文子姫の式神婚 〜悪役令嬢の後宮陰陽師は、鬼神の執着から逃げられない〜

 昭陽北舎に引き返した文子(あやこ)は、苛立たしげに扇を投げ出した。

 志乃から借りた扇は文机の端で跳ね、ぱちり、と骨を鳴らした。
 恰度(ちょうど)外廷(がいてい)へ出ようとしていた志乃が、戸口で肩を()ねさせた。

 どのみち、陰陽道を使って後宮の(いさか)いを治める役回りなのだ。
 陰陽寮への出仕(しゅっし)が遅れたところで、誰も案じも(とが)めもしない。

 また帝妃付きの占い師殿が、後宮の揉め事に足を取られている。
 そう考えて、袖の陰でほくそ笑むだけに違いなかった。

文子(あやこ)……怒ってる?」
「怒っていないと思う?」
「思わない……」

 珍しいことに、志乃はしおらしい顔をしていた。
 いつもなら、助かったわァ、さすが親友、などと笑って逃げるところだ。
 けれど今は、さすがに後ろめたいものがあるらしい。

「でもね、文子がいてくれたおかげで、あの四人が初めて同じ方を見たのよ。後宮としては、ものすごく助かっていて……ね」
「わたくし一人を的にして、ね」
「……ごめん」

 謝るなら初めから巻き込まないでほしい。

 そう言いかけた時、几帳の向こうから衣()れがした。
 紬路(つつじ)が朝の支度を済ませ、几帳の陰から姿を見せた。

「志乃。あなた、外廷(がいてい)へ行くところではなくて?」

 紬路(つつじ)に言われ、志乃ははっとしたように袖を直した。

「そ、そうだったわ。朝議(ちょうぎ)に遅れるところだった」

 志乃は袖を直しながら、わざとらしく姿勢を整えた。
 気まずい場から抜け出せる口実を得て、胸を撫で下ろしている魂胆が透けた。

「逃げる気ね」
「違うわ。仕事よ」

 言いながら、志乃はすでに半歩、敷居の方へ身を向けている。

「……文子(あやこ)、本当にごめんね」

 振り返った顔には、濃い罪悪感の色があった。
 だが、その奥には、文子(あやこ)なら何とかできるという甘えも残っている。
 まったく、この娘は昔からこういうところのみ素早い。

「貸しにしておくわ」
「増えてる……」

 志乃は形ばかりは落胆している。それでも、足取りは軽い。
 謝罪と逃亡を同時に済ませ、志乃は颯爽(さっそう)外廷(がいてい)へ出て行った。