君と綴る未来 一余命僅かな彼女と一


 長い長い、三年間でした。
 大きな桜の木の下であなたと出会えたあの日のこと、今でも覚えています。
 記憶とは不思議なもので、あなたとの思い出は昨日のことかのように蘇ってきます。
 君と一緒に過ごせた時間、私は幸せでした。
 だから最後まで、私は走り抜くことが出来た。
 生きてください。私の分まで。
 素晴らしい物語をいっぱい書いてください。
 きっとあなたなら素敵な未来を綴ってくれる。そう信じています。では、百年後ぐらいに会いましょう。



「……百年後って、俺いくつだよ?」

 崩れそうな顔を抑え、切れそうに痛む喉を抑え、張り裂けそうな感情を抑え、なんとか振り絞り出した言葉。
 なんだよ、こんな今生の別れみたいな文章。……ふざけんなよ。

「百十八さい? がんばってね」

 また見せてくる、いたずらっ子のような無邪気な笑顔。そこには恨み辛みを一切感じさせることはなく、ただ澄んだ瞳が俺を捉えていた。

「お前、待っててくれるのか?」
「もちろん。いっぱい。かいている、からね」

 ふふっと笑いながら、浅い呼吸を繰り返し、一言ずつ声に出す。
 一刻、一刻と、最期の時は近付いていた。

「……俺だって、覚えてるし。あの時の出会い。昔、考えた小説のワンシーンみたいだったな……」

 普段なら絶対に口に出さねぇ、ヤバすぎる本音。
 あの時、こいつは俺の夢小説から出てきたヒロインじゃねーかと本気で思っちまった。

 こいつは目をキョロっとさせ、そんな話あったっけ? と言いたげな表情を見せてくる。
 だから、話を続けた。

「千文字以下のショートショートだったんだよ。『女子との理想の出会い』をテーマにしたwebコンテストに向けて書いたんだけどよ、まあ段々とフィートアップして千文字じゃ収集つかなくて。おいおい、ただの願望じゃねーかって、お蔵にした夢小説ってやつ?」

 話しているうちに気付く、こいつの目。
 理想だった? と聞きたそうな、ニヤニヤの口元。
 だから、「知るか!」と話を終わらせてやった。

 ……まあ、正直かなり楽しかったな。
 読者受け、コンテストの傾向、受賞を意識した作品作り。
 ただ書きたいだけを詰め込んだ夢小説にそれらは必要なく、思うがままに書いたシチュエーションに理想のヒロインは、俺のストレートを射抜いてる。
 そんな夢みたいな出会い絶対にねぇと現実見ていたつもりだったが、三年後にそんな小説みたいな出会いがホントにあるなんてよ。

「……ねえ、なおき、くん」
「あ?」
「みらい、と。よんでくれる。やくそくは?」

 俺から目を逸らしたかと思えば、唇をキュッとする。途端に頬に赤みが帯び、血色が良くなったような気がした。

「……あっ」

 空調の効いた病室が暑いのか、気付けば俺までも体内の血液循環ってやつが良くなったのか、全身が熱くてしかたがねぇ。
 受賞のドタバタで忘れてんだろうとか甘いこと考えてたが、そうは問屋が下さねーようだ。
 するとこいつは追い討ちをかけるように、頭までゆらゆらと動かしてきやがった。
 やべぇ、頭を撫でるのも覚えてたかぁ! ……あの時はできると思ってたが、すんのか? 俺がぁ?

 俺から目を逸らしつつ、たまにこちらをチラチラと見つめるキラキラとした瞳。
 ……情けねぇが、こいつのそうゆうところに弱いんだよな……。

「み、み。みら、み……い。ミラー?」

 しかし、吃った上に出てきた言葉は意味不明の言葉だった。

「かがみ?」

 眉を下げて、空気を漏らすように笑うが、はぁはぁと切れる息。
 呼吸を繰り返すだけで苦しいだろうに、会話をするなんてこいつからしたら負担であるに決まってる。
 だからこそ、こちらに微笑みかける笑顔が、あまりにも儚げだった。

「んじゃ、頭の方で」

 なんとか、心から笑わせたい。そう思い手を伸ばすが、俺は何を思ったのか手を握り締め毛糸の帽子にコツンと叩いてしまう。

「……こつき?」
「知らねーよ!」
「ふふっ、かわいいね?」

 僅かに聞こえる掠れた声と、いたずらっ子のような笑顔。

「もしかして、からかったのかよ!」
「バレた?」

 口はそう言いたげに動き、肩をすくめるその姿。
 やられたなと思ったが、その表情があまりにも……まあ、可愛くて。特別に許してやることにした。 

「生きてね」

 時間をかけて呼吸を整えたこいつは、また苦しくなるのを承知で声を出した。
 真っ直ぐな瞳で。

「ああ」

 だから俺は、その手を握る。
 冷たい、その手を。

「わたしの、ぶんまで」
「分かってんよ。……もう逃げねぇから、絶対に!」

 人生から。

 俺のバカでかい返答に柔らかな表情を浮かべたこいつは、ただゆっくりと目を閉じていく。
 日に日に冷たくなっていく、こいつの体。なんとか手だけでも温めようと、俺はその骨ばった両手をそっと握り締める。
 するとそれに反応するかのように微笑み、握り返された手の力が抜けていく。

 ──もう、目を覚ますことはないだろう。
 そう感じ取った俺は握っていた片手を離し、こいつの頭にためらうことなく触れた。

「……よく頑張ったな、未来」

 熱い目を冷ますように瞬きを繰り返し、情けねぇ声を出さないようにと鼻を啜り、大きく息を吸ってつっかえてしまいそうな喉から声を押し出す。
 耳元で声をかけ、頭をそっと撫でる。
 もう遅いだろう。だが、意識はまだ途絶えていないかもしれねぇ。そんな思いでひたすら。

 すると閉ざされたはずの瞼は開き、口元が僅かに緩んだ。
 だが握り返された手の力はまた抜けていき、瞼も口元も、もう開くことはなかった。
 だから、俺はその名前を呼び続けた。
 こいつの意識が途絶えるまで、何度も、何度も。


 その日以降。未来の意識は戻らず病状は悪化の一途を辿り、危篤状態となった。
 俺や、こいつの友人たちは未来の母親に許可をもらい、特別に対面させてもらっていた。
 酸素マスクを付けられ、はぁ、はぁ、と必死に息する姿に、母さんが亡くなる前を彷彿させる。
 だが、俺は可能な限り側に居させてもらい、ぼやけて見える彼女に最後まで声をかけ、その手をただ握り締めた。
 こいつが淋しくないように。お前の親父さんが待ってくれているから、大丈夫だ。小説いっぱい書けよ。
 そんな言葉を繰り返すこと、二週間。
 二月に入り、変わらず雪は降り続け、とうとうこの日がきた。

「未来の本、書店に並んだぞ? とうとう夢を叶えたな?」

 平積みされてポップまで付けられた単行本は光り、十代を中心とした読者や、大人が子供に読ませたい本として前評判も良く、注目を集めていたらしい。

 こうして、本を世に出すことが出来た二日後。呼吸は途切れ途切れになり、ただ眠るように静かに、穏やかにその時を迎えた。

 吉永未来。十八歳と二ヶ月。
 あまりにも短い、生涯を終えた。