心まで満たされるような昼食を終えた後、私は鷹島さんにエスコートされて、洋館の一角にある広い応接間へと案内された。
そこは、壁一面に本が並び、豪奢なビロードのソファが置かれた落ち着いた空間だった。
「あっ、灰かぶり姫! 理想佳人、小公女まで……!」
おかれている本は難しそうなものばかりだったが、見慣れた小説が並ぶ一角を見て心が躍る。上品な装丁の恋愛浪漫小説。ここの一角を作った人とは気が合いそうだ。
きゃあきゃあとはしたなくはしゃいでしまい、くすり、とクララさんが笑う声で我に返る。
「前主にはお嬢様と同じ年頃のご息女がいたんです。それらは彼女の置き土産です。気兼ねなく読んでくださいね」
「私も小公女大好きです! 女の夢ですよねー!」
マルタさんは優しく、クララさんは明るく私を励ましてくれる。その気づかいが優しくて、そして恥ずかしくて私は縮こまる。
「こうやって代々の主の置き土産を重ねて、ここは図書館の様になっていったんだな」
鷹島さんの声が静かに響く。
「鷹島さんの物も……あったり、するんですか……?」
「俺の、か」
かつての鷹島さん——コンラートさんはどんな本を読んでいたのだろう。私が尋ねると、鷹島さんは部屋をぐるりと見まわす。視界の端に何かを見つけたのか、懐かしそうに目を細めた。
「……まだあったのか」
それは、木製の重厚な箱だった。上部に朝顔の花のような形をした大きな真鍮のラッパがついている。
「これは……?」
「円盤式蓄音機だ。円盤の溝を針でなぞって、音を鳴らす機械だよ」
私が興味津々で見つめていると、鷹島さんは棚から黒い円盤を取り出し、手回しのハンドルを何度か回してから、そっと金属の針を落とした。
「17年前、最新の蓄音機を誕生日にもらったんだ。ずっとここに置いてあったんだな」
チリ、チリ……という微かなノイズのあと、大きな真鍮のラッパから、突然、部屋中に優雅な音楽が溢れ出した。
それは、幾重もの弦楽器が重なり合う、美しいオーケストラのワルツだった。
「昔はよく、父と母が音に合わせて踊っていたものだ」
「素敵なご夫婦ですね」
「そうかな……あなたが言うなら、きっとそうなのだろうな」
思わず口から出た言葉にハッとする。そうだ、鷹島さんはご両親に見捨てられる形で今の家に養子入りしたのだった。余計なこと言ってしまったかとはらはらしながら鷹島さんの顔をのぞき込むと、彼は遠い日を思い出すように目を細めていた。
「あの、私……」
何か言おうとするが、言葉が出ない。言葉に詰まって慌てている私を見て、鷹島さんはふっと口角を上げると、私の前に歩み寄り、片手を胸に当てて恭しく頭を下げた。
「踊りませんか、フロイライン」
「ひゃ、ひゃい……」
差し出された大きな手。それは、お伽噺に出てくる王子様そのものの振る舞いだった。
私は心臓を跳ね上がらせながら、慌てて首を横に振った。
「あ、で、でも私、踊りなんて授業で習ったくらいしかできなくて……」
「それだけできれば十分だ」
私は恐る恐る、彼の手のひらに自分の右手を重ねた。
触れた瞬間、鷹島さんの大きな手が私の手をしっかりと包み込む。彼のもう片方の手が私の腰にそっと添えられると、ふわりと清潔な石鹸の匂いと、微かな甘い香りが鼻先を掠めた。
「あ、あの……」
「力を抜いて、俺に身を任せて」
その低く落ち着いた声に、不思議と肩の強張りが解けていく。
イチ、ニ、サン。イチ、ニ、サン。
鷹島さんが滑らかに足を踏み出す。私は女学校の授業で習ったおぼろげな記憶を頼りに、彼のステップに合わせようと必死に足を動かした。
最初は足元ばかりを見てしまっていたけれど、彼のエスコートは完璧で、私の拙い動きをすべて先読みして、ふわりと軌道を正してくれる。
「俺を見ろ」
甘く囁かれて顔を上げると、すぐ目の前に鷹島さんの端正な顔があった。私を見つめる碧玉の瞳には、愛おしくてたまらないといったような、熱の籠もった光が揺れている。
至近距離で伝わってくる、彼の胸の鼓動。見つめ合って回るたびに、私に着せられた向日葵色のドレスが、まるで本当に花びらのようにふわり、ふわりと軽やかに揺れる。
窓から差し込む午後の陽光が床に色とりどりの影を落とし、私たちがその上を滑るたびに万華鏡のように景色が移り変わっていった。
(踊れてる……私、鷹島さんとワルツを踊ってる)
本邸の離れで、ひっそりと息を潜めて生きてきた私。華やかな舞踏会になんて、一生縁がないと思っていたのに。
蓄音機から流れる優雅なオーケストラの調べの中、彼に手を取られて回っている今の自分は、さっき本棚で見つけた『灰かぶり姫』そのものだ。
「鷹島さん……私、今、夢を見ているみたいです」
吐息のように零した私の言葉に、鷹島さんはワルツのステップを踏んだまま、繋いだ私の右手をそっと持ち上げた。
そして、その手の甲に恭しく唇を落とす。
手の甲に落ちた口付けの熱に、私の顔はきっと夕焼けのように赤く染まっていたに違いない。
視界の端で、マルタさんとクララさんが微笑ましそうに目を細め、私たちの邪魔をしないよう、そっと部屋を退出していくのが見えた。
二人きりになった応接間で、私はただ鷹島さんに身を預け、この信じられないほど幸せな魔法の時間の中に溶けていった。
