虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番

 数日後。私たちは帝都を離れ、北の大地へと向かう長距離列車の中にいた。

 蒸気機関車の力強い駆動音と、車輪が鉄の継ぎ目を叩くリズミカルな振動が、ふかふかとした一等客車の座席越しに心地よく伝わってくる。

「夏のうちに移動できてよかった。さすがに冬の北海道は厳しいからな」
「お見合いの時に初めて会ったのも、夏でしたね」
「”私との”、見合いな」
 
 獅子王さんが遠くの席から声をかけてくる。
 近くに座ればいいのに「夫婦の間に挟まるなんて冗談じゃない」と言って、別の席で不機嫌そうに外を眺めていた。

「惚気よって、この馬鹿夫婦が」
 
 呆れたように獅子王さんが口にした台詞に、頬が赤く染まる。
 向かい合わせの席も空いていたというのに、隣同士に座ることを彼が望んだため、私と鷹島さんは肩が触れ合うほどの距離で移りゆく車窓の景色を眺めていた。

「——切符を拝見いたします」

 車両の扉が開き、車掌が声をかけてきた。
 鷹島さんが軍服の懐から、北海道までの乗車券を取り出して手渡す。車掌は手際よく切符に鋏を入れながら、ふと朗らかな笑みを浮かべた。

「北海道までの長旅ですね。……ご立派な軍人さんと、可愛らしいお嬢さんだ。ご兄妹でのご旅行ですか?」
 
 聞き覚えのある台詞に私は苦笑した。鷹島さんと銀座でデェトした時も、私たちは兄妹に間違われてしまった。
 年齢差もあるし、冨佐子様に髪を切られて短髪になった私は年齢よりも幼く見えてしまうのだろう。隙のない軍服を着こなす威風堂々とした彼と並んでいると、間違えてしまう気持ちもわかる。

「あはは、そう見えますよね——」
 
 車掌に悪意はないので、私は曖昧に笑ってごまかそうとした。
 けれどその言葉を遮って、鷹島さんが低く、けれどどこか誇らしげな声で言った。

「妻だ。赴任先へ伴うところだ」

 きっぱりと言い切ったその言葉の響きに、私の胸の奥がトクンと甘く跳ねた。
 車掌は一瞬目を丸くした後、人の良さそうな笑顔で爽やかに答えた。

「おや、これは大変失礼いたしました! 奥様でいらっしゃいましたか。どうぞ、末長くお幸せに。道中のご無事をお祈りしております」

 車掌が扉を閉めて去っていくと、車内には再び機関車の駆動音だけが満ちた。
 鷹島さんは少しバツが悪そうに咳払いをし、途中の駅で買っておいた汽車土瓶の蓋を開け、小さな湯呑みにお茶を注いで私に手渡してくれた。

「……すまない。伝えるのは嫌だったか?」
「いえ! ただ、『妻』だなんて言われたのが初めてだったので、少し驚いただけです。あの、すごく……嬉しいです」

 温かいお茶を一口すすると、ほうじ茶の香ばしい匂いが鼻に抜け、緊張していた心がじんわりと解けていく。私がはにかみながらそう答えると、鷹島さんも安心したように目元を和ませた。

「旭川では師団の近くに借家を借りている。ただ、俺は日中、連隊での執務や訓練がある。不慣れな土地で、君を家に残す時間が長くなってしまうのが気がかりだ」
「クララさんもいますし、ひとりではないですから」
「……まさかクララが付いてくるとはな」
 
 遠い北海道の地で、私は鷹島さんと共に暮らすことになる。
 月守家が女中の手配をした際、私と鷹島さん双方の世話をしたことがあり、独逸語日本語堪能なクララさんに白羽の矢が立った。
 まだ見習いの彼女だが、北海道行きを底抜けの明るさで快諾してくれた。私達よりも先に現地へ向かい、今はお掃除を頑張ってくれているとのことだった。

「クララさんに独逸語を教えてもらう約束をしてるんです。それに、一緒に家事をしようねって、秘密の約束も。ふふ、鷹島さんのおうちは、私が整えますからね」
「負担をかけてしまって申し訳ないが……楽しそうで何よりだ」

 クララさんにはこっそりと「私も家事をやりたい」と伝えてある。熟練女中のマルタさんなら絶対に断るだろうが、そこはさすが天真爛漫なクララさん。「楽できるなら喜んで!」とあっさり快諾してくれた。
 これからは私が鷹島さんの家を整えて、食事を作る。クララさんという友人と共に。そんな生活に不安などあるはずもない。今から楽しみで仕方なかった。

「鷹島さんが帰ってくる家を、私が守りますね」

 私が真っ直ぐに見つめてそう告げると、鷹島さんは一瞬息を呑み、やがてたまらないといった様子でふっと破顔した。

「……あなたは、本当に強いな。俺が守ると誓ったはずなのに、いつもあなたの言葉に救われている」
「ふふ、私もです」

 彼の左手の薬指と、私の左手の薬指。二つの指輪が、車窓から差し込む光を受けて静かに寄り添い合うように輝いている。

 列車は黒い煙を吐き出しながら、真っ直ぐに北へと向かっていく。
 青函連絡船を乗り継いだ先にある北海道は、伊津名少将が支配する魔境だ。極寒の大地には、彼のエスΩとしての恐るべき洗脳能力や、私たちを阻もうとする軍部の思惑など、帝都とは比べ物にならないほどの過酷な困難が待ち受けているだろう。
 この先に何があるのか、私にはまだわからない。
 けれど、不思議と恐怖はなかった。

(この手を離さなければ……ふたりなら、きっと乗り越えられる)

 私がぎゅっと手を握り返すと、鷹島さんもまた、私の指を愛おしそうに絡め取って握り返してくれた。
 私たちは言葉を交わす代わりにそっと微笑み合い、繋いだ手から伝わる確かな熱を感じながら、北の大地へと続く鉄路に揺られていた。

「愛しています、私の番」