虐げられたクチナシの乙女は極道の瞳になる

 俺の腕の中にいる娘は、ひどく従順だった。
 いつもなら恥じらいながら俺に触れる小さな手は、自ら体温を求めるように擦り寄ってくる。

(静流の件で、よっぽど不安にさせちまったんだな……)

 俺は己の不甲斐なさを恥じながら、愛おしさを込めてその頭を撫で、細い腕を抱き寄せた。
 だが、暗闇の中で指先が蓬の肌を滑った時。微かな違和感を覚えた。

 ——滑らかすぎる。

 俺はそっと蓬の手のひら、そして指先を確かめるようになぞった。
 白魚のように柔らかく、傷一つない肌。

(……おかしい。蓬は亡き父親の代わりに、針子の仕事と下働きで家を支えていたはず)

 あの健気な娘の指先には、何度も針を刺した硬いタコがあり、水仕事で荒れた名残があった。俺が火傷に薬を塗り込んだ時、確かにこの手でその生真面目な痕跡を感じ取ったのだ。

(匂いも、ちがう)

 同じ石鹸の匂いがする。だが、その奥底から甘すぎる香水の匂いがふわりと漂ってくる。俺の嗅覚が敏感なことを知っている蓬は、匂いの強い香水は付けないはずだ。
 俺の中で、甘い空気は一瞬にして凍りついた。
 頭の芯まで冷え切っていくような、極道としての冷徹な本能が警鐘を鳴らす。

「……なぁ、蓬」
「…………」

 腕の中の娘は、声の代わりに俺の胸に顔を擦り寄せる。
 見えない俺と、喋れない蓬。蓬の真似事をしてだんまりを決め込まれたら気づくことは難しいかもしれない。
 けれど俺にはわかる。零れた吐息が震えていない、こいつは——蓬じゃない!
 俺はゆっくりと身を起こし、腕の中にいた娘の細い首に、ギリ、と大きな掌を這わせた。

「ひっ……!?」
「先日、深月の手下が妙な動きをした時、お前が俺の帯を叩いて合図してくれたよな」

 俺は声の温度を完全に消し去り、腕の中の娘に冷たく告げる。

「あの時、お前は俺に『何回』合図を送った?」
「えっ……あ、あの……そ、それは……」

 娘の体が、今度こそ本物の恐怖でガタガタと震え出した。
 呼吸が浅くなり、嘘を重ねようと必死に頭を回している気配が伝わってくる。

「……い、いい、一回、です……」
「——そうか」

 ブツン、と。
 俺の中で、何かが決定的に千切れる音がした。
 俺は蓬を名乗る何者かの首を掴んだまま、容赦なく畳の上へと押し倒した。

「がはっ……!? ひ、ひぃっ……!」
「喉潰されたくなきゃ、一度しか聞かねぇから正直に答えろ。テメェ、誰だ?」

 一切の容赦のない、地を這うような殺気。
 俺の指に少し力を込めただけで、娘はヒィヒィと情けない声で泣き喚き始めた。

「わ、わ、わたしです! よもぎ、ですぅっ……!」
「吃音の真似事はやめろ、反吐が出る」

 俺は枕元に置いてあった短刀を引き抜き、畳に深々と突き立てた。
 ひっ! という短い悲鳴が上がる。

「俺の女はな、目の前で血飛沫が舞おうが、短刀が飛んでこようが、悲鳴ひとつ上げねぇんだよ。そんな安っぽい泣き声で、俺の蓬を騙るんじゃねぇ」
「あ……あああ……っ」
「同じ匂い、同じ背丈……妹の、苺だな?」

 図星を突かれたのか、女——苺の呼吸が完全に止まった。

「あ、あいつは……蓬おねえは、出来損ないで……っ、私の方が、美しくて、火狩様に相応しいのに……っ!」
「喋れと言ったが、喚けとは言ってねぇぞ」

 俺は苺の髪を乱暴に掴み上げると、刃の冷たい腹をその震える唇に押し当てた。

「俺の蓬を、どこへやった」
「ひっ……! く、蔵……実家の、蔵に……」
「ヨウ!!」

 俺の怒声に、襖の向こうで待機していたヨウが即座に駆け込んでくる。

「若!」
「こいつを拘束しろ。深月と繋がってる。逃がすなよ」
「へい!」
「車を出せ! 雁金の家へ向かう。今すぐだ!!」

 俺は無造作に羽織を引っ掴み、夜の廊下を駆け出した。
 見えない視界の向こうで、蓬が泣いている気がした。

(待ってろ、蓬……っ!!)

 俺の心臓は、これまでに感じたことのない恐怖と焦燥で早鐘を打っていた。
 もしアイツの身に何かあれば、雁金の家も、深月も、この帝都ごと火の海にしてやる。
 俺は狂気を孕んだ殺意を胸に、夜の闇を切り裂いて走った。