君と綴る未来 一余命僅かな彼女と一

「……えっ?」
 目元を拭ったコイツは、充血した目をこちらに見せてきて唇を噛み締めてる。
 不意に強く吹く浜風に互いに一瞬足を取られてよろけるが、もう転けるほどの体付きではなかった。

「……癌なんだよ。もう末期で、治療とかそんなレベルの話じゃなくて。……明日を迎えられるかも、分かんねぇし」
 太陽が半分ほど消えた浜辺は冷えた体にこたえ、ブルッと体が震える。唇が震え、声まで震え、だからヒリつく喉を抑えて大きく息を吐く。
 コイツと目が合うが明らかに伏せてきて、開けた口を閉ざしてきやがる。

 まあ、信じられるわけねぇよな。母親も癌だったと話してんし、都合良く話作ってるだけだって普通思うよな。

「今、病院帰り。ほら、母さんが入院していた癌治療専門の病院が近所にあるって、前話しただろ?」
 取り繕うように笑ってみせるが、返ってくるのは波の音のみ。
 スマホの写真データには、春に桜の下で撮ってもらった画像がある。それを見せれば、さすがに信じるだろう。
 だが、ポケットに入っているスマホをあえて奥に押し込む。
 そんなくだらねぇことの為に、闘っている彼女の姿を見せるなんて、バカみてーだから。

「……なんで、あいつなんだろうなぁ?」
 目元にかかった髪を掻き上げ、はぁーと溜息を吐けば、広がるのは水平線に吸い込まれていく夕日。
 どれほど時間が止まってくれと願っても、太陽は沈んでいき、空に広がるのは月になる。季節は巡っていき、いつの間にか日は短くなり、蝉は消え、海水を浴びれば涼しいから肌寒いへと変わっていく。
 時間は止まらない。未慈悲なほどに、あいつの残された時間を削って進んでいく。
 今も、これからも。

「……俺はな、主人公とかどーでもいいんだよ!」
 もう終わらせるべきな内容なのに、浜辺から見える景色があまりにも綺麗だからこそ、余計に苦しくて。

「人生なんかに、ドラマチックな展開いらねぇ! 平凡な人生で良いから、あいつには生きていて欲しいだけなんだよっ!」
 熱い目元を抑え、切れそうに痛む喉を抑え、張り裂けそうな胸を抑え、ただ感情のまま叫んでいた。

「……直樹」
 オロっとした表情を浮かべたかと思えば、口を閉じ、こちらを見据えてくる。
 その表情から察せられる。話してみろ、と言ってくれていると。

 俺は、無心で話していた。あいつがいかにすごい才能を持ち合わせている小説家なのか、桜の木の下での出会い。直向きで、俺のような奴にも分け隔てなく優しくて、健気で、笑うと華のように美しくて、みんなに愛されている。
 主人公とは、あいつのような奴のことを言うのだと、ひたすらに。

「……だから俺は、彼女を支える役になると決めた。何があっても絶対に離れない。そんなバカみてぇな、名脇役に」
 あいつの手を握った時、そう覚悟した。
 残り少ない吉永未来の物語を、最高のものにしたい。そんな思いだった。
 なのに俺が居なくなって、どうするんだよ?
 支えると決めたんだろ? 報われない脇役に徹するって。

「達也、ありがとうな。大切なこと思い出したわ」
 俺の顔は多分、だいぶマシになっているだろう。少なくても、ここ最近で言えば。

「俺、書くから。どうしても綴りたい物語があるって、気付けたし」
 声までもがまともになり、震えていた声はなくなり、今までの気怠げのものとはまた変わっていた。

「うん。直樹なら、絶対にまた書けるよ。……応援してるよ、今度は……本心で」
 目を閉じ、また開いた達也の瞳は、夕陽に照らされた僅かなオレンジに色の海に向いてしまう。

「何、他人事みたいに言ってんだ? お前もだろ?」
 俺の問いかけに、達也はピクッと肩を震わせるが、変わらずこっちに顔を向けねぇ。
 それがどんな意味か、嫌ってぐらいに伝わってくる。

「……俺はムリだよ。直樹みたいな才能も、志しもない。凡人はこのまま……っ!」
 薄暗くなっていく空下で響く、鈍い音。
 次はバシャと水飛沫が飛び散り、海水に浸かった靴やズボンだけでなく制服全体が濡れてしまう。
 しかしそんなこと、大したことじゃあねぇ。

 目の前には押しては引いていく波にドップリ浸かり、左頬を抑え、鋭い目で睨み付けてくる達也の姿。
 俺の拳は、折れたのかと思うぐらいにジンジンと痛む。

 初めて人を殴った。殴られる側だけでなく、殴る側までここまで痛いとは。
 まさか、無気力に生きてきた俺がそんなことを知るなんて。
 人生なんか、本気で分からねぇもんだ。