「鷹島さんっ!」
「鷹島ぁっ!」
私と獅子王少佐の声が大広間に響き渡る。
「たかがΩの分際で……よくも私の部下たちを! 貴様、軍神と持て囃されて図に乗っているのではないか!」
獅子王少佐は私を乱暴に突き飛ばすと、腰に帯びていた軍刀を引き抜いた。
「死ねぇっ! 浅ましいΩが!」
獅子王少佐が、獣のような咆哮と共に床を蹴る。
鋭い白刃が鷹島さんの脳天めがけて振り下ろされた。薩摩に伝わる示現流、二の太刀いらずと言われる恐ろしい一撃。
鷹島さんは倒れた兵士から奪い取っていた軍刀を横に構え、その凶刃を真正面から受け止める。
火花が散り、鼓膜を劈くような金属音が広間に木霊した。
凄まじい膂力のぶつかり合い。激しすぎる一撃に鷹島さんの顔が苦痛に歪み、膝をつく。刀は一撃で割れ、その威力のすさまじさを見せつけられる。
「くっ……!」
「ははは! どうした鷹島、派手に乱入しておいて、その程度か!?」
鷹島さんの濃紺の軍服——その胸元のあたりが、どす黒い血でべっとりと濡れているのが見えた。
伊津名少将の言葉がどこまで本当かはわからない。けれどその言葉が正しければ追手から逃れ負傷し、冷たい激流を泳ぎ切り、ここまでたどり着いたのだろう。
立っていることすら奇跡のような状態での、高位αとの全力の斬り合い。傷口が開き、致命的な量の血が床に滴り落ちている。
「貴様はもう用無しだ! 無用のΩめ! 死ねえっ!!」
獅子王少佐が再び必殺の刃を振りかぶる。もう刀もない、膝をついている状態の鷹島さんに逃れるすべはなかった。
「やめてえっ!!」
考えるより先に、体が動いていた。
私はスカートの裾を翻し、獅子王少佐にしがみついた。
「……っ!? 馬鹿狸が、死にたいのか!!」
さすがに獅子王少佐も不測の事態だったのか、慌てた声が響き渡る。
獅子王少佐の背中は厚く、私など簡単に吹き飛ばせる。ただしがみつくだけでは、一時しのぎにもなりはしない。
「私の番に、手を出さないでっ!」
私の腹の底で、激しい熱が吹き上がる。
私は何も考えることなく、直感的に獅子王少佐の項に噛みついた。
ヴィルヘルム様を屈服させた時以上の、すさまじい覇気が放たれる。それは単なる『威圧』ではなかった。世界そのものの 理をねじ曲げるような、禍々しくも絶対的な波動。
私の体から放たれた目に見えない力が、獅子王少佐の項の肉を嚙みちぎる。
「ガ、ァッ……!?」
振り下ろされようとしていた軍刀が、ピタリと空中で止まった。
獅子王少佐の目が見開き、喉の奥から奇妙な音が漏れる。
カラン、と。手から抜け落ちた軍刀が大理石の床に転がった。
「あ……がっ、熱い……! なんだ、これは……私の、体が……ッ」
獅子王少佐は自らの胸を掻き毟り、その場にドサリと膝をついた。
彼が纏っていた、あの肌を刺すような高位αの威圧感が、まるで水に溶けるように完全に消え去っていく。代わりに広間を包み込み始めたのは——むせ返るような、甘くねっとりとした芳香だった。
「ひぃっ、はぁっ……」
荒い息を吐き、顔を真っ赤に染めて床に這いつくばる獅子王少佐。
彼の身体から放たれているのは——
◇ ◇ ◇
——同じ頃。
帝都から遠く離れた、静かな田舎の別荘。
薄暗い部屋の床の中で、月守冨佐子はガタガタと震えながら、自らの爪を血が出るほどに噛み締めていた。
「お嬢様っ、それ以上はお爪が……」
「いや……こないで! 私を見ないで……っ!」
かつて誇り高きαの令嬢として女王のように振る舞っていた面影は、今の彼女には微塵もない。
部屋の外から聞こえる、使用人や子供たちの声。それだけで、彼女の体はビクンと跳ね、下腹部の奥から焼け付くような熱と疼きが這い上がってくる。
「あいつの……あいつのせいで、私は……!」
あの日の記憶が鮮明に思い出される。
みすぼらしい離れで、月守小夜子の項に触れられた瞬間。雷に打たれたような衝撃と共に、彼女の中の『αとしての絶対的な誇り』が粉々に砕け散り、別の何かに書き換えられていく、あの悍ましい感覚。
「Ωに……Ωにさせられた……っ!」
強烈なヒートの熱に浮かされながら、冨佐子は涙を流し続けていた。
◇ ◇ ◇
——Ωの発情の匂い。
「はぁっ、あぁっ……」
大広間の床に這いつくばる獅子王少佐は、自らの身体に起きている信じられない変化に、恐怖と混乱で顔を歪めていた。
「私は、私はαだぞ……! 栄えある獅子王家の……ッ。なぜ、こんな匂いが……どうして体に力が入らない……!」
彼は私の匂いに充てられ、起き上がることすらできないようだ。あたりに広がる噎せ返るような花の香りは、まぎれもなくΩの香り。それが、獅子王少佐から香ってくる。
(私が項を嚙んだから? だから——Ωに変えてしまったの……?)
