今まで母が丁寧に梳かしてくれていた私の髪が、鷹島さんが触れてくれた髪が、刃の冷たい感触とともに切り裂かれていく。
「ああっ……!」
私の悲鳴など意に介さず、冨佐子様は狂ったように鋏を動かす。
抵抗しようと暴れるたびに侍女たちの力が強まり、関節が軋む。畳の上には、無残に切り落とされた私の髪の毛が、黒い塊となってバラバラと落ちていった。
肩のあたりで不揃いに切り裂かれた髪が、頬を冷たく打つ。
(ああ……)
絶望で視界が滲む。抵抗する力も抜け、私はただ、ボロボロと涙をこぼすことしかできなかった。
しかし、床に散らばる髪の毛を見下ろしても、冨佐子様の目の奥にある狂気は一切晴れていなかった。
彼女の荒い息遣いが聞こえる。血走った瞳が、切り刻まれた髪の下から覗く『私の顔』をじっと見つめていた。
「……生意気な目」
「え……?」
「……そうよ、その顔。母親に似たそのいやらしい顔で、あれをそそのかしたのね」
冨佐子様の手が震えていた。
チャキ、と。開かれたままの裁ち鋏の鋭い先端が、私の顔へと向けられる。
「この顔があるから、いけないのよ」
「ふさ、こ、さま……?」
「二度と、人前に出られない顔にしてあげるわ!!」
憎悪に染まった声とともに、鋭く尖った刃先が、私の右頬めがけて勢いよく振り下ろされた。
「やめてえっ!!」
刃の切っ先が、肌を掠める。
顔面が傷つくことは避けられたが、顔を庇おうとした手に鮮烈な痛みが走る。
ぼたぼたと血が流れる音がする。左手が真っ赤に染まっており、買ってもらったばかりの真っ白なワンピースが血に染まった。
「ちっ! 避けるなんて、生意気よ……!」
「冨佐子様……もう、それくらいに……」
「うるさい! あんたたちがしっかり押さえないからよ!」
血を見て怯える侍女たちとは対照的に、冨佐子様は余計に興奮してしまったのだろう。
再び裁ち鋏を構えると、今度こそ私の顔めがけて振り下ろす。
鈍い銀色が、夕焼けの陽光を浴びて怪しく光っているのが、ぼんやりと視界に映った。
――その時だった。
私の中で、何かが「カチリ」と音を立てて切り替わった。
下腹部の奥底から、激しい熱が背骨を伝って一気に脳天へと駆け上がっていくのを感じる。
まるで、血の匂いが呼び寄せてはいけない獣を呼んだかのような——
「やめて」
無意識のうちに、私の唇から零れ落ちた短い一言。
それは悲鳴でも、懇願でもなかった。ひどく低く、冷たく、そして場違いなほど静かな――絶対の『命令』だった。
その声が空気を震わせた瞬間。
ピタリ、と、私の顔の寸前で、鋭い裁ち鋏が止まった。
「……え?」
目を開けると、冨佐子様が信じられないものを見るような目で私を見下ろしていた。いや、違う。彼女の瞳孔は極限まで見開き、その顔からはさぁっと血の気が引いている。
かちゃかちゃと金属の音が鳴る。彼女が握りしめた鋏が、小刻みに震えて鳴っていた。
冨佐子様の全身が、激しく痙攣していた。
「あ……、あ、ああ……ッ」
喉の奥から引き攣った空気が漏れ、冨佐子様はまるで操り糸を切られた人形のように、その場にガクンと腰を抜かした。手から滑り落ちた重い鋼の鋏が、鈍い音を立てて畳に転がる。
私を押さえつけていた侍女たちも、いつの間にか手を離していた。皆、目を見開き、呼吸すら忘れたように硬直している。
何が起きているのか、私自身にもわからなかった。
ただ、体が勝手に動いた。
私はゆっくりと立ち上がり、畳の上でガタガタと震え、見上げてくる冨佐子様を見下ろした。彼女の首筋――無防備に晒された項へと、無意識に手を伸ばす。
「ひッ――!」
血で濡れた手が冨佐子様の項に触れる。首に線を描くようにすう、と指を滑らせる。たったそれだけの行為なのに、強烈な電撃が走ったかのような衝撃が空気を弾いた。
「あ、が……ッ!」
冨佐子様の身体がビクンと大きく跳ねたかと思うと、彼女は白目を剥き、そのまま糸が切れたように畳の上へバタンと倒れ伏した。ピクリとも動かない。完全に意識を失っていた。
「ひぃ、ひぃいいいッ!」
「ゆ、許し……!」
その異常事態を目の当たりにした侍女たちが、悲鳴を上げて恐慌に陥った。
立ち上がることもできず、腰を抜かしたまま這々の体で後ずさる。そして、まるで恐ろしい怪物から逃げるように、泣き叫びながら薄暗い廊下へと這って逃げていった。
侍女としての意地か、どうにか冨佐子様を連れて去っていく姿を、私は呆然と見つめていた。
しんと静まり返った離れの座敷。
床には、無残に切り落とされた私の黒髪と、鈍く光る裁ち鋏が残されている。
「私……いったい……」
自分の手のひらを見つめる。
先ほどまで身体を支配していたあの異様な熱は、もう嘘のように引いていた。残っているのは、荒くなった自分の呼吸の音だけ。
何が起きたのか全く理解できず、その場にへたり込んで時の流れに身を任せる。その時だった。
静寂を破るように、重厚なエンジンの音が外から響いてきた。
