ピコン。
緊迫した空気が、一気に腑抜ける音がする。音はこいつの学生用鞄からで、メッセージアプリの通知音だった。内容を見たこいつは。
「あ、お母さんだ。帰らないと。じゃあ、今日はありがとう」
そう言いこちらに目を向けてくるが、その目には光がなくどこか儚げに見えた。
「なあ」
「え?」
「いや」
「……うん」
こいつは何も言わない俺に対し、明らかに表情を曇らせて玄関に向かって歩いて行く。
「どうしたんだ?」
中学二年までの俺だったら、そう尋ねることが出来ただろう。しかし、今は。
情けない思考を巡らせていると、こいつは足をピタッと止める。
「あのね。こんなこと言われても迷惑だって分かっているけど……。もう一度……」
そう小さな声で呟きこちらに振り向こうとしてきた時こいつは明らかに体をふらつかせ、力無く倒れそうになる。
咄嗟に手を広げ受け止めるがバランスを崩してしまい、俺が下になる形で一緒に倒れ込んでしまった。
「おいっ! 大丈夫か!」
体を起こして目を閉じたこいつの肩を揺らすが、反応はなく脱力し切っていた。その顔は蒼白しており、俺の記憶が不穏な空気を知らせてくる。
「……あ」
ゆっくりと開いた目で、こちらを見つめてくる美しい瞳。不意に出た鈴の音を連想させる甘い声に、俺は。
「ご、ごめんなさい!」
その叫び声と共に、こいつは慌てて離れていく。「重かったよね」とか。「怪我はない?」とかの言葉を何度も繰り返して。
そんなこいつが差し伸べてきた手をあえて無視し、俺は一人立ち上がる。
「本当にごめんなさい」
俯いたその表情から、読み取れる。俺に対し怯えていると。いつもなら、そんなの無視して全てを終わらせるが、今日は。
「……大丈夫か?」
気付けば、そのような言葉が出ていた。
「寝不足で」とオロオロするこいつに、「とりあえず帰って寝て、公募に出せ! 寝不足で無理矢理書いたプロットなんかつまんねーんだから!」と悪態をつく。
「そうだよね」
「弁当もいらねーから。とりあえず寝ろ!」
「ごめんね。また、作るね」
こいつはまた華のような笑顔を見せ、帰って行く。一応聞いたら、母親が迎えに来てくれるらしく問題はなさそうだ。
俺はあいつがいなくなり、はぁっと溜息を吐く。必死に隠していたが、鼓動が早く、顔が熱い。
美しい瞳に、さらさらな髪。そしてふわっとした甘い香り。
いやいやいや。これは驚いたからで、そうゆうのではない! そりゃ。あの出会い方も理想だったが、元々顔合わせていただろう? だから、そうゆうのではない!
そう自分に言い聞かせ、ふっと呟く。
「暑いのは夏のせいだから!」



