見世蔵のつつじ姫 〜異能なし令嬢は、東宮さまに溺愛される〜

 昭陽舎(しょうようしゃ)御簾(みす)の向こうに、灯りの気配だけが揺れていた。

 静まり返った空気の中で、衣()れの音が一つ、落ちる。
 紬路(つつじ)は、息を整えた。

 (ほど)いたばかりの髪が、肩へと流れ落ちている。
 (とばり)の奥、御帳台(みちょうだい)には、尚彰(なおあき)さまがお待ちになっている。

 指先で、(とばり)(なぞ)る。
 ――それが合図。

 気配が動き、内へと迎え入れられる。
 ゆっくりと(とばり)を上げ、もう幾度となく身を横たえた(しとね)へ、差し伸べられた腕の中へと滑り込む。

「……(ようや)く、だな」

 抱き合う腕の中で、低い響きが落ちた。
 紬路(つつじ)は、(わず)かに目蓋(まぶた)を伏せる。

 返す言葉を探すより先に、尚彰(なおあき)さまの腕の力が深まった。
 逃がすまいとするように。
 (いや)、離す気など最初からないのだと、肌の近さで知れる抱き方だった。

「長い間、待ち焦がれていた」

 耳元へ落とされた吐息に、肩が(ふる)える。
 近すぎる熱が、髪の内側まで忍び込んでくる。

「……わたくしも」

 (ようや)く絞り出した言葉は、自分でも驚くほど頼りなかった。
 すると腕は更に深く回り、紬路(つつじ)は確かに引き寄せられる。

 待っていた、と言ったのはどちらだったのか。
 もう判らないほど、二人の間にあった時間が、一息(ひといき)ごとに(ほど)けていった。

「知っている」

 短い言葉。

()れより先――」

 声が、更に低くなる。

「誰も、そなたに並ぶことはない」

 断ち切るように、(くつがえ)しようのない響きの断定だった。
 誰も入内(じゅだい)させることはないと約束してくれたのだ。
 尚彰(なおあき)さまの黒い双眸が薄明かりの中で強い光を放っている。

「千代に――結ぶ」

 その動いた唇の熱が、肌に触れるほどの近さだ。

 千代に、わたしだけが、この人の隣にある。
 誰も、わたしに並び立つことはない。

 紬路は目を閉じた。
 拒む理由はもうどこにもない。
 ただ、この腕の中にあることだけが確かなものだった。

 絡めた指が、更に深く重なる。
 ――この先、どれほどのことがあろうとも。
 ――いつか今上(きんじょう)帝妃となり……

 それを、もう疑うことはなかった。
 やがて重ねたものは、己一人のものではなくなる。
 脈々と受け継がれ、絶えることなく続いていく。

 ずっと千年さえ超えて、この人と共にある。
 名も、血も、この夜に結ばれたもの全てが、遥か先の御代にまで織り重なっていく、と。