タイヤが砂利を踏みしめる音。表門のすぐ前に、一台の車が停まった気配がした。
「ああっ……!」
私の悲鳴など意に介さず、冨佐子様は狂ったように鋏を動かす。
抵抗しようと暴れるたびに侍女たちの力が強まり、関節が軋む。畳の上には、無残に切り落とされた私の髪の毛が、黒い塊となってバラバラと落ちていった。
肩のあたりで不揃いに切り裂かれた髪が、頬を冷たく打つ。
(ああ……)
絶望で視界が滲む。抵抗する力も抜け、私はただ、ボロボロと涙をこぼすことしかできなかった。
しかし、床に散らばる髪の毛を見下ろしても、冨佐子様の目の奥にある狂気は一切晴れていなかった。
彼女の荒い息遣いが聞こえる。血走った瞳が、切り刻まれた髪の下から覗く『私の顔』をじっと見つめていた。
「……生意気な目」
「え……?」
「……そうよ、その顔。母親に似たそのいやらしい顔で、あれをそそのかしたのね」
冨佐子様の手が震えていた。
チャキ、と。開かれたままの裁ち鋏の鋭い先端が、私の顔へと向けられる。
「この顔があるから、いけないのよ」
「ふさ、こ、さま……?」
「二度と、人前に出られない顔にしてあげるわ!!」
憎悪に染まった声とともに、鋭く尖った刃先が、私の右頬めがけて勢いよく振り下ろされた。
「やめてえっ!!」
刃の切っ先が、肌を掠める。
顔面が傷つくことは避けられたが、顔を庇おうとした手に鮮烈な痛みが走る。
ぼたぼたと血が流れる音がする。左手が真っ赤に染まっており、買ってもらったばかりの真っ白なワンピースが血に染まった。
「ちっ! 避けるなんて、生意気よ……!」
「冨佐子様……もう、それくらいに……」
「うるさい! あんたたちがしっかり押さえないからよ!」
血を見て怯える侍女たちとは対照的に、冨佐子様は余計に興奮してしまったのだろう。
再び裁ち鋏を構えると、今度こそ私の顔めがけて振り下ろす。
鈍い銀色が、夕焼けの陽光を浴びて怪しく光っているのが、ぼんやりと視界に映った。
――その時だった。
私の中で、何かが「カチリ」と音を立てて切り替わった。
下腹部の奥底から、激しい熱が背骨を伝って一気に脳天へと駆け上がっていくのを感じる。
まるで、血の匂いが呼び寄せてはいけない獣を呼んだかのような——
「やめて」
無意識のうちに、私の唇から零れ落ちた短い一言。
それは悲鳴でも、懇願でもなかった。ひどく低く、冷たく、そして場違いなほど静かな――絶対の『命令』だった。
その声が空気を震わせた瞬間。
ピタリ、と、私の顔の寸前で、鋭い裁ち鋏が止まった。
「……え?」
目を開けると、冨佐子様が信じられないものを見るような目で私を見下ろしていた。いや、違う。彼女の瞳孔は極限まで見開き、その顔からはさぁっと血の気が引いている。
かちゃかちゃと金属の音が鳴る。彼女が握りしめた鋏が、小刻みに震えて鳴っていた。
冨佐子様の全身が、激しく痙攣していた。
「あ……、あ、ああ……ッ」
喉の奥から引き攣った空気が漏れ、冨佐子様はまるで操り糸を切られた人形のように、その場にガクンと腰を抜かした。手から滑り落ちた重い鋼の鋏が、鈍い音を立てて畳に転がる。
私を押さえつけていた侍女たちも、いつの間にか手を離していた。皆、目を見開き、呼吸すら忘れたように硬直している。
何が起きているのか、私自身にもわからなかった。
ただ、体が勝手に動いた。
私はゆっくりと立ち上がり、畳の上でガタガタと震え、見上げてくる冨佐子様を見下ろした。彼女の首筋――無防備に晒された項へと、無意識に手を伸ばす。
「ひッ――!」
血で濡れた手が冨佐子様の項に触れる。首に線を描くようにすう、と指を滑らせる。たったそれだけの行為なのに、強烈な電撃が走ったかのような衝撃が空気を弾いた。
「あ、が……ッ!」
冨佐子様の身体がビクンと大きく跳ねたかと思うと、彼女は白目を剥き、そのまま糸が切れたように畳の上へバタンと倒れ伏した。ピクリとも動かない。完全に意識を失っていた。
「ひぃ、ひぃいいいッ!」
「ゆ、許し……!」
その異常事態を目の当たりにした侍女たちが、悲鳴を上げて恐慌に陥った。
立ち上がることもできず、腰を抜かしたまま這々の体で後ずさる。そして、まるで恐ろしい怪物から逃げるように、泣き叫びながら薄暗い廊下へと這って逃げていった。
侍女としての意地か、どうにか冨佐子様を連れて去っていく姿を、私は呆然と見つめていた。
しんと静まり返った離れの座敷。
床には、無残に切り落とされた私の黒髪と、鈍く光る裁ち鋏が残されている。
「私……いったい……」
自分の手のひらを見つめる。
先ほどまで身体を支配していたあの異様な熱は、もう嘘のように引いていた。残っているのは、荒くなった自分の呼吸の音だけ。
何が起きたのか全く理解できず、その場にへたり込んで時の流れに身を任せる。その時だった。
静寂を破るように、重厚なエンジンの音が外から響いてきた。
タイヤが砂利を踏みしめる音。表門のすぐ前に、一台の車が停まった気配がした。


