紅扇屋の隣の小料理屋は、やがて珠璃の居場所になった。
昼前になると、葭海の方から小鬼の団吾が荷を担いで来る。
背中には大根、蕪、冬菜、牛蒡など。
ときどき葛葉も同行し、荷の中身を得意げに説明した。
「この蕪は旨いぞ」
「姫さまが昨日、葉付きがよいと言いなすったので、捥いで参りました」
「わしは一言申したまでじゃ」
「一言が御下命ですぞ」
そんなやり取りをしながら、二人は裏口へ入る。
闇堕ちしていない人間の目には、団吾は背の低い働き者の子どもに見えるようだ。
葛葉は狐耳も尻尾も見えぬ、少し生意気な良家の少女に見えるらしい。
蘭の猫耳も尻尾も、多くの客には見えない。
客の目にはただ、火の扱いが妙に巧い、炭火焼き鳥屋の看板娘と映っているらしい。
串を返す手つきは早く、炭を起こせば一息で火が立つ。
客たちは、器用な娘だと笑って酒を進める。
小料理屋の竈からは、蘭が醤油を炙っている匂いが立っていた。
「珠璃ちゃん、今日のお座敷は二組にゃ。一組は商家の旦那衆、一組は三津田さま筋にゃ」
「舞妓たちにも伝えてあげて」
「はーい、朝飯前にゃ」
身体は売り物ではない。
かつてそれが当然だった時代を客に懐かしむように言われるたび、まだ受け入れられない。
けれど、揺れながらも立てるようになってきた。
夜になると、珠璃は三味線を取った。
客は膳を前に座り、蘭の料理に舌鼓を打つ。
団吾の運んだ野菜は冬の味が濃く、どれも絶品に誂えられている。
珠璃は小唄を歌った。
喉を売るのではない。
身を誘うのでもない。
ただ、覚えた芸を、芸として差し出す。
紅扇屋に最後まで勤めていた遊女たちは、一度は夜に紛れて散った者まで、珠璃のところへ一人、また一人と顔を出すようになっていた。
行く当てなど、悲しいほどに誰にも多くはなかったのだ。
「雇っておくれよ」
「飯炊きでも、掃除でもいい」
「もう格子には座りたくないんだ」
珠璃は、蘭と相談して、一つずつ決めていった。
「働くなら、働いた分を払います」
「そんなの当たり前だろ」
女の一人が泣き笑いをした。
冗談の心算だったのだろう。
けれど、その当たり前があまりにも遠かった。
働いても借りが増え、食べても借りが増え、着ても借りが増える。
身体ごと帳面へ沈められてきた女たちには、働いた分を受け取るという当たり前さえ、遠い夢物語だったのだ。
昼前になると、葭海の方から小鬼の団吾が荷を担いで来る。
背中には大根、蕪、冬菜、牛蒡など。
ときどき葛葉も同行し、荷の中身を得意げに説明した。
「この蕪は旨いぞ」
「姫さまが昨日、葉付きがよいと言いなすったので、捥いで参りました」
「わしは一言申したまでじゃ」
「一言が御下命ですぞ」
そんなやり取りをしながら、二人は裏口へ入る。
闇堕ちしていない人間の目には、団吾は背の低い働き者の子どもに見えるようだ。
葛葉は狐耳も尻尾も見えぬ、少し生意気な良家の少女に見えるらしい。
蘭の猫耳も尻尾も、多くの客には見えない。
客の目にはただ、火の扱いが妙に巧い、炭火焼き鳥屋の看板娘と映っているらしい。
串を返す手つきは早く、炭を起こせば一息で火が立つ。
客たちは、器用な娘だと笑って酒を進める。
小料理屋の竈からは、蘭が醤油を炙っている匂いが立っていた。
「珠璃ちゃん、今日のお座敷は二組にゃ。一組は商家の旦那衆、一組は三津田さま筋にゃ」
「舞妓たちにも伝えてあげて」
「はーい、朝飯前にゃ」
身体は売り物ではない。
かつてそれが当然だった時代を客に懐かしむように言われるたび、まだ受け入れられない。
けれど、揺れながらも立てるようになってきた。
夜になると、珠璃は三味線を取った。
客は膳を前に座り、蘭の料理に舌鼓を打つ。
団吾の運んだ野菜は冬の味が濃く、どれも絶品に誂えられている。
珠璃は小唄を歌った。
喉を売るのではない。
身を誘うのでもない。
ただ、覚えた芸を、芸として差し出す。
紅扇屋に最後まで勤めていた遊女たちは、一度は夜に紛れて散った者まで、珠璃のところへ一人、また一人と顔を出すようになっていた。
行く当てなど、悲しいほどに誰にも多くはなかったのだ。
「雇っておくれよ」
「飯炊きでも、掃除でもいい」
「もう格子には座りたくないんだ」
珠璃は、蘭と相談して、一つずつ決めていった。
「働くなら、働いた分を払います」
「そんなの当たり前だろ」
女の一人が泣き笑いをした。
冗談の心算だったのだろう。
けれど、その当たり前があまりにも遠かった。
働いても借りが増え、食べても借りが増え、着ても借りが増える。
身体ごと帳面へ沈められてきた女たちには、働いた分を受け取るという当たり前さえ、遠い夢物語だったのだ。



