見世蔵のつつじ姫 〜異能なし令嬢は、東宮さまに溺愛される〜

 背後の女官たちは頭を垂れたまま、(ふる)えている。
 肩だけが、小刻みに揺れていた。

 魅了が、荒れている。

 以前の撫子(なでしこ)なら、人を操る時ほど、優美に笑っていた。
 糸を引かれた者たちも、滑らかに従っていた。

 今は、糸を引く手が乱れている。
 その乱れが、操られる女官の身体にまで(ゆが)みとなって現れ出ている。

撫子(なでしこ)さん」
「……何かしら」
「お疲れなのではございませんか」

 紬路(つつじ)は、あくまで(いたわ)るように言った。
 その言い方が、撫子(なでしこ)の神経を逆撫でしたらしい。

「お顔の色が、優れません」
「余計なお世話ですわ」

 撫子(なでしこ)は袖を下ろし、女官たちに手を振った。
 少し離れて待っていなさい、という意味だ。

「あなたこそ、せいぜいお気をつけなさいませ。宮中(きゅうちゅう)は、見世先とは違いますのよ。あなたのお相手になるのは皆、高貴なる宮廷人だわ」
「……ご忠告痛み入りますが、お客様も大切な方たちですのよ」

 撫子(なでしこ)はじっと紬路(つつじ)を見ている。
 去ろうとはしない様子から、何かを探り出そうとしているのが判った。

 東宮(とうぐう)の痕跡や寵。
 あるいは、自分が手に入れた(はず)のものが、本当に其処(そこ)にあったのか、といったもの。

「……あの夜」

 撫子(なでしこ)の声が、ふいに落ちた。

「はい?」
「い、いいえ」

 撫子(なでしこ)はすぐに口を閉ざし、かぶりを振った。
 やはり何か知りたいことがあるようだ。

 あの夜。
 三日目の夜のことだろう。

 三日夜(みかよ)餅を封じ、文の伝達を止め、人を遠ざけた。
 それでも何かが、撫子(なでしこ)の思い通りにならなかったのだ。

 そして――。

 紬路(つつじ)の記憶の暗がりに、直橘(なおきつ)の姿がぼんやりと浮かんだ。
 東宮(とうぐう)と背格好の似た男。
 名代に立てられた者。

 まさか――。

 撫子(なでしこ)は、東宮(とうぐう)に魅了をかけた腹づもりでいた。

 喉の奥が、冷たく狭まる。
 この場でその疑いを、口に出すことはできない。

 もし、三日夜の日に――。

 奪い取り、(ちぎ)った心算(つもり)だったのなら。
 そして、その相手が、直橘(なおきつ)だったのなら。

 華族に(まつ)わる古い書物を扱う姉から、聞いたことがある。

 魅了とは、人の心にある、まだ誰にも触れられていない隙間へ滑り込む力だ。
 しかも、相手が自ら選んだかのように思わせる。

 強大な異能の行使は、ただでは(あらわ)れない。
 術者の内に在る、代償を必ず要求する。

 とりわけ魅了は、術者自身の心が何者にも属していないことが肝心(かなめ)だと聞いた。
 誰かに心を預けた瞬間、その者の形に染まり、他者の心へ入り込む余白を失うだろう、と。

 言い換えれば――。

 おそらく、撫子(なでしこ)直橘(なおきつ)(ちぎ)った。

 その人違いで純潔を失った。
 あるいは、皇統に手を掛ける為に、強大な異能を(ふる)おうとしたこと。

 そうした経緯が撫子(なでしこ)の魅了の(えん)詞を崩し始めているのだ。