の背中を撫でる摩耶。

「だから、ほらーー座ってお待ちなさい」
「っ…」

紬にそっと付き添う摩耶。
しかしーー事態は最悪な方へ傾いていた。

「へぇ…必死になって守ろうとした者がいるというのに、ここでは優雅にお茶会か。随分と図太くなったね、紬」

開いたままの扉から控室を覗く一真。
胡散臭い笑みを浮かべている。

「っ、誰だ!」

隆臣がギロリと睨みつけ、間合いをとった。
癖で腰に手を回すけれどーー今日は刀を持っていない。

「俺は九条一真。能見家当主が横取りした紬の縁談相手ですよ」
「は…? 横取り…?」

身に覚えのない話に顔をしかめる隆臣。
隆臣の表情にククッと喉を鳴らして笑い、紬に視線を向ける一真。

「そうだろう? 紬。キミは俺と結婚の約束をしていたんだから」
「紬ちゃん…? あの男は、何を言っているの?」

紬が答えるよりも先に、一真の問いに反応するのは摩耶。
紬は答えるのが怖かった。
もし、隆臣と出会う前に一真に心惹かれていたこと――一真との結婚だけを心の頼りに、辛い日々を超えていたと知られてしまったら。
その不安からドレスをぎゅっと握った。

「ん-! んん-っ!」

答えずに視線を落としていたら、女性が何かを叫びたそうにしている声が聞こえた。
視線を上げると、口にタオルを噛ませられ、手を後ろで拘束されている高園がいた。

「っ…高園、さん…!?」
「っ、ぷはっ…! 奥様! この男の言葉に耳を傾ける必要はありません! 奥様の妹と一緒にこの催しに来たくせにっ…! 奥様達の邪魔をしたら――噛み殺してやるっ!」

顔を左右に動かした力でタオルをずらすと、一真を睨みつけながら言い放つ高園。

「はぁ…本当に野蛮だな。鬼陰の血を継ぐ者というのは…皆が被害に遭っている中、命乞いをして血を受け継いだと言われる卑怯で穢れた血だろう」
「っ…!」

一真の言葉に高園は何も言えなくなった。
今は異能者の特殊な結界があるため、街中で鬼陰がいるということは滅多にない。
けれど、そうなる前――数百年前は鬼陰による被害が多かった。
鬼の血が混ざると、死に至っていた人々は何千人といる。
そして、それに唯一適合したのが高園一族だった。
人間離れした身体能力を得て、身一つで戦えるほどの強靭な肉体を持つようになり、軍人として国に仕える者が増えて名の価値を上げてきた。

けれど、鬼陰の血が適合したことを命乞いして生き延びた卑怯な一族と思っている人々は、少なくない。

「貴様っ…!」

隆臣が目を吊り上げて凄んだ。
その瞬間だった――。

「やめてください…! 高園さんを…私の大切な人をそのように侮辱するのは!」

声を大きく張り上げ、目に涙を溜める紬。
その声に、高園も紬を見た。
高園はぽろり――一筋の涙を流した。

「すまない。でも、紬…キミが悪いんだ」
「私が…?」

紬が聞き返すと、こくりと頷く一真。

「キミが約束を破らず、俺の元へ嫁いでいれば――街中に鬼陰が蔓延ることも、この鬼陰の血を持つ娘が捕らわれることも、能見家が動くことなかったんだ」
「私が…」

街に現れた鬼陰は、一真が起こしたものだった。
一真の父、孝蔵は能見家がトップに立ち、九条家の立場に不満を持っていた。
そこで、国に勘付かれないようにひっそりと研究を重ねていた。
彼らの持つ傀儡の異能を使って――国家の転覆を起こせないか、と。
紬の無効を傀儡へ宿すことができれば、あらゆる異能を打ち消す――本物の鬼陰と同じ性質を持たせられる。
孝蔵が造った未完成の鬼陰でも、十分な脅威になると自信を得た。

「まぁ、鬼陰はキミの力がないから、異能が効かないという本来の力にはならなかったけれど、あれでも十分だったよ。見たかい? 国民のあの…間抜けな顔を」

あの日の出来事を、まるで楽しむかのように話す一真。

(私は…こんな人に想いを募らせていたの…?)

