はちみつ色

   ◇

 一学期の期末テストが終わると、柳くんは本を開くことが減った。代わりに、部室に置かれた一台のパソコンと向き合うようになった。
 というのも、文芸部は文化祭に向けて、部員の作品を集めて一冊の部誌を作製する。柳くんは、それに掲載する作品を書き始めていた。
 ちなみに、私もなにか書かなければならなかったのだけど、なにも思い浮かばなくて真っ白のページを見つめるだけで、結局部誌に載せる作品は完成させることができなかった。
 ページをめくる音ではなく、キーボードを打つ音が響く部室。その変化が、少しだけ寂しかったのを覚えている。

「……ねえ、好きな人いたことある?」

 それは唐突な質問だった。
 いや、本当はその流れになるような会話があったのかもしれない。でも、それのインパクトが強すぎて、会話の流れも、柳くんの表情も忘れてしまった。

「いないけど……どうして?」
「取材、みたいな」

 柳くんにしては珍しく、はっきりとしない答えだった。
 だけど、私はなにも疑問を抱かなかった。というのも、柳くんが書いていた小説は女性視点の恋愛小説だったから。
 男性の好きな仕草。されて苦手なこと。苦手な服装。
 覚えている限りの質問はそんな感じだった。
 今考えてみれば、全然小説に役立つような質問ではないと思う。なんだか、柳くん自身が私の好みから外れていないかの確認みたい。
 なんて、私の妄想にすぎないだろうけど。
 ちなみに、言葉のキャッチボールとして、私は質問を返していた。
 よく笑う人がいい。前に付き合った人はどこに誰といるのかをしつこく聞いてくる人だったから、束縛が強すぎるのは嫌だ。ジャージで出かけるのは好きじゃない。
 そのときは「そうなんだね」と流していたけれど、柳くんのことが好きだと自覚してからは、それを意識して生活する初々しい私がいた。

 柳くんを意識するようになったのは、柳くんがクラスの女子と話しているところを見たのがきっかけだ。
 というのも、柳くんは相手の名前が呼べないくらい、異性と話すのが苦手だと語っていた。
 それを私に言うのはどういうつもりなのだろうとは思ったけれど。
 私を女子とカウントしていなかったのか、私は特別だったのか。
 あのころの私は後者だと勘違いして、柳くんと仲がいい女子は私だけだなんて、痛い思い込みをしていた。
 だから、柳くんが他の女子と話しているところを見て、ショックを受けた。いや、胸が痛かった。

「灯里、どうかした?」

 柳くんのクラスの前を通っている途中に私が足を止めたから、中学からの友人である佑奈(ゆうな)が不思議そうに振り向いた。

「……なんでもない」

 私はそう答えたけど、佑奈は流してくれなかった。
 たぶん、私の顔がムスッとしていて、そのセリフと合っていなかったからだと思う。
 それで私は、今さっきの光景と心情を佑奈に話した。

「それ、嫉妬だね」
「嫉妬……」

 これまで、言葉の意味は知っているだけだったため、佑奈に言われてもピンとこなかった。