やがて、重厚な玄関の扉が開く音が響いた。「おかえりなさいませ」、とマルタさんの声が聞こえるので、鷹島さんが帰ってきたのだろう。
私はパタパタと小走りで、玄関へと向かう。
「お、お帰りなさい、鷹島さん」
「ただいま、月守小夜子」
西洋風の玄関では三つ指を付けないので、ぺこぺことお辞儀しながら出迎える。鷹島さんはそんな私に優しく微笑む。そして、ふわりと漂う醤油と出汁の匂いに気づき、きょとんと首を傾げた。
「醤油の匂いがする」
「オットーさんに厨房をお借りして、その、今日は私がお夕食を作ってみました」
言ってすぐに、出過ぎた真似だっただろうかと怖くなる。けれど鷹島さんは雷に撃たれたように固まったかと思うと、外套をマルタさんに渡してすぐに食堂に足を進めた。
「すぐに食べたい」
「ええっ!? まずはお着替えをしてから……」
「今食べたい」
結局、着替えより先に食事をとることにした。マルタさんは「坊ちゃまったら……」とお小言を言っていたが、若草色の瞳に期待の光が灯っているのを見ると、我が子を見つめるように優しい瞳をしていた。
食堂のテーブルに座る鷹島さんの元へ、緊張しながら料理を並べる。
鷹島さんは感慨深げに見つめ、「いただきます」と手を合わせると、まずはふろふき大根を口に運んだ。
「……美味しい。大根にしっかりと出汁が染みていて、味噌がよく合う」
次に、黄金色の卵焼きを口に入れる。
戦場では『金色の鷹』と謳われる彼が、瞳を輝かせて食事をとる姿はまるで雛鳥の様で愛おしい。
鷹島さんは一口ひとくち、噛みしめるようにゆっくりと味わってくれた。
照りの美しい鰤も、私がよそったつやつやの白米も、「美味しい」と何度も頷きながら食べてくれる。あまりにも美味しそうに食べてくれるので、ごはんをよそう手が止まらない。
大盛のご飯を前に、鷹島さんは少し照れ臭そうに目を伏せた。
「俺はそんなに空腹そうに見えたか?」
「ふふ、沢山食べてください。とっても嬉しいです」
そう言って微笑むと、鷹島さんは不意に手を伸ばし、私の頬を指先でそっと撫でた。触れたら壊れてしまうガラス細工を扱うような優しい手つき。
「今度は、俺があなたに作ろう」
「本当ですか!? 楽しみです!」
熱を帯びた碧玉の瞳に見つめられ、私は顔が熱くなるのを感じた。
大柄な彼が私の作った料理を愛おしそうに食べてくれる姿を見つめ、互いの熱を確かめ合うように視線を絡ませる。食卓には、穏やかで甘い時間がゆったりと流れていった。
食事の時間が終わり、居間で温かいお茶を淹れてほっと一息つく。そろそろ鷹島さんにも着替えていただかないと、と思っていると、ふいに鷹島さんに手を取られた。そのまま鷹島さんの膝の上にぽすん、と座らされる。
「わっ、鷹島さ……」
「少しだけ。……このままで」
背中からすっぽりと広い胸に包み込まれ、腕が私の腰にきつく回される。
背後から首筋に顔を埋められ、深く息を吸い込むような音が聞こえた。彼から漂う軍服の糊と石鹸の清潔な香りに、私自身の少し甘い匂いが混ざり合っていく。
「あなたの匂いがする」
「っ……くすぐったいです、鷹島さん」
ちゅ、と首筋に柔らかな唇が落ち、私は身をすくませた。
彼の中に眠るΩとしての本能が、私というαの匂いと温もりを強く求めているのが分かる。今朝、彼が私の着物を抱きしめて『巣作り』をしていた姿を思い出し、胸の奥がたまらなく愛おしさでいっぱいになった。
私は彼にもっと安心してもらえるように、彼の大きな背中にそっと手を回し、不器用な頭を撫でてあげる。戦場を駆ける『金色の鷹』の髪は、驚くほど柔らかくて、指先をすり抜ける感触が心地よかった。
「鷹島さん、今日もお仕事頑張ってくれて、ありがとうございます」
「……あなたが撫でてくれるなら、どんな疲れも吹き飛ぶ」
私の匂いを求めて胸元をすんすんと嗅ぐ姿は子犬の様だった。恥ずかしいけれど、鷹島さんに求められていることが嬉しい。
(大好きです、鷹島さん……)
口に出すの恥ずかしくて、心の中でそっとつぶやいた。
◇ ◇ ◇
