朱籬姫の嫁入り 〜売られた花魁は、大妖狐の番として囲われる〜

 珠璃(しゅり)は反射的に手で払い除けようとした。

 赤い玉は一度離れ、また寄ってくる。

 袖へ。肩へ。膝へ。
 短い小袖の裾から(のぞ)く足首へ。

 まとわりつかれるのは(いや)だ。
 肌の上に残られるのは(いや)だ。
 知らない他人(ひと)の痛みを、勝手に身体へ置かれるのは(いや)だ。

 珠璃(しゅり)はもう一度手を払った。

 避けるように後ずさった足首へ、こつんと何かが当たる。

 地面へ斜めに立てかけられた古びた大傘だった。
 団吾(だんご)が身体を小さく丸め、その陰に隠れている。

 油を引いた厚い紙が、月明かりに紅く照っていた。
 柄は団吾の背丈ほどもあり、骨も太い。
 身を隠すには、たしかに恰度(ちょうど)よい。

 隠れるための傘なら。
 この身を(けが)れから(さえぎ)るためのものなら。

「ごめんなさい」

 珠璃(しゅり)は、矢庭(やにわ)にその傘を奪った。

 団吾が「へ」と目を丸くする。

 傘は思ったより重い。
 長柄の傘ほど華やかではないが、柄を握ると、手の中に一本の芯が通った。

 赤い(けが)れがまた近付く。

 珠璃(しゅり)は傘を開いた。

 ばさり、と夜が鳴る。

 紅い傘面へ、赤い玉がいくつも触れた。
 触れた端から熱が移る。
 傘の内側へまで、女たちの息が染み込んでくるようだった。

 珠璃(しゅり)は傘を斜めに傾けた。

 (けが)れが滑る。

 払い落とそうとして、手首を返す。
 傘の縁が円を描き、紅い玉がそれにつられて空へ流れた。

 もう一度。

 今度は右から左へ。
 肩口へ寄るものを傘で受け、柄を引いて身体の脇へ逃がす。
 足(もと)へ沈むものを、裾ではなく傘の影で(さえぎ)る。

 赤い玉は、珠璃(しゅり)ではなく傘を追った。

「……これは」

 葛葉(くずは)が息を呑む。

「奉納の舞じゃ」

 珠璃(しゅり)は息を吸った。

 舞おうと思ったのではない。
 奉納など知らない。
 神前に出られる身だとも思えない。

 一つ一つは、団吾(だんご)の大傘を演舞傘に見立てた、ただの払いだった。

 けれど、払えば寄る。
 返せば流れる。
 傘を傾ければ、赤い玉はその縁を追う。

 田の水に、珠璃(しゅり)の姿が映る。

 珠璃(しゅり)の身体は、(くるわ)で仕込まれた舞を覚えていた。
 売られるために覚えたものが、今は里を守るための形に変わっている。

 傘が重い。
 腕が痺れる。
 赤い(けが)れが触れた指先から、知らない女たちの疲れが流れ込む。

 買われた夜。
 捨てられた朝。
 名前を呼ばれず、値のみを数えられた日々。

 それらは珠璃(しゅり)のものではない。
 だが、珠璃(しゅり)のものでもある。

 だから、珠璃(しゅり)にしか(はら)えない。