虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番

「おはようございます、お嬢様」
 
 朝の陽ざしが枕元を明るく照らす。クララさんの声で目を覚ました時、隣に鷹島さんの姿はなかった。
 
「コンラート様は既にお出かけになりましたよ」
「や、やだ! 私ったら、朝寝坊を……」
「そんなに遅くもないですよ。ほら、お着換えしましょ!」

 そう言ってクララさんが用意したのは薄緑色の着物だった。昨日はワンピース、今度は着物。次から次へと出てくる服は、私を預かると決まった時点で伊津名少将と鷹島さんが用意してくれていたらしい。
 砂をかけるような対応をした相手にどこまでも世話になっている自分が情けないのと、鷹島さんが用意してくれた服を着れる喜びで心境は複雑だった。
 
「ええっと……キモノはやり方わからないなあ……」
「クララさん、私一人で着られますので」
「いえいえ! 勉強させてください! 明日からはばっちりできるようになりますので!」

 明日から、ということは明日以降も私はここに居ていいのだろうか。
 西洋のお城のような素敵な空間に、優しい人々。ここに居られるのなら、それ以上の喜びはないけれど……
 
「今日のご予定は何かありますか? 何もなければ、お嬢様の身の回りの品の買い出しでも——」
「あの……!」

 でも、それだけではいけない。
 私はお客さんじゃなくて、鷹島さんのお嫁さんになるのだから。

「私も家事を行います!」

 私がそう宣言すると、クララさんはサファイアのような青い目を丸くして、パタパタと大げさに手を振った。

「いやいやいや! 公爵令嬢様でしょう!? そんなことさせられませんよ!」
「私、その……鷹島さんのお嫁さんになるから、今から練習したいなって……」

 最後の方は照れくさくて声が小さくなってしまったけれど、クララさんは「お嬢様ー!」と胸の前で両手を組み、感動したように涙ぐんでしまった。

「可愛いー! じゃ、じゃあー、手伝ってもらっちゃおうかなあー」

 クララさんに許可をもらえたので、彼女の後ろをついて回ってまずは掃除を手伝った。
 はたきをかけたり、廊下を拭いたりする。実家の離れでは家のことは自分たちでやっていたので、慣れたものだ。家の構造や家具が違って少し戸惑うことはあるけれど、その都度クララさんが優しく教えてくれる。

「お嬢様、コンラート様の寝室のシーツを替えてもらえますか?」
「はい!」

 鷹島さんの部屋に入ると、ふわりと彼の匂いを感じる。鷹島さんも移動したばかりなのか、部屋の中に彼の私物はあまりなく、綺麗に整えられている。
 
「あら、これは……」 
 
 ふと、鷹島さんの枕元に、見慣れない布の塊があることに気がついた。
 そっと手に取ってみて、私は息を呑んだ。
 それは、私が衛戍病院の鷹島さんに会いに行った時に着ていた桜色の着物だったのだ。そう言えば、銀座を歩いているときはずっと鷹島さんに持っていてもらったが、急用でお別れした時にそのまま持って行ってしまったのだった。
 着物はまるで、夜の間に誰かが強く抱きしめて、顔を埋めていたかのように、くしゃくしゃに丸められていた。

 ——『巣作り』。

 ふいに、その言葉が頭をよぎった。
 Ωが、安心を得るために自身の番の匂いがついた衣服を集めて寝床を作る、本能的な行動。
 『金色の鷹』として恐れられる、軍神・鷹島が。
 私の匂いが染み付いた着物を纏って、それに顔を埋めて安心を得ているのだと想像すると、胸の奥がきゅん、と甘く、強く締め付けられた。

(着物では足りなくなって、私のところまで来てくれたんだ……)

 今日もまた、一緒に匂いを確かめ合いたい。そんな秘かな希望を抱きながら、私はそっと着物を畳んだ。

 ◇ ◇ ◇

「オットーさん。台所をお借りしてもいいですか?」
「お嬢様? ですが——」
「今日だけでいいのです。オットーさんのお仕事のお邪魔はしませんから」
「日本食作ってくれるんですって! ファティ(お父さん)、いいでしょ?」

 可愛い娘にねだられると、オットーさんのいつもの厳しい顔が少し緩む。私の家ではありえない父と娘の距離感にはらはらしながら見守ってしまったが、オットーさんはしばらく悩んで「わかった」と了承してくれた。

「日本食を好む主もいるので、大抵のものは揃っています。何を作りますか?」
「えっと、ふろふき大根と魚の照り焼きを。あと、卵焼きを作ろうかな、と」
「魚は鰤ならあります。それ以外も、今あるもので作れそうですね」
 
 そう答えると、オットーさんは立派な厨房の棚から、見慣れた和食用の調味料や鍋を出してきてくれた。これだけあれば何でも作れそうだ。
 私は袖をまくり、まずは一番時間のかかるふろふき大根から取り掛かることにした。
 分厚く輪切りにした大根は、煮崩れないように丁寧に角を取り、味が染み込みやすくなるよう裏に隠し包丁を入れる。お米のとぎ汁で下茹でをしてから、今度は昆布のお出汁でコトコトと、竹串がすっと通るまでじっくり煮込んでいく。
大根が鍋の中で踊るのを横目に見ながら、とろりとした味噌ダレも作っておいた。
 お釜でご飯を炊きながら、次は少し背伸びをして『甘い卵焼き』を作りにかかる。
 実家の離れでは、卵もお砂糖もめったに口にできない贅沢品だった。お母様が私の誕生日にだけ焼いてくれた、あの特別な味を思い出しながら、器に卵を割り入れる。
 お砂糖とお出汁をたっぷりと加え、よく混ぜ合わせてから、油をひいた鍋へ。
 じゅわっ、と心地よい音が鳴り、鮮やかな黄色がふんわりと膨らむ。焦がさないように火加減を調節しながら、お箸を使って手早くくるくると巻き込んでいく。しばらくすると黄金色の綺麗な卵焼きが完成した。

「魚は捌けますか?」
「は、はい! 上手くは、無いと思いますが……」
「捌けるだけすごいですって! 私は魚、怖くて触れないので」
「クララ、お前は……」
 
 父娘の会話に微笑みながら、最後に、主食となる鰤の照り焼きに取り掛かる。
 身の厚い鰤の切り身に軽く粉をまぶし、両面にこんがりと焼き色をつける。お醤油、みりん、お酒、そして水飴を合わせたタレを一気に回し入れた。
 小気味よい音と共に、お醤油と水飴が熱されて焦げる香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がっていく。
 タレにとろみがつき、鰤の表面が艶やかに光り始めたら出来上がりだ。

「……良い匂いです。コンラート様もお喜びになりますよ」
「皆様の分も作りましたので、是非食べてください」
「いいんですか!? やったあ!」

 蓋を開ければ、ふわりと湯気を立てるつやつやの白米。
 お出汁をたっぷり吸い込んだ熱々のふろふき大根には、たっぷりと味噌タレを乗せて。
 そして、照りの美しい鰤と、優しい黄金色の卵焼き。

(鷹島さん、喜んでくれるかな……)

 手を拭いながら、私はお膳に並んだ料理を見つめる。
 鷹島さんとずっと、暖かい食卓を囲みたい。そんな願いを込めながら、私は玄関が開く音を今か今かと待ちわびるのだった。