虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番

「『坊ちゃん』、お嬢様。お食事の用意ができました」

 案内された食堂は、やはり西洋のお城のような美しい内装だった。
 天井からはシャンデリアが下がり、壁には精緻な風景画のタペストリーが掛けられている。大きなアーチ型の窓からは、中庭の緑を透かした柔らかな陽光がたっぷりと差し込み、大きなテーブルをきらきらと照らしていた。

 椅子に腰を下ろすと、ほどなくしてオットーさんが銀色のカバーが乗ったワゴンを押して現れた。
 彼が手際よくテーブルに料理を並べていく。真っ白な陶磁器に盛られているのは、湯気を立てる琥珀色のスープと、籠に盛られたふっくらとした丸いパンだった。
 香ばしい匂いにくうとお腹が鳴る。そういえば、昨日は鷹島さんとアイスクリンを食べて以降、何も口にしていなかった。
 
「昼は少し軽めにアイントプフと、焼き立てのパンです」

 お腹の音が聞こえてしまったのか、オットーさんは厳しい顔を少し柔らかくして、料理の説明をしてくれた。
 
「あいんとぷふ、ですか?」
「独逸語で「一つの鍋」を意味し、ウィンナーや野菜を入れて煮込んだ料理です。一般的な家庭料理で申し訳ないですが……」
「そんな! とっても美味しそうです!」
 
 大きく切られたじゃがいもや人参、そしてたっぷりのソーセージと豚肉が、野菜の甘みと一緒にくたくたに煮込まれていた。口の中でほろりと崩れる肉の旨味が広がり、お腹の底からじんわりと温かさが染み渡っていく。
 少し酸味のある黒いパンも、スープに浸して食べると驚くほど美味しかった。
 いつもは本邸から与えられる野菜くずや古米を料理して食べていたので、誰かに作ってもらうご飯は温かくて優しい味がした。

「美味しい……こんなに温かくて美味しいお料理、久しぶりです」
「ああ。懐かしい味だ」

 鷹島さんも穏やかな表情でスープを口に運んでいる。
 独逸の家庭料理だというし、鷹島さんもかつては家族と食べていたのかもしれない。

『コンラート少年があまりにも哀れでね、僭越ながら声をかけさせてもらったんだ』
 
 でも、そんな幸せも第二の性の目覚めですべて変わってしまった。
 鷹島さんの環境を思うと、胸がずきりと痛む。

「どうかしたか?」
「い、いえ!」

 暗い表情をしてしまったのだろう、鷹島さんが低い声で尋ねてくる。
 せっかくこんな幸せな食卓を用意してくれたのに、いらぬ想像で場を暗くしてはいけない。私は慌てて別の話題を探した。
 
「このお屋敷……独逸の軍事顧問の方のための館だとおっしゃっていましたが、私たちがこんな風に使ってしまって、良いのでしょうか」

 伊津名少将に話は通しているらしいが、もし私のせいで、彼が軍法会議にかけられたり、厳しい罰を受けたりしてしまったら……
 スプーンを握る手が小刻みに震え始めた私を見て、鷹島さんの口角が少し上がる。笑っている、たぶん。

「よくないぞ」
「ええっ!? だ、だったら早くここを出ないと……!」
 
 ガタッと椅子から立ち上がろうとした私を、彼が低く落ち着いた声で制する。
 
「慌てなくていい。揶揄いすぎたな、すまない」
「冗談、だったのですか……?」
 
 鷹島さんの表情は常に凛然としているせいで、冗談かどうかが全く分からない。
 口角が少し上がり続けているので、やはり笑っているのだろう。

「数日のうちに新しい主が来る。前軍事顧問。陸軍の大恩人であり、大切な来賓だ」
「そんな方が来るのに、私たちがいていいんですか……?」
「その軍事顧問の名前は『ハインリヒ・フォン・アドラー』。普魯西の男爵であり——俺の、父親だ」

 その言葉に、私ははっと息を呑んだ。
 ハインリヒ・フォン・アドラー。先日伊津名少将から教えてもらった、鷹島さんの父親。そして、Ωに目覚めた彼を捨てた人。
 
「ここは昔、俺が暮らしていた家でもある。その縁があって、アドラー男爵が来られるまでの家の管理を任されたんだ」
「そう、だったんですね……」
「あなたとは結婚することになる。父——アドラー男爵に報告しなければならないしな」
 
 そう言う鷹島さんの声は少し沈んでいた。
 伊津名少将から鷹島さんの過去を教えてもらった私は、彼が複雑な心境でいることがわかる。けれど鷹島さんはそれを知らないのか、私に心配をかけまいと冷静な表情を崩さない。
 
「アドラー男爵は男爵ではあるが、陸軍にとっては大恩人。月守公爵といえど無下に扱うことはできない。ここに居れば安全だ」
 
 ああ、この人は私のために、自分を捨てた父の威光を使おうとしてくれているのだ。
 憎いかもしれない、悔しいのかもしれない、私には到底理解できない複雑な感情を押し殺して、私のために動いてくれている。

「鷹島、さん……っ」
「怯えなくていい、もう大丈夫だから」
 
 ちがうんです。怖いものなんて、もうない。
 私のために身を削ってくれるあなたのために、私も強くなりたい。そう願う心で、胸がいっぱいになってしまったのです。
 そんな言葉は声にならず、私は強い意志を宿した瞳で鷹島さんを見つめる。
 若草色の瞳と視線が合うと、鷹島さんは照れたように目を伏せる。彼の白い首筋はチョーカーがまかれているが、隠しきれない私の小さな歯型がちらりと見える。
 それは、彼が私の物である証。

「私、もっと強くなります」
「弱くてもいいんだ。足りないものは夫婦で補えばいいのだから」
「で、でも。鷹島さんにもらってばかりですから……!」
「もっと与えたいくらいだ。まだ足りない」
 
 私たちはふふ、と笑い合って食事を再開する。
 窓の外では小鳥が囀り、木漏れ日がぽかぽかと、幸せな食卓を照らしていた。