あの頃、彼だけを希望だと思っていた自分が、ひどく遠い存在に思えた。

「キミがここにいたら、能見家の人達は異能なんて使えない。異能が取り柄な一族、なのにね? キミが邪魔をしているんだよ」

一真の言葉で、紬は考えるよりも先に一歩、また一歩前に進んだ。

「紬っ…!」

しかし、それを隆臣が許すはずがない。
隆臣の前に出た紬の手首をぎゅっと掴んだ。

「――旦那様。私、少し…長い夢を見ていたようです」
「は…?」

言葉の意図が読めない隆臣が声を漏らす。
その声は、か細く、華奢な体は震えていた。

「私は、ここにいるべき人間ではなかった。けれど、旦那様と過ごすうちに…隣にいても良いのかなって、思ってしまいました」
「おい…何を申している」

手首を握る力が強くなってしまう。
傷つけたくない、痛い思いなんてさせたくない。
それは、常に思っていたけれど――少しでも力を緩めてしまえばこの手が離れてしまう。
そんな気持ちで緩めることができなかった。

「旦那様――お約束、守れなくて…申し訳ありません。けれど、旦那様なら私なんかよりもずっと…素敵な奥方様が来てくれますから」
「紬、何を――っ」

彼の背中の呪術を消すのは、自分だと思っていた。
けれど、そんなこと――おこがましい。
自分にこれほど良い思いをさせてくれた彼が、他の誰かを幸せにできないわけがない。
無能と呼ばれ、これほど能見家に迷惑をかける自分よりも、きっと――。

そんな想いが胸いっぱいになると、もう止まらない。
最後に見せるのは、笑顔でありたかった。
けれど――そう思いながら紬は振り返った。





「愛しています、隆臣さん。長い夢を見させてくれて――ありがとうございました」

ポロポロと流れる涙。
けれど、泣くばかりはダメーーそう思って、笑うけれど、上手く笑えているでしょうか。

隆臣が目を見開き、手が緩む。

きっと――分かってくれましたよね。

そう思い、ゆっくりと手を引いて振り返り一真の元へ歩みを続けた。





☆☆☆

(何を――しているんだ。俺は…)

高園が一真達に捕まり、腰には刀を携えていない。
今日、誰かが行動を起こすということは予想できていたけれど、催しに軍服で参加はしても刀を持つわけがない。
警備を担当しているわけでもないのだから。
どうすれば全員を救い出すことができる――その考えで頭の中はいっぱいだった。

そして、そうしているうちに一真が言葉巧みに紬の心を痛めつけていく。
挙句――。

「愛しています、隆臣さん。長い夢を見させてくれて――ありがとうございました」

ポロポロと流れる涙。
彼女の涙を見て、狼狽える自分がいた。
そして、あれほど離さないと思っていた手を緩めてしまった。
その結果――やはり、彼女は手を離れてしまった。
その表情は、自分を責めて、この場にいる全員を守るためという思いがひしひしと伝わった。

やはり、紬は――。

「うん。賢いね、紬。お前ら、その娘を離してやれ」
「えっ…でも…」

不安をあらわにする一族達。

「彼女はそのつもりで連れてきた。それに、心配するな。こちらには――」

泣いている紬の肩を抱き、一真は満足そうに口を開いた。

「最強の守りがいる。たとえ、能見であろうと…もう怖いものはない」

紬がいいわけではない。
紬の『異能』が、欲しいのだ。

「そうですか…ほら」

一真の指示を受け、後ろで手を拘束されている高園を突き飛ばして解放する一族。

「っ!」

転び、痛みで顔を歪める高園。

「高園っ…」

すぐに駆け寄る摩耶。

「高園さんっ…」

心配そうに見つめる紬。
解放されてすぐ、高園は紬を見上げた。

「奥様っ…! どうして! ずっと! …ずっと、能見家にいるって…! そう、約束したじゃないですかっ!」

紬が初めて能見家へやって来た日から、高園は彼女を気に入っていた。
低姿勢で親切で、年も近い。いつしか付き人というより、友人のように思うようになっていた。
年が近いこともあり、友人のように思えていた。
そんな彼女が、自分のために離れるのではないかと思うと高園には耐えられなかった。

