文子姫の式神婚 〜悪役令嬢の後宮陰陽師は、鬼神の執着から逃げられない〜

「では、後宮の品位を損なう遊びは、今宵限りにしていただきます」
「品位を損なうとは、随分なお言葉ですこと。ただの札遊びでございましょう?」
「花歌留多(かるた)遊びを(とが)めているのではございません」

 文子(あやこ)は一歩、座中へ踏み込んだ。
 裾が揺れ、緋袴(ひばかま)の赤が、座に着いた帝妃たちの視界へすっと入り込む。

 華やかな衣に囲まれた中で、その単色の緋はかえって目立った。
 絵羽の花よりも、花札の絵柄よりも、よほど強い。

 場に浮ついていた色を、一筋で断ち切る赤だった。

「帝の御衣(おんぞ)まで勝敗で左右するのは、遊びの域を越えています」

 梅壺の扇が止まった。
 誰が漏らしたの、と言いたげな目だった。
 都合の悪いことが表へ出るたび、こうして周囲の者を睨んできたのだろう。

 文子(あやこ)は、涼しい顔で受け止めた。

 東宮(とうぐう)妃の紬路(つつじ)よ。
 あなたがたとは違って、東宮(とうぐう)殿下が(ただ)一人、御心(みこころ)までお預けになる姫だわ。

 心の内でそう返したが、もちろん、口には出さない。

主上(おかみ)御召(おめ)しになる衣を、札の勝ち負けで奪い合う。――帝妃たる御方の(たしな)みとして、それを誇れるのでございますか」
「まあァ。ほほほほ」

 梅壺が高らかに笑った。

 その笑い方一つで、場の空気が華やかに毒を含む。
 扇の陰から(のぞ)く目は、少しも怯えていない。

 むしろ、先程の勝負も含めて文子(あやこ)(たしな)めに来たことを愉しんでいるようだった。

 退屈なのだ。
 物の()だと騒ぐのも、花札へ手を伸ばすのも、根は同じ。
 租税で飾られ、国の(ろく)で養われ、なお梅壺は退屈を持て余している。
 だから一介の陰陽師の叱責さえ、今は新しい札の一枚に見えているのだろう。

 全く、もう、志乃ったら。
 貸本(かしほん)の物語によく出て来る悪役令嬢など、うってつけの御方がここにいるではないか。

「陰陽師さまは、花札にも吉凶をお付けになりましたの? 確か、花札占いでは……桐が凶札(きょうさつ)でしたわね!」

 それは桐壺への当てこすりであると同時に、文子(あやこ)への(あなど)りでもあった。
 横合いから刺された桐壺更衣が、はっきりと気色(けしき)ばんだ。

 余興程度の花札占いと、陰陽道を同じ(はかり)に載せる。

「吉凶を付ける必要もございません。これは、はっきりと凶です」

 文子(あやこ)は、膝前に置いた扇を取り上げた。
 指先で親骨を軽く払う。
 すると扇は、するりと音もなく開いた。

 扇の縁を唇の高さへ上げ、伏せていた眼差しを梅壺へ流す。
 それは、裁きを下す前の、ひどく美しい姫の顔だった。

「だって、皆さまが勝手に凶兆を育てておいでですもの」

 文子(あやこ)(のぞ)いて、その場の全員が息を()んだ。

 ここで目を伏せれば、陰陽師としても華族の娘としても敗けだ。
 後宮へ呼ばれた、ただの扱いやすい小娘になってしまう。

 嫌われることが判っていながらも立つより(ほか)はない。
 人の顔色をうかがわず、誰かが場に刃を入れなければ後宮の規律は(ただ)せまい。

 ああ、志乃の言う嫌われ役とはこういうことか、と文子(あやこ)は思った。
 腹は立つが、向いていないとは言い切れないのがさらに腹立たしい。

「今夜はもうお開きにしましょう」
文子(あやこ)

 志乃が小さく名を呼んだ。
 未練がましく札を見ている。

「志乃」
「はい……」

 志乃は、未練がましく札の盆を見た。
 取り締まる側の典侍(ないしのすけ)が、一番遊び足りない顔をしている。

 文子(あやこ)が無言で扇を向けると、志乃はすごすごと手を引いた。