虐げられた小狸姫は冷徹軍神さまの番

(本当に、着させてもらうことになっちゃった……)

 店員さんの手慣れた手つきで、くたびれた着物を脱ぎ、真っ白なワンピースに袖を通す。上質なシルクの滑らかさと、繊細なレースが肌に触れるたび、なんだか自分が自分ではなくなっていくような不思議な感覚がした。

「お嬢様、とてもよくお似合いですよ。お連れ様も、きっとお喜びになります」

 店員さんのご厚意で、薄く化粧をしてもらい、伸ばしっぱなしになっていた黒髪もゆるく編み込んでもらった。試着室の鏡に映る私は生まれ変わったかのように別人になっている。
 店員さんに背中を押され、恐る恐る試着室のカーテンを開ける。
 鷹島さんは、店のソファに腰掛けて静かに待っていた。カーテンが開く音に顔を上げ、私を見た瞬間——彼の中で時が止まったように、ピタリと動きが止まる。

「あの……着替え、ました……」

 恥ずかしくて俯き、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
 しかし、立ち上がった鷹島さんは私の前まで歩み寄ると、静かな、けれど熱を帯びた碧玉の瞳で私を真っ直ぐに見下ろした。

「……綺麗だ」
「えっ……」

 彼からこぼれ落ちた素直な賛辞に、心臓が大きく跳ねる。
 鷹島さんは私から視線を外さないまま、そばに控えていた店員さんに声をかけた。

「これを貰う。このまま着ていくから、元の服は包んでくれ」
「かしこまりました! 靴や帽子も、お洋服に合うものを見繕いましょうか?」
「ああ。すべて頼む」
「た、鷹島さん!? そんな、全部だなんて悪いですよ、私……!」

 私が慌てて止めに入ろうとしたが、鷹島さんは「俺がそうしたいだけだ」と短く返し、全く取り合ってくれなかった。
 鷹島さんがお会計をしている間に店員さんが靴やリボンを見繕ってくれている。私は恐縮して小さくなりながら、鷹島さんのご厚意に甘えることにした。

「あの……本当に、ありがとうございます……」
「俺がしたくてしただけだ。次、行くぞ」
「つ、次って……」
「食事をしよう」
 
 店を出た私は、再び深く頭を下げた。しかし鷹島さんは気にすることなくさっさと歩きだしてしまう。
 小走りで追いかける私の頭には白いリボン、足元には少しだけ背伸びをしたヒールの紅い靴。
 隣を歩く鷹島さんは隙のない軍服姿。その隣を、ドレスのような洋装で歩いている。

(まるで、王子様とお姫様みたい……)
 
 そう思うと、足取りがふわりと軽くなり、自然と笑みがこぼれた。

「やっと笑った」
「ひゃうっ」

 ぼんやりとしていると、鷹島さんが私の顔をのぞき込んでいた。突然目の前に現れた彫刻のような御顔に、思わず間抜けな声が出る。
 
「あなたの顔は、泣きそうな顔で俯いているか、熱に侵されて俺を支配するかの、どちらかだったからな」
「その節は本当に……すみません……」
「笑っている方が美しい」
「そ、そんなこと……」

 私なんかよりも、薄く微笑む鷹島さんの方が何倍も綺麗だというのに。鷹島さんは薄い唇で、私が喜ぶ言葉を伝えてくれる。
 鷹島さんは私の涙ぐんだ顔に気づいたのか、少しバツが悪そうにふいっと顔を逸らすと、颯爽と前を歩き出してしまった。

「先を急ぐぞ」
「あ、待ってください……!」

 鍛え上げられた軍人である彼の歩幅は広く、歩く速度も速い。慣れないヒールの靴を鳴らしながら、私は大きな背中を見失わないよう、せっせと小走りで後を追いかけた。

 週末の銀座の目抜き通りは、多くの人で賑わっていた。
 その人混みの中でも、長身で隙のない軍服姿の鷹島さんは酷く目を惹く。すれ違う人々が自然と道を譲り、特に女性たちは色めき立って振り返っていた。

「見て、鷹島大尉よ……!」
「生で見ると、なんて精悍で美しいの……」
「でも、隣にいるあの子は誰かしら? ……妹君?」
「ご兄妹で仲がよろしいのね、素敵だわ」

 日傘や扇子の陰から漏れ聞こえるひそひそ声に、胸の奥がチクリと痛んだ。
 綺麗に着飾らせてもらっても、やはり他の人から見れば、私は彼の隣に立つ資格のない「ただの子供」に見えるのだろう。
 きゅっと唇を噛みしめる。けれど、前を歩く彼の堂々とした背中を見ていると、不思議と悲しさは薄れていった。

(やっぱり鷹島さんは、誰から見ても素敵な人なんだ)

 私のことなどどうでもいい。鷹島さんが褒められていることが自分のことのように誇らしくて、嬉しかった。
 しかし、そんなふうにひとりで勝手に浮かれていたのがいけなかったのだろうか。
 ちょうど路面電車が停留所に停まり、どっと現れた人波が私たちを遮るように流れ込んできた。

「あ……」

 人混みに押し流されそうになり、よろけた拍子に鷹島さんの背中がふっと視界から消えてしまう。

(は、はぐれた……!)

 ぼんやりしていたら鷹島さんとはぐれてしまった。
 間抜けすぎる。十五にもなって迷子になるなんて。
 心臓がばくばく鳴った。

(と、とにかく追いかけよう。鷹島さんは目立つから、すぐに見つかるはず……!)

 そう思った瞬間、どん、と誰かがぶつかってきた。

「きゃっ」
 
 私はよろめき、地面に膝をつく。
 買ってもらったばかりの白いワンピースに、土が付いてしまった。

「あっ……服が……」
「おい、往来でボーっとしてんじゃねえ!」

 ぶつかってきた相手は、赤い顔をした男だった。
 薄汚れた着物に、崩した帯。きつい酒の匂いがして、足元がおぼついていない。
 
「呆けてんじゃねえぞガキ! あーあ、汚れちまったじゃねえか!」
「ご、ごめんなさい……」

 突然のことに全身が固まる。
 震える声で、それでもどうにか謝罪の言葉を述べる。
 けれど男はそれでは引いてくれず、じろじろと頭から足先までを舐める様に眺めてくる。

「へえ……ずいぶん上等な格好してるじゃねえか」

 男の狙いがわかった瞬間、ぞっとした。