君と綴る未来 一余命僅かな彼女と一

 変わらずの雪が舞い散る、一月中旬。
 あいつの母親より頼みたいことがあると連絡を受けて、病院へと夜の雪道をただ駆ける。
 真っ暗な海より響きわたる轟々とした海鳴りを聴きながら、風に体を持って行かれないように確かな足取りで。

 消灯時間が過ぎた院内廊下は暗く、本来なら面会時間は終了している。
 しかし吉永未来の面会は夜間も許可されており、それはその時が近いという意味だった。

 部屋の前に佇む人物は廊下の窓より見える雪に視線を向け、手元にある何かを握り締めていた。

「……あ、ごめんなさいね。こんな時間に……」
 小声でそう呟いたあいつの母親は、「面会謝絶」と書かれた病室の引き戸を静かに開け、俺を招き入れてくれた。
 部屋に入れば、引かれた白色カーテン奥より聞こえる心電図モニターの音と穏やかな息遣い。それを聞くだけで、俺の速かった呼吸も自然と落ち着いていく。

「これ、早いほうが良いだろうと出版社の方が送ってくださって……」
 消えそうな声の代わりに手渡されたのは、一冊の単行本。
 蛍光灯の光りで照らされたその表紙は、淡い青空の下に居る学生服を着た男子に、セーラー服姿の女子。
 二人は向かい合っているが、遠目で顔は分からねぇ。だが、その手はしっかり握り合っている。 
 周辺に植えられた満開の桜を見上げているような構図で、その先には浜辺と海が広がっている。
 それは、あの桜の並木道で初めて話した時みたいだった。

 これはいわゆる見本品と言うもので、発売前に作家に送られてくるものらしい。
 この作品を象徴するような表紙絵に、俺は唇を強く噛み締める。

 あいつと俺。
 そうだ、ここから藤城直樹の物語は始まったんだ。
 どうしようもない不貞腐れた男子高生が、直向きな物書きと出会う。そんな青春小説みたいなことが本当に。

「これを、未来に渡してあげてくれないかな?」
 あいつが叶えたかった、最初で最後の夢。
 その瞬間に立ち会う役目も、俺に譲ってくれるのか。

「ありがとう……ございます」
 本心からの言葉だった。

「少し、未来を見ていてもらって良いかな?」
「はい。何かあったら、すぐボタン押します」
「ありがとうねぇ」
 目を細めたあいつの母親は、静かに引き戸を開け病室よりそっと出ていく。
 明るい部屋で眺めたその顔はやつれ、目の下には隈のような黒いものが浮かんでいる。
 あまり、眠れてねぇみたいだな。病室の仕切用カーテンの先に見える付き添い用簡易ベッドが、それを物語ってる。
 あいつの母親は俺が来るたびに部屋を出て行くが、用意されてある家族の休憩室じゃなく談話室に居ることから寝に行っているわけじゃねぇみたいだし。
 ……おそらく、二人きりにしてくれている。それぐらい察しの悪りぃ俺でも分かってるつもりだ。
 すげぇむず痒い感覚だが、まあ正直感謝はしている。そうでもねぇと小っ恥ずかしくて、話なんて出来ねぇからよ。

「……おい、入って良いか?」
 もう必要ないと分かっていても、口癖のようにそう問う。だってよ。

『女性の部屋はノックしないとだめだよ?』
 一次選考通過した時、バカみてぇなテンションでいきなりこいつの病室を開けてしまい、髪がない姿で対面しちまった。 
 ムスッとした顔を見せつつ赤らめた頬をしていたこいつに、本気でキレられた方がどんだけ良かったかと思った苦い経験。

「入るからな?」
 再三ウザいであろう声をかけるも、やはり返ってくるものはない。俺たちを遮っている一枚の布を横にどけると、視界に入ってきたのは窓より見える漆黒の空よりフワフワと舞う雪花。
 ベッドに眠るのは、酸素マスクを付けあんまりにも小さくなった吉永未来の姿。パジャマなんて、あちこち縫い目があって笑っちまう。

「このパジャマ、好きなんだ」と、薄紅色のモフモフの生地を撫でて言っていた笑顔と、娘の好み服を最期まで着せようとする母親。

 何で、なんだろうな?
 フツウの人生生きていたら、そんなことしなくていいよな? 何でなんだよ?

 また出てきた、「何でなんだ?」の言葉。
 当然ながら答えなんか出るはずもなく、口に出そうになった言葉をすぅと飲み込み大きく息を吐いた。

「おい、お前の本、出来たらしいぞ?」
 声が裏返って、二度目でようやく言葉に出来た。
 情けねぇ。小説の登場人物だったら決め台詞を外すことなんかありえないだろうに、俺って奴は。

「見なくていいのか? 表紙絵をプロの絵師に書いてもらえるなんて、選ばれた作家にしかない特権だろ?」
 それを口にした途端に、熱くザラザラとしたものが俺の全身に駆け巡っていく。
 全ての作家がってわけじゃねぇが、自作をイメージした表紙絵を描いて欲しいと願う奴もいる。
 俺や達也や、こいつのように。

「お前はその権利も勝ち取ったんだよ。すっげぇじゃねーかよ?」
 そんな言葉がポロポロと落ちていくが、こいつは瞼一つ動かさず浅い呼吸を繰り返していた。