——それから三日間。私たちは、この洋館で夢のように甘く穏やかな日々を重ねた。
朝は出仕する彼を見送り、昼間はクララさんとマルタさんと家事をこなし、夜は彼の帰りをオットーさんの温かい手料理と共に待つ。
食後はいつも決まって、一つのソファで身を寄せ合い、お互いの匂いと体温で心を満たし合った。外の世界の冷酷な身分制度も、軍部のしがらみも、この陽だまりのような家には決して届かない。
ずっとこの時間が続けばいいのにと、私は何度も神様に祈った。
けれど、夢のような時間は永遠ではない。
洋館に来て四日目の夜。
いつものようにソファで私を抱きしめる鷹島さんの腕に、ふと、いつもより少しだけ縋るような強い力がこもった。
「……月守小夜子」
静かな声音で呼ばれ、はっと首だけを巡らせて彼を見上げる。ぽつりとこぼれ落ちた彼の声には、微かな焦燥と寂しさが滲んでいた。
「明日には、俺はアドラー男爵の警護任務に入らなければならない」
明日。その言葉が、私たちを包む甘い空間に、ちくりと冷たい現実を突きつける。
「ちゑ殿も戻られたようだから、あなたも月守の本邸へ身を移すことになる。俺が傍にいない間、また嫌な思いをするかもしれないが……」
辛そうに眉を下げる彼を見て、私は彼の大きな頬を両手でそっと包み込み、静かに首を横に振った。
「私、鷹島さんに相応しい女性になれるように。強くなるって決めましたから! だから安心してください」
私が真っ直ぐに見つめてそう告げると、鷹島さんは小さく息を呑んだ。
そして、たまらないといった様子で私の腰を抱き寄せると、祈るように私の唇に優しく、深い口付けを落とした。
軍服を少しはだけさせると、白い項を露にしてそっと囁く。
「最後に、もう一度噛んでくれないか?」
「……は、はい。鷹島さんが、いいなら」
しばらく離れてしまう寂しさを、この小さな痛みで紛らわせますように。そう願いながら、私はそっと白い項に牙を立てた。じくり、と血が滲んで、口の中に鷹島さんの血の味が広がる。
甘く、そして耽美で危険な一日が、今日も静かに更けていくのだった。
私はパタパタと小走りで、玄関へと向かう。
「お、お帰りなさい、鷹島さん」
「ただいま、月守小夜子」
西洋風の玄関では三つ指を付けないので、ぺこぺことお辞儀しながら出迎える。鷹島さんはそんな私に優しく微笑む。そして、ふわりと漂う醤油と出汁の匂いに気づき、きょとんと首を傾げた。
「醤油の匂いがする」
「オットーさんに厨房をお借りして、その、今日は私がお夕食を作ってみました」
言ってすぐに、出過ぎた真似だっただろうかと怖くなる。けれど鷹島さんは雷に撃たれたように固まったかと思うと、外套をマルタさんに渡してすぐに食堂に足を進めた。
「すぐに食べたい」
「ええっ!? まずはお着替えをしてから……」
「今食べたい」
結局、着替えより先に食事をとることにした。マルタさんは「坊ちゃまったら……」とお小言を言っていたが、若草色の瞳に期待の光が灯っているのを見ると、我が子を見つめるように優しい瞳をしていた。
食堂のテーブルに座る鷹島さんの元へ、緊張しながら料理を並べる。
鷹島さんは感慨深げに見つめ、「いただきます」と手を合わせると、まずはふろふき大根を口に運んだ。
「……美味しい。大根にしっかりと出汁が染みていて、味噌がよく合う」
次に、黄金色の卵焼きを口に入れる。
戦場では『金色の鷹』と謳われる彼が、瞳を輝かせて食事をとる姿はまるで雛鳥の様で愛おしい。
鷹島さんは一口ひとくち、噛みしめるようにゆっくりと味わってくれた。
照りの美しい鰤も、私がよそったつやつやの白米も、「美味しい」と何度も頷きながら食べてくれる。あまりにも美味しそうに食べてくれるので、ごはんをよそう手が止まらない。
大盛のご飯を前に、鷹島さんは少し照れ臭そうに目を伏せた。
「俺はそんなに空腹そうに見えたか?」
「ふふ、沢山食べてください。とっても嬉しいです」
そう言って微笑むと、鷹島さんは不意に手を伸ばし、私の頬を指先でそっと撫でた。触れたら壊れてしまうガラス細工を扱うような優しい手つき。
