見世蔵のつつじ姫 〜異能なし令嬢は、東宮さまに溺愛される〜

 当日、六条別邸へ遣わされた御輿(みこし)は、白布を垂らし、豪華絢爛に塗り直されていた。

 紬路(つつじ)を乗せた古い輿(こし)の周囲には、馬上の武官が幾人も控えている。
 さらに殿上(でんじょう)(わらわ)らが歩いて、粛々と付き従った。

 行列は、(ゆる)やかに都大路を目指して進み始めた。

 御簾(みす)の内にいる限り、紬路の姿は誰の目にも触れない。
 けれど隠されているからこそ、中に誰かがいると知れる。

 何事かと足を止める者がいる。
 誰かが隣の者へ耳打ちし、また別の誰かが軒先から身を乗り出す。
 気付けば、道の両側には人垣が連なり始めていた。

「右京の呉服屋のお嬢が、とうとう御所(ごしょ)入りだとさ」
「もとは華族のお姫様だったそうだよ」
「えーっ!? お商売なんかやられていたのかい」
「前代未聞! 右京出身のお(きさき)だよッ」

 かつて内裏(だいり)へ上がった幾代(いくよ)もの姫君たちの道行きを模した、入輿(にゅうよ)の儀である。

 古式を踏まえながらも、今様(いまよう)に整え直された形式だと聞かされていた。
 どれほど多くの文官たちが古書を紐解き、議論を重ね、この式を作り上げたものだろう。

 列は(おごそ)かだった。
 だが、都の民の反応は遠慮がない。
 驚きのどよめきが、波のように寄せては返す。

 入輿(にゅうよ)の列が都の南北を貫く大通りへ差しかかる頃には、右京の大路の両脇は人で溢れ返っていた。

 露店も、構えの見世も、今日の人出を見越している。
 白布の向こうに、色とりどりの反物が揺れていた。
 呉服屋の軒下に吊られたものは、殊に華やかである。

 団子屋の婆は、休む()もなく蒸籠の湯気を払いながら背伸びをする。
 飴細工屋の小僧たちは、戸板の陰から首を伸ばしていた。

 どこかで、ぽん、と手拍子が鳴った。

 始めは一人。
 それに二人、三人と調子を合わせる。
 やがて片側から、陽気な節が転がり出した。

「大阪本町、糸屋の娘」

 魚屋の若い衆が、腹を抱えて笑いながら後を継ぐ。

「姉は十六、妹が十四」

 小間物屋の娘たちが、袖で口許を隠しながら忍び笑いを始めた。
 年寄りたちは「縁起でもない」と眉をひそめる振りをしながら、結局、唱和に加わっていく。

「諸国大名は、弓矢で殺す」

 その一節で、沿道の者たちがわっと沸いた。

 輿(こし)の脇を歩く武官の一人が、咎めるように振り返る。
 だが祝言(しゅうげん)の行列である。
 無下(むげ)に叱りつけることもできない。

 都の町人たちは、無類のお祭り好きなのだ。
 最後の一句は、まるで待ちかねていたように、町中から一斉に降ってきた。

「糸屋の娘は、目で殺す」

 また、(はや)しに手拍子が鳴る。
 その唱和は、飽くことなく繰り返された。

 白布の内で、紬路(つつじ)は思わず息を止めた。
 此処(ここ)でも揶揄(からか)われているのだ。

 ―― 紬路(つつじ)が、東宮(とうぐう)さまを目で射止めた、と。

 不思議と、女学校の同級たちがする噂ほど(いや)ではなかった。

 華族の家に生まれた。
 装束を見て、反物を見て、人の装いを見て学んで来た。
 その娘が今、都の真ん中を、花嫁行列に飾られて進んでいる。

 祝福も、物見高さも、噂好きな舌も、全て一つに束ねて。
 右京は糸屋に連なる呉服屋の娘として、人々は紬路(つつじ)を盛大に送り出しているのだった。

 輿は、白布に紬路(つつじ)の揺れる影を(まと)いながら、都の大路を北へ北へと進んでゆく。

 朝、六条別邸を発ったその道行きは、祝賀であると同時に、逃げ場のない動く密室でもあった。
 やがて華燭(かしょく)御輿(みこし)は、内裏(だいり)へと至る。

 数ある門を(くぐ)るごとに、外界の気配は遠ざかっていく。
 代わって、閉ざされた内の(ことわり)が濃く満ちて来ていた。