呆然とする私の耳に、ゆっくりとした拍手の音が響いた。
静まり返った広間に、その音だけが異様に大きく反響する。
演壇の上から、伊津名少将が深い歓喜と狂気を湛えた硝子玉のような瞳で、私たちを見下ろしていた。
「素晴らしい。本当に素晴らしいよ、小夜子嬢」
伊津名少将は、床で苦しむ自らの部下——獅子王少佐を一瞥すらせず、うっとりとした表情で私を見つめた。
「それこそが、エスαの最大の能力。他者の本能を屈服させるだけではない、対象の『第二の性』そのものを根本から改竄し、変異させる神の御業……!」
「性を、改竄する……」
「そう。君は番を己で定めることができる。高位のαを無力なΩへと引き摺り下ろすことも自在というわけだ。君はまさに、この国の秩序を根底から書き換える『廻天』を行える者——」
伊津名少将の狂気に満ちた笑い声が、シャンデリアの光の下で響き渡る。
シャンデリアの散らす光の粒の下、私たちは睨み合った。
「鷹島ぁっ!」
私と獅子王少佐の声が大広間に響き渡る。
「たかがΩの分際で……よくも私の部下たちを! 貴様、軍神と持て囃されて図に乗っているのではないか!」
獅子王少佐は私を乱暴に突き飛ばすと、腰に帯びていた軍刀を引き抜いた。
「死ねぇっ! 浅ましいΩが!」
獅子王少佐が、獣のような咆哮と共に床を蹴る。
鋭い白刃が鷹島さんの脳天めがけて振り下ろされた。薩摩に伝わる示現流、二の太刀いらずと言われる恐ろしい一撃。
鷹島さんは倒れた兵士から奪い取っていた軍刀を横に構え、その凶刃を真正面から受け止める。
火花が散り、鼓膜を劈くような金属音が広間に木霊した。
凄まじい膂力のぶつかり合い。激しすぎる一撃に鷹島さんの顔が苦痛に歪み、膝をつく。刀は一撃で割れ、その威力のすさまじさを見せつけられる。
「くっ……!」
「ははは! どうした鷹島、派手に乱入しておいて、その程度か!?」
鷹島さんの濃紺の軍服——その胸元のあたりが、どす黒い血でべっとりと濡れているのが見えた。
伊津名少将の言葉がどこまで本当かはわからない。けれどその言葉が正しければ追手から逃れ負傷し、冷たい激流を泳ぎ切り、ここまでたどり着いたのだろう。
立っていることすら奇跡のような状態での、高位αとの全力の斬り合い。傷口が開き、致命的な量の血が床に滴り落ちている。
「貴様はもう用無しだ! 無用のΩめ! 死ねえっ!!」
獅子王少佐が再び必殺の刃を振りかぶる。もう刀もない、膝をついている状態の鷹島さんに逃れるすべはなかった。
「やめてえっ!!」
考えるより先に、体が動いていた。
私はスカートの裾を翻し、獅子王少佐にしがみついた。
「……っ!? 馬鹿狸が、死にたいのか!!」
さすがに獅子王少佐も不測の事態だったのか、慌てた声が響き渡る。
獅子王少佐の背中は厚く、私など簡単に吹き飛ばせる。ただしがみつくだけでは、一時しのぎにもなりはしない。
「私の番に、手を出さないでっ!」
私の腹の底で、激しい熱が吹き上がる。
私は何も考えることなく、直感的に獅子王少佐の項に噛みついた。
ヴィルヘルム様を屈服させた時以上の、すさまじい覇気が放たれる。それは単なる『威圧』ではなかった。世界そのものの 理をねじ曲げるような、禍々しくも絶対的な波動。
私の体から放たれた目に見えない力が、獅子王少佐の項の肉を嚙みちぎる。