「っ…申し訳、ありません…高園さん…」

これ以上、自分のせいで大切な人達が傷つくところを見たくなかった――紬の表情はそれを物語っており、高園はただ目を見開くだけで何も言えなくなった。

「さ、行こう。紬。車を呼んでいる。いやぁ、それにしてもよかったね? まだ、十七歳だから、戸籍を汚すこともなかったじゃないか」

機嫌よくニコニコと話す一真。

しかし、一真の後方で男の怒号が飛んだ。

「なんだとぉ!? お前、もう一回言ってみろ!」
「は…はぁっ!? 俺、何も言っていない!」

一真の取り巻きとなっていた一族同士がもめ始めたのだ。
先に怒号を飛ばした男が、襟元を掴めば、掴まれた方も怒り殴り合いの喧嘩にまで発展した。

「…まったく、何をしているんだか。ほら――っ!?」

一真が仲裁に入ろうとしたら、今度は別方向から揉める声が響く。
彼らが仲間割れをし始めたのだ。

「な…なんだ…!?」

突然の出来事に戸惑いの声をあげる一真。
揉めはじめる前は、何も言っていなかったはず――まさか。
そう思い、隆臣に視線を向ける一真。
すると、隆臣の瞳が鋭く細められている。

「なっ…! 紬がいるのに、どうして…!」
「お前に応える筋合いはない――そして、紬」

混沌としている場で、一真から紬に視線を移す隆臣。

「お前は俺の花嫁だ。他の誰かで務まるわけがない」

ふっと軽く笑い、紬に手を伸ばす。

「旦那様…」

自分から離した手だが、もう一度彼の手を握ろうと腕を伸ばした。
けれど。

「ふざけるな! こんなこと…っ! 来い! 紬!」
「きゃっ…!」

一真が力任せに紬を引っ張り走り出した。

「紬――っ!」

すぐに追いかけようとする隆臣。
しかし、一真の取り巻きだった一族の揉め事に足止めを食らってしまう。
紬の背中がどんどん遠くなってしまう。

(くそ…! コントロールを間違えたか…!)

精神干渉により、彼らの頭に直接語り掛けたことで引き起こした揉め事。
本来の彼であれば、このような事態は避ける――それが『血を流さない戦法の先駆者』と言われる隆臣の手法。
けれど、目の前で大切な人を奪われそうになる今――そこまで考えられなかった。
冷静沈着な隆臣を乱す『紬』という存在に、心は揺れ動く時ばかり。

「隆臣さん。少し下がっていなさい」
「母上――」

隆臣の隣に摩耶が立つと、手のひらを彼らに向けた。
すると、すさまじい勢いで旋風が巻き起こった。
その旋風により、男たちは山のように一か所に積みあがる。

「っ!?」

摩耶の本気の異能にぎょっとする隆臣。

「隆臣さん。私は、紬ちゃんと話したいことがたくさんあるのだけれど――それより、あなたに話さなければならないことができてしまったわ」
「そうだね。僕も、夫婦としての在り方をもっと言っておくべきだと反省したよ」
「父上まで…」

隆臣の背中を押し、追いかけるように促す。

「行きなさい。隆臣」

隆臣は迷わず、その背中に紬を託した。

「あなた。ここは――私達に任せてもらえないかしら?」
「えっ? そんな危ない事――と、言いたいけれど、そんなことは言ってられないね」

摩耶以上に燃え上がる存在、それは――。

「旦那様の方針を慮っていましたが、覚悟してください! 絶対、許しませんから!」

怒りを露わにした高園が男たちに突っ込んでいった。

☆☆☆

「っ…いた…いっ…」

力任せに一真に腕を引かれ、紬が苦悶の声を上げる。

「うるさい! 勝手なことをしたからだろう!」
「っ…」

一真からは藤代家に遊びに来ていた時のような優しさは、もう微塵もなかった。
一真が呼んだ車のところまで来ると、中から勢いよくドアが開いた。

「っ…!」
「お姉様、先程ぶりね。さっきは――よくもやってくれたわね」

中に乗っていた華乃がギロリと鋭く紬を睨みつける。
しかし、紬には心当たりがなく動揺した。
さらに、華乃の隣には桂子がいて、紬の姿を見るなり、面白くなさそうに顔をしかめた。

