朱籬姫の嫁入り 〜売られた花魁は、大妖狐の番として囲われる〜

「夜の客に、座敷で舞や三味(さみ)を披露する商売を始めたそうだな」
「ええ。女の身体ではなく、芸を売る街にします」
「またまたァ、大きく出たァ」

 三津田の笑みは、ますます大きく広がった。
 果敢に(いど)む者の直向(ひたむ)きさを、心から歓迎する顔だった。

 先駆者だけが総取りできることを知る身なれば、勝負に打って出る者を笑うなどあり得ない。
 むしろその危うさごと値踏みし、どこへ(ぜに)を張れば最も大きく返るかを見極めてきた者の鷹揚(おうよう)な笑みを浮かべている。

「……水揚げのこと、恨んでおいでで?」

 先に口にしたのは、珠璃(しゅり)だった。
 この初老の男が、その話をする心算(つもり)で来たのなら、待つほどこちらが不利になる。
 ならば、先に手の内を明かしてしまった方がよい。

 三津田は意外そうに目を細めた後、くつくつと低く笑った。

「惜しいとは思った」

 正直な返事だった。

「だが、恨むほど暇な身ではない。遊び(ほう)けた色ぼけ(じじい)でもあるまいし、女に困ってもいない。……それに物の()が出て、紅籬楼(こうりろう)の格子が丸ごと焼け落ちたと別筋からも聞いている。深朱(みあけ)花魁(おいらん)道中での口上を信じた根拠も、それだよ」

 そこで三津田は抜け目ない表情になった。

「商売人は流れた話にいつまでも手を合わせてはおられん。――流れた水が、次にどこで大河になるかは見るがな」

 三津田は、何かが頓挫(とんざ)したからといって、そこに長く膝をついている人間ではない。
 挫折は挫折として見切り、失った分は次で倍にして取り返す。
 そういう男なのだ。

「わたしが、大河に見えるので?」
「勿論だ」

 三津田は即座に答えた。

「妖狐の(つがい)となり、朱籬廓(しゅりかく)を変え、遊女の身体ではなく芸を売る街にすると言う。そんな娘は、一人として他にある(わけ)がなかろう」

 その調子に、かつて値踏みされたときの、肌の上を這うような不快感はなかった。

 それでも値踏みはされている。
 ただし今、見られているのは身体ではない。
 この店。この街。この先に動く金と人と噂。
 そして、珠璃(しゅり)自身の才覚だった。

人間(ひと)(あやかし)は、これから否応なく混じる」

 三津田は椀の湯気を眺めながら言った。

「押し留められぬ流れに逆らう者は、先に腐る。人間(ひと)(あやかし)が混じるというなら、真っ先に橋を掛けた者が勝つ。簡単な道理だ」

 橋。
 その言葉に、珠璃(しゅり)は一瞬、橋姫(はしひめ)の濡れた白い後ろ姿を思い出した。
 三津田は、すでに巨万の富を築き上げた男であることを隠そうともしない。

「……危うい橋でありんす」
「危うい橋ほど、通れる者が少ない。だから莫大な(ぜに)になるのだぞ。遅参多数派(レイトマジョリティ)では利益が薄い」

 この男は、完全な善人ではない。
 だが生き残る道を先に読み解く目がある。
 金の動き、人の欲、噂の向かう先を嗅ぎ取る鼻がある。

 たとえ眉唾物と尻込みされる取引を前にしても、一歩も退かぬ度胸があるのが三津田だった。
 遠い()つ国との貿易で、距離も言葉の壁も越えて来た男だ。
 いまさら(あやかし)を相手取ることくらいで、足を(すく)ませはしない。

 それもまた、色街を変えるために今の珠璃(しゅり)に必要な力なのだった。
 人間(ひと)の魂に、良いも悪いもない。
 清いだけの者も、(にご)っただけの者もいない。
 慈しむ和魂(にきたま)も、荒ぶる荒魂(あらたま)も、同じ身の内で息づいている。
 三津田の強欲も抜け目のなさもまた、使いどころでは道具になるのだ。

 紅扇姐(こうせんねえ)さまを救うのに、珠璃(しゅり)は間に合わなかった。
 それだけは、どれほど願おうとも、取り返しがつかない。
 紅扇姐(こうせんねえ)さまがどこで何を見て、何を思い、どのように消えたのか、珠璃(しゅり)には今から知りようがない。

 けれど同じように消えていく女を、これ以上一人も出したくなかった。
 見世の奥で名を変えられ、値を付けられ、帳面に縛られたまま、黒いどぶ溝へ沈むように居なくなる女を。
 そのために花魁(おいらん)であった過去も、(くるわ)で覚えた芸も、男の目を読む術も、すべて使うしかないというのなら、やってのけるしかない。

 珠璃(しゅり)の目には、三津田が嘘八百を並べているようには見えなかった。
 帳面の向こうにいる女たちを、一人ずつこちら側へ引き戻すには、この通人(つうじん)の絶大な影響力を利用するべきなのだろうと思う。