「今度は、俺があなたに作ろう」
「本当ですか!? 楽しみです!」
熱を帯びた碧玉の瞳に見つめられ、私は顔が熱くなるのを感じた。
大柄な彼が私の作った料理を愛おしそうに食べてくれる姿を見つめ、互いの熱を確かめ合うように視線を絡ませる。食卓には、穏やかで甘い時間がゆったりと流れていった。
食事の時間が終わり、居間で温かいお茶を淹れてほっと一息つく。そろそろ鷹島さんにも着替えていただかないと、と思っていると、ふいに鷹島さんに手を取られた。そのまま鷹島さんの膝の上にぽすん、と座らされる。
「わっ、鷹島さ……」
「少しだけ。……このままで」
背中からすっぽりと広い胸に包み込まれ、腕が私の腰にきつく回される。
背後から首筋に顔を埋められ、深く息を吸い込むような音が聞こえた。彼から漂う軍服の糊と石鹸の清潔な香りに、私自身の少し甘い匂いが混ざり合っていく。
「あなたの匂いがする」
「っ……くすぐったいです、鷹島さん」
ちゅ、と首筋に柔らかな唇が落ち、私は身をすくませた。
彼の中に眠るΩとしての本能が、私というαの匂いと温もりを強く求めているのが分かる。今朝、彼が私の着物を抱きしめて『巣作り』をしていた姿を思い出し、胸の奥がたまらなく愛おしさでいっぱいになった。
私は彼にもっと安心してもらえるように、彼の大きな背中にそっと手を回し、不器用な頭を撫でてあげる。戦場を駆ける『金色の鷹』の髪は、驚くほど柔らかくて、指先をすり抜ける感触が心地よかった。
「鷹島さん、今日もお仕事頑張ってくれて、ありがとうございます」
「……あなたが撫でてくれるなら、どんな疲れも吹き飛ぶ」
私の匂いを求めて胸元をすんすんと嗅ぐ姿は子犬の様だった。恥ずかしいけれど、鷹島さんに求められていることが嬉しい。
(大好きです、鷹島さん……)
口に出すの恥ずかしくて、心の中でそっとつぶやいた。
◇ ◇ ◇
——それから三日間。私たちは、この洋館で夢のように甘く穏やかな日々を重ねた。
朝は出仕する彼を見送り、昼間はクララさんとマルタさんと家事をこなし、夜は彼の帰りをオットーさんの温かい手料理と共に待つ。
食後はいつも決まって、一つのソファで身を寄せ合い、お互いの匂いと体温で心を満たし合った。外の世界の冷酷な身分制度も、軍部のしがらみも、この陽だまりのような家には決して届かない。
ずっとこの時間が続けばいいのにと、私は何度も神様に祈った。
けれど、夢のような時間は永遠ではない。
洋館に来て四日目の夜。
いつものようにソファで私を抱きしめる鷹島さんの腕に、ふと、いつもより少しだけ縋るような強い力がこもった。
「……月守小夜子」
静かな声音で呼ばれ、はっと首だけを巡らせて彼を見上げる。ぽつりとこぼれ落ちた彼の声には、微かな焦燥と寂しさが滲んでいた。
「明日には、俺はアドラー男爵の警護任務に入らなければならない」
明日。その言葉が、私たちを包む甘い空間に、ちくりと冷たい現実を突きつける。
「ちゑ殿も戻られたようだから、あなたも月守の本邸へ身を移すことになる。俺が傍にいない間、また嫌な思いをするかもしれないが……」
辛そうに眉を下げる彼を見て、私は彼の大きな頬を両手でそっと包み込み、静かに首を横に振った。
「私、鷹島さんに相応しい女性になれるように。強くなるって決めましたから! だから安心してください」
私が真っ直ぐに見つめてそう告げると、鷹島さんは小さく息を呑んだ。
そして、たまらないといった様子で私の腰を抱き寄せると、祈るように私の唇に優しく、深い口付けを落とした。
軍服を少しはだけさせると、白い項を露にしてそっと囁く。
「最後に、もう一度噛んでくれないか?」
「……は、はい。鷹島さんが、いいなら」
しばらく離れてしまう寂しさを、この小さな痛みで紛らわせますように。そう願いながら、私はそっと白い項に牙を立てた。じくり、と血が滲んで、口の中に鷹島さんの血の味が広がる。
甘く、そして耽美で危険な一日が、今日も静かに更けていくのだった。