「あら…随分と良いドレス。能見家の当主も見る目がないのね。どんな男にも媚びを売るような売女に騙されて、こんな高いものを貢いだなんて」

クスクスと嫌な笑顔を浮かべる桂子。
車の中は、藤代家の嫌な空気で充満していた。

(でも…私にはもう、これしか…)

「早く乗るんだ!」

感傷に浸る間もなく、一真に責め立てられれば諦めて車に乗り込もう――と、した瞬間。

「待て! 紬!」
「えっ…」

背後から聞こえた声に振り返る。
そこには、肩で息をしてじんわりと汗をかいている隆臣。
普段の姿からは、まるで想像できない彼だった。

「チッ…しつこい男だ…紬!」
「きゃっ!」

隆臣の姿を見ると、紬の体を自分の前に置く一真。

「っ…!」

その姿に、隆臣は言葉を失った。

「お前も知っているだろう! 紬の異能があれば、例え能見の異能であろうとも…恐れることはない!」

勝ちを確信する一真。
紬に異能が効くことはない。
けれど――隆臣は、異能を一真に向かって放つのに抵抗があった。
目を泳がせ、躊躇う表情を一瞬だけ見せた隆臣を――紬は見逃さなかった。

「っ、旦那様…! 構いません…異能を、使ってください!」
「いや、しかし…!」

高園の心の声が聞こえた以上、無効に何らかの変化が起きている。
それは、他の者が異能を使うのに有利である。
けれど、それがもし――紬へも影響を与えているものだとしたら。
隆臣の異能で、紬が傷つく未来を想像した。

「私はもう――大丈夫です」

あなたのためなら――。

言葉には出さないけれど、そう言っているような気がして隆臣の決意は固まった。
一真に向けて手のひらを向け、目を細める。

「はっ! 紬がいるから、異能なんて――うああああああっ!!」

効くわけがない。
そう高をくくっていたが、隆臣の異能が一真の精神を侵食していく。
雄たけびを上げれば、紬を抱えている場合ではなく力任せに突き飛ばした。

「ひゃっ…!」
「紬っ!」

突き飛ばされて転びそうになる紬をしっかりと抱き締める隆臣。

「――もう、絶対にこの手は離さない」
「っ…はいっ…」

一度離してしまった手を、体ごと受け止められると紬も背中に腕を回してぎゅっと抱き着いた。

「ちょっと、一真! 何をしてるのよ!」

車に乗っていた華乃が降りると、一真に近づく。
しかし、一真は頭を押さえたままうずくまっている。

「えっ…? か、一真…?」

尋常でない様子の彼に戸惑う華乃。
そして、そこへぞろぞろと人影が集まった。

「お前達! 今のは、異能使用未許可の疑いで拘束する! さらに、先日の鬼陰騒動で調査命令が下った!」

天草を筆頭とした治安軍がテキパキと彼らを捕らえていく。

「えっ…えぇっ!?」
「ちょっと! 私は関係ないわよ!」

一真が呼んだ車を治安軍が囲う。
今日のために、隆臣が治安軍の警備を厳重にしておいたのが功を奏した。
うずくまる一真、戸惑う華乃、抵抗する桂子。
そして、車にひっそりと潜んでいた孝蔵も拘束された。

隆臣と紬を祝福するはずの催しは、『鬼陰騒動の犯人確保』として、治安軍を巻き込んだ大事件として幕を下ろした。

後に、『最強の夫婦』と呼ばれる二人にとって最初の事件であった。