そこは、壁一面に本が並び、豪奢なビロードのソファが置かれた落ち着いた空間だった。
「あっ、灰かぶり姫! 理想佳人、小公女まで……!」
おかれている本は難しそうなものばかりだったが、見慣れた小説が並ぶ一角を見て心が躍る。上品な装丁の恋愛浪漫小説。ここの一角を作った人とは気が合いそうだ。
きゃあきゃあとはしたなくはしゃいでしまい、くすり、とクララさんが笑う声で我に返る。
「前主にはお嬢様と同じ年頃のご息女がいたんです。それらは彼女の置き土産です。気兼ねなく読んでくださいね」
「私も小公女大好きです! 女の夢ですよねー!」
マルタさんは優しく、クララさんは明るく私を励ましてくれる。その気づかいが優しくて、そして恥ずかしくて私は縮こまる。
「こうやって代々の主の置き土産を重ねて、ここは図書館の様になっていったんだな」
鷹島さんの声が静かに響く。
「鷹島さんの物も……あったり、するんですか……?」
「俺の、か」
かつての鷹島さん——コンラートさんはどんな本を読んでいたのだろう。私が尋ねると、鷹島さんは部屋をぐるりと見まわす。視界の端に何かを見つけたのか、懐かしそうに目を細めた。
「……まだあったのか」
それは、木製の重厚な箱だった。上部に朝顔の花のような形をした大きな真鍮のラッパがついている。
「これは……?」
「円盤式蓄音機だ。円盤の溝を針でなぞって、音を鳴らす機械だよ」
私が興味津々で見つめていると、鷹島さんは棚から黒い円盤を取り出し、手回しのハンドルを何度か回してから、そっと金属の針を落とした。
「17年前、最新の蓄音機を誕生日にもらったんだ。ずっとここに置いてあったんだな」
チリ、チリ……という微かなノイズのあと、大きな真鍮のラッパから、突然、部屋中に優雅な音楽が溢れ出した。
それは、幾重もの弦楽器が重なり合う、美しいオーケストラのワルツだった。
「昔はよく、父と母が音に合わせて踊っていたものだ」
「素敵なご夫婦ですね」
「そうかな……あなたが言うなら、きっとそうなのだろうな」
思わず口から出た言葉にハッとする。そうだ、鷹島さんはご両親に見捨てられる形で今の家に養子入りしたのだった。余計なこと言ってしまったかとはらはらしながら鷹島さんの顔をのぞき込むと、彼は遠い日を思い出すように目を細めていた。
「あの、私……」
何か言おうとするが、言葉が出ない。言葉に詰まって慌てている私を見て、鷹島さんはふっと口角を上げると、私の前に歩み寄り、片手を胸に当てて恭しく頭を下げた。
「踊りませんか、フロイライン」
「ひゃ、ひゃい……」
差し出された大きな手。それは、お伽噺に出てくる王子様そのものの振る舞いだった。
私は心臓を跳ね上がらせながら、慌てて首を横に振った。
「あ、で、でも私、踊りなんて授業で習ったくらいしかできなくて……」
「それだけできれば十分だ」
私は恐る恐る、彼の手のひらに自分の右手を重ねた。
触れた瞬間、鷹島さんの大きな手が私の手をしっかりと包み込む。彼のもう片方の手が私の腰にそっと添えられると、ふわりと清潔な石鹸の匂いと、微かな甘い香りが鼻先を掠めた。
「あ、あの……」
「力を抜いて、俺に身を任せて」
その低く落ち着いた声に、不思議と肩の強張りが解けていく。
イチ、ニ、サン。イチ、ニ、サン。
鷹島さんが滑らかに足を踏み出す。私は女学校の授業で習ったおぼろげな記憶を頼りに、彼のステップに合わせようと必死に足を動かした。
最初は足元ばかりを見てしまっていたけれど、彼のエスコートは完璧で、私の拙い動きをすべて先読みして、ふわりと軌道を正してくれる。
「俺を見ろ」
甘く囁かれて顔を上げると、すぐ目の前に鷹島さんの端正な顔があった。私を見つめる碧玉の瞳には、愛おしくてたまらないといったような、熱の籠もった光が揺れている。
至近距離で伝わってくる、彼の胸の鼓動。見つめ合って回るたびに、私に着せられた向日葵色のドレスが、まるで本当に花びらのようにふわり、ふわりと軽やかに揺れる。
窓から差し込む午後の陽光が床に色とりどりの影を落とし、私たちがその上を滑るたびに万華鏡のように景色が移り変わっていった。
(踊れてる……私、鷹島さんとワルツを踊ってる)
本邸の離れで、ひっそりと息を潜めて生きてきた私。華やかな舞踏会になんて、一生縁がないと思っていたのに。
蓄音機から流れる優雅なオーケストラの調べの中、彼に手を取られて回っている今の自分は、さっき本棚で見つけた『灰かぶり姫』そのものだ。
「鷹島さん……私、今、夢を見ているみたいです」
吐息のように零した私の言葉に、鷹島さんはワルツのステップを踏んだまま、繋いだ私の右手をそっと持ち上げた。
そして、その手の甲に恭しく唇を落とす。
手の甲に落ちた口付けの熱に、私の顔はきっと夕焼けのように赤く染まっていたに違いない。
視界の端で、マルタさんとクララさんが微笑ましそうに目を細め、私たちの邪魔をしないよう、そっと部屋を退出していくのが見えた。
二人きりになった応接間で、私はただ鷹島さんに身を預け、この信じられないほど幸せな魔法の時間の中に溶けていった。


