男はみな、わたしに値をつけるものだと思っていた。
けれど、その妖狐だけは、わたしを価値あるものとして買わなかった――。
そのことを知るまで、わたしは、選ばれることと買われることの違いを知らなかった。
葭津に着いた時、足の下はまだ船だった。
止まったのに、膝が揺れていた気がしたのを覚えている。
誰かが吐いた匂いが髪について、指先でこそいでも消えない。
女衒の一人が早くしろと言った。
早くと言われても、どこへ行けばよいのか知らない。
行李に詰めた物とてない、ただ着の身着のまま辿り着いた。もう帰る家もない。
前の子が降りたから、判らないまま続いて降りた。
そうしなければ、後ろの子に押される。
水際には葦が生えていた。
陽の落ちた暗闇の中でも近くで見れば風に揺れて、手招きしていた。
帰れと言っているのか、来いと言っているのか。
潮、泥、葦、濡れた縄。
何もかもが知らない匂いだった。
ただ一つ丈、知っている匂いがある。
皆の袖に染みる貧しさの匂い。
あれ丈は、ここまでついて来た。
葦原の先に、都の高い屋根と居留地の煉瓦塀が見えた。
何もかもが朱い国の端の向こうに異国の色が混じっている。
どこか行く場所が選べるものなら。
ずっとずっと遠くへ行って了いたい。
灯りを含んだ煉瓦の壁は、照柿に熟れて、手を伸ばせば欠片くらい齧れそうに見えた。
綺麗で、やけに美味しそうで――。
そのときから、妾には異国への憧れが芽生えたのだと思う。
この海の向こうには、知らない色の壁があり、知らない灯りがあり、知らない名で生きられる場所があるのだと。
あの頃の妾は、まだ信じていた。
遠くへ行けば、値のつかない名で生きられる場所が、どこかにあるのだと。
けれど、その妖狐だけは、わたしを価値あるものとして買わなかった――。
そのことを知るまで、わたしは、選ばれることと買われることの違いを知らなかった。
葭津に着いた時、足の下はまだ船だった。
止まったのに、膝が揺れていた気がしたのを覚えている。
誰かが吐いた匂いが髪について、指先でこそいでも消えない。
女衒の一人が早くしろと言った。
早くと言われても、どこへ行けばよいのか知らない。
行李に詰めた物とてない、ただ着の身着のまま辿り着いた。もう帰る家もない。
前の子が降りたから、判らないまま続いて降りた。
そうしなければ、後ろの子に押される。
水際には葦が生えていた。
陽の落ちた暗闇の中でも近くで見れば風に揺れて、手招きしていた。
帰れと言っているのか、来いと言っているのか。
潮、泥、葦、濡れた縄。
何もかもが知らない匂いだった。
ただ一つ丈、知っている匂いがある。
皆の袖に染みる貧しさの匂い。
あれ丈は、ここまでついて来た。
葦原の先に、都の高い屋根と居留地の煉瓦塀が見えた。
何もかもが朱い国の端の向こうに異国の色が混じっている。
どこか行く場所が選べるものなら。
ずっとずっと遠くへ行って了いたい。
灯りを含んだ煉瓦の壁は、照柿に熟れて、手を伸ばせば欠片くらい齧れそうに見えた。
綺麗で、やけに美味しそうで――。
そのときから、妾には異国への憧れが芽生えたのだと思う。
この海の向こうには、知らない色の壁があり、知らない灯りがあり、知らない名で生きられる場所があるのだと。
あの頃の妾は、まだ信じていた。
遠くへ行けば、値のつかない名で生きられる場所が、どこかにあるのだと。