「ガ、ァッ……!?」
振り下ろされようとしていた軍刀が、ピタリと空中で止まった。
獅子王少佐の目が見開き、喉の奥から奇妙な音が漏れる。
カラン、と。手から抜け落ちた軍刀が大理石の床に転がった。
「あ……がっ、熱い……! なんだ、これは……私の、体が……ッ」
獅子王少佐は自らの胸を掻き毟り、その場にドサリと膝をついた。
彼が纏っていた、あの肌を刺すような高位αの威圧感が、まるで水に溶けるように完全に消え去っていく。代わりに広間を包み込み始めたのは——むせ返るような、甘くねっとりとした芳香だった。
「ひぃっ、はぁっ……」
荒い息を吐き、顔を真っ赤に染めて床に這いつくばる獅子王少佐。
彼の身体から放たれているのは——
◇ ◇ ◇
——同じ頃。
帝都から遠く離れた、静かな田舎の別荘。
薄暗い部屋の床の中で、月守冨佐子はガタガタと震えながら、自らの爪を血が出るほどに噛み締めていた。
「お嬢様っ、それ以上はお爪が……」
「いや……こないで! 私を見ないで……っ!」
かつて誇り高きαの令嬢として女王のように振る舞っていた面影は、今の彼女には微塵もない。
部屋の外から聞こえる、使用人や子供たちの声。それだけで、彼女の体はビクンと跳ね、下腹部の奥から焼け付くような熱と疼きが這い上がってくる。
「あいつの……あいつのせいで、私は……!」
あの日の記憶が鮮明に思い出される。
みすぼらしい離れで、月守小夜子の項に触れられた瞬間。雷に打たれたような衝撃と共に、彼女の中の『αとしての絶対的な誇り』が粉々に砕け散り、別の何かに書き換えられていく、あの悍ましい感覚。
「Ωに……Ωにさせられた……っ!」
強烈なヒートの熱に浮かされながら、冨佐子は涙を流し続けていた。
◇ ◇ ◇
——Ωの発情の匂い。
「はぁっ、あぁっ……」
大広間の床に這いつくばる獅子王少佐は、自らの身体に起きている信じられない変化に、恐怖と混乱で顔を歪めていた。
「私は、私はαだぞ……! 栄えある獅子王家の……ッ。なぜ、こんな匂いが……どうして体に力が入らない……!」
彼は私の匂いに充てられ、起き上がることすらできないようだ。あたりに広がる噎せ返るような花の香りは、まぎれもなくΩの香り。それが、獅子王少佐から香ってくる。
(私が項を嚙んだから? だから——Ωに変えてしまったの……?)
呆然とする私の耳に、ゆっくりとした拍手の音が響いた。
静まり返った広間に、その音だけが異様に大きく反響する。
演壇の上から、伊津名少将が深い歓喜と狂気を湛えた硝子玉のような瞳で、私たちを見下ろしていた。
「素晴らしい。本当に素晴らしいよ、小夜子嬢」
伊津名少将は、床で苦しむ自らの部下——獅子王少佐を一瞥すらせず、うっとりとした表情で私を見つめた。
「それこそが、エスαの最大の能力。他者の本能を屈服させるだけではない、対象の『第二の性』そのものを根本から改竄し、変異させる神の御業……!」
「性を、改竄する……」
「そう。君は番を己で定めることができる。高位のαを無力なΩへと引き摺り下ろすことも自在というわけだ。君はまさに、この国の秩序を根底から書き換える『廻天』を行える者——」
伊津名少将の狂気に満ちた笑い声が、シャンデリアの光の下で響き渡る。
シャンデリアの散らす光の粒の下、私たちは睨み合った。



