女と契る鬼神があるものか、と事あるごとに言われる。
では、後宮へ押し込められてから夜ごと夢路を辿って来る、これは何なのか。
こちらを呼び、眠りの奥へ手を伸ばしてくるもの。
あれが鬼神でないなら、何なのだ。
あれが鬼神でありながら、契約できぬのであれば。
自分は一体何のためにここまで耐えてきたのか。
ただでさえ眠りは浅く、細い。
そこへ毎夜のように、何かが入り込んでくる。
夢とも兆しともつかぬものが、文子の名を呼ぶ。
今夜こそ糸を垂らすのだ。
祓うのではなく、退けるのでもない。
捕らえ、真名を問い、契る。
目蓋は重い。
思考も疾うに擦り切れている。
そろそろ、途切れ途切れの眠りだけでは保たない。
式神があれば、この左遷された後宮からも抜け出せる。
陰陽師としての証を、今度こそ陰陽寮に突きつけてやる。
文子は、文机の抽斗を開けた。
恰度昨日、行き合った紬路に、眠れぬ愚痴を零したばかりだった。
聞くなり笑って、紬路はある品を置いていった。
抽斗の奥へ指を入れ、それを取り出す。
料紙に包まれた赤土。
それから、細く巻かれた苧環。
商いの見本として取り寄せられたものだろう。
紬路は相変わらず、気さくで付き合い易い姫だった。
――三輪山の式神婚の話を知っているでしょう。
――夜ごと通う男の正体を知るため、麻糸を衣に留め、糸を辿った姫の話よ。
――ならば、その鬼神にだって同じことをすればいいのよ。
赤土は、鬼神の足跡の形を床に留めるため。
苧環は、夢の中の相手へ結ぶため。
文子が及び腰なのを見て取ると、紬路は涼しい顔で畳み掛けた。
――式神契約をしてくれる鬼神があるものか、と言われたのでしょう。
――気配があるのに沙汰がない鬼神など、赤い糸で捕まえてしまいなさいな。
――鬼神も殿方も、待っているのみでは来ませんもの。
殿方を捕まえるなど、まったく東宮妃とは思えぬ物言いだった。
だが、殿方など冗談ではない。
陰陽寮で浴びせられてきた数々の嘲りが、すぐに甦る。
今の文子にとって、男と聞けば、先ず嫌悪が立った。
それでも鬼神ならば、まだ話は判る。
文子は式神が欲しい。
欲しくて、欲しくて、堪らなかった。
心のどこかでは、望んでいたのだ。
待つのではなく、こちらから手を伸ばすことを。
あの夢の主を捕らえ、真名を問い、その正体を知ることを。
文子は赤土を小皿に移し、寝所の四隅へ置いた。
灯台の火を少し落とす。深い眠りに沈みやすいよう、衣を軽くする。
苧環の糸先を、左の手首へ結ぶ。
もう一方の端は、枕の下へ隠した。
夢の中で相手に触れられたなら、この糸を結ぶ。
たとえ夢であっても、鬼神がこちらへ通う道筋があるなら、赤く染まった糸でその道を辿れる筈だ。
莫迦げている。
そう思いながら、文子は横になった。
それでも、男たちに嗤われているままよりはよい。
後宮の姫たちに便利な札として扱われるよりはよい。
先の洞見が観えなくなったのなら、自分の手で糸を垂らすしかない。
では、後宮へ押し込められてから夜ごと夢路を辿って来る、これは何なのか。
こちらを呼び、眠りの奥へ手を伸ばしてくるもの。
あれが鬼神でないなら、何なのだ。
あれが鬼神でありながら、契約できぬのであれば。
自分は一体何のためにここまで耐えてきたのか。
ただでさえ眠りは浅く、細い。
そこへ毎夜のように、何かが入り込んでくる。
夢とも兆しともつかぬものが、文子の名を呼ぶ。
今夜こそ糸を垂らすのだ。
祓うのではなく、退けるのでもない。
捕らえ、真名を問い、契る。
目蓋は重い。
思考も疾うに擦り切れている。
そろそろ、途切れ途切れの眠りだけでは保たない。
式神があれば、この左遷された後宮からも抜け出せる。
陰陽師としての証を、今度こそ陰陽寮に突きつけてやる。
文子は、文机の抽斗を開けた。
恰度昨日、行き合った紬路に、眠れぬ愚痴を零したばかりだった。
聞くなり笑って、紬路はある品を置いていった。
抽斗の奥へ指を入れ、それを取り出す。
料紙に包まれた赤土。
それから、細く巻かれた苧環。
商いの見本として取り寄せられたものだろう。
紬路は相変わらず、気さくで付き合い易い姫だった。
――三輪山の式神婚の話を知っているでしょう。
――夜ごと通う男の正体を知るため、麻糸を衣に留め、糸を辿った姫の話よ。
――ならば、その鬼神にだって同じことをすればいいのよ。
赤土は、鬼神の足跡の形を床に留めるため。
苧環は、夢の中の相手へ結ぶため。
文子が及び腰なのを見て取ると、紬路は涼しい顔で畳み掛けた。
――式神契約をしてくれる鬼神があるものか、と言われたのでしょう。
――気配があるのに沙汰がない鬼神など、赤い糸で捕まえてしまいなさいな。
――鬼神も殿方も、待っているのみでは来ませんもの。
殿方を捕まえるなど、まったく東宮妃とは思えぬ物言いだった。
だが、殿方など冗談ではない。
陰陽寮で浴びせられてきた数々の嘲りが、すぐに甦る。
今の文子にとって、男と聞けば、先ず嫌悪が立った。
それでも鬼神ならば、まだ話は判る。
文子は式神が欲しい。
欲しくて、欲しくて、堪らなかった。
心のどこかでは、望んでいたのだ。
待つのではなく、こちらから手を伸ばすことを。
あの夢の主を捕らえ、真名を問い、その正体を知ることを。
文子は赤土を小皿に移し、寝所の四隅へ置いた。
灯台の火を少し落とす。深い眠りに沈みやすいよう、衣を軽くする。
苧環の糸先を、左の手首へ結ぶ。
もう一方の端は、枕の下へ隠した。
夢の中で相手に触れられたなら、この糸を結ぶ。
たとえ夢であっても、鬼神がこちらへ通う道筋があるなら、赤く染まった糸でその道を辿れる筈だ。
莫迦げている。
そう思いながら、文子は横になった。
それでも、男たちに嗤われているままよりはよい。
後宮の姫たちに便利な札として扱われるよりはよい。
先の洞見が観えなくなったのなら、自分の手で糸を垂らすしかない。



