「俺は、フツウの家庭で育った。父親と母親との三人暮らし。母親は優しくてな、料理が上手くて、寝る時には絵本を読んでくれて。俺は、そんな母さんが好きだった。……そん時は父親も優しかったし、まあ一番良い時だったんだろうなぁ」
病室の窓より外を見上げると、広がる青空。
懐かしな、この淡い空色に薄い雲。
大晦日にはみんなで大掃除して、正月には初詣に連れて行ってくれたっけな。
まあ、幼児だったから手伝いとかじゃなくてジャマだっただろーけどな。
でも、両親は優しかった。
「……その、時は?」
こいつの言葉に、ふっと現実に戻ってくる。
そうだ、あの人は最初から、ああだった訳じゃねぇ。
「母親は病気だったんだよ、俺が生まれる前からな。俺が四歳の頃には入院ばっかで、父親と一緒にここに毎日通ったもんだ」
「えっ? お母さん、も? じゃあ私と同じ……」
「あ、違ぇし!」
気付けば、こいつの言葉を掻き消すように大きな声で叫んでいた。
口が滑った。バカヤロウ。
「お亡くなりになったの?」
「あ、ああ」
「直樹くんがいくつの時?」
「……六歳、だったな」
「淋しかったね」
ここは癌治療の専門病院。
病気は違うなんて、無茶苦茶なウソだった。しかも、その予後を知られるなんて。
「そんな顔しないで。私、自分の病気のことちゃんと分かってるから。それで、直樹くんのお父さんは?」
こいつは話を変えるように聞いてきて、俺はもう下手に誤魔化さずに事実を伝えると決めた。
「……父親は酒浸りになった。母さんのこと大事だったみたいだし、手遅れになったのは……、俺のせい……だから」
「え?」
途端に訪れる沈黙。顔を歪めるこいつに悟られねぇように、俺はどんどんと話を被せていく。
「それで……、どうしてお前が代わりにならなかったんだと言われたんだよ。息子に。まったく、マジでありえねー親父だろ?」
いつもの調子で、どこまでも軽く、くだらねぇ日常会話のテンションで淡々と話していく。
「うわあ、最低~」ぐらいに返してくれたらいいのによ、窓に向けていた目を戻すと、こいつは俯き肩を震わせていた。
「なんで、お前が泣くんだよ?」
「ごめん。ごめんね……」
こいつはバカなのか? 自分が病気抱えて生きるか死ぬかの時に、他人の話に心痛めて泣くなんて。
こんな優しい奴が病気になるなんて、この世の全てがバカなんだよ。本当に、なんでこいつが。
揺れた視界に窓からの景色を眺めると、白浜の海は今日もどこか優しくて、ポツリポツリと会話を続けていく。
「……だけどよ、本を読んでいる時は幸せな自分になれていた。だから、だからよ、自分もそんな小説を書きたい。そう思ったんだよ」
『どうして藤城くんは、小説を書いていたの?』
まさか、この問いに答える日が来るとは、思わなかったな。
「父親は一年ほどで母親の死を乗り越えて仕事に戻っていったが、罪悪感か何か知らねーけど、俺の目を見なくなった。家事代行? みたいなの頼んでたけどよ、中学になったら別に一人でヨユーだしと断って、いつの間にか金だけ置いてく以外、ほとんど家に帰ってこなくなったな」
金と共に置いてあんのは、小さなメモ一枚。泊まりの仕事だとか、出張だとか、書いてあるけどホントかよ?
ま、心底どーでも良いからわざわざ聞いたりしねぇけどな。
「でもな、それを救ってくれたのも小説だったな。物語の中では違う自分になれる。お前が言ってたこと、一言一句同意だったな。それから達也と出会って、ま、そうゆうこった」
これが俺の、藤城直樹の物語。
痛くて、脆くて、つまらない。
そんな人生。
「話してくれてありがとう。ごめんね、そんなこと聞いて……」
言葉に詰まる、こいつの姿に。
「別にぃ。その代わり、つまんねーもの書いたら怒るからな」
またツンケンと悪態をつく。
「いいよ、怖くないし」
またこいつは、いたずらっ子のようにへへと笑いかけてくる。
……敵わないな、こいつには。
俺の頬はいつの間にかユルんでいく。
なんだろうな。刺さっていたものが消えていくような感覚は。
窓から見えるのは変わらずの青空だったが、いつもより綺麗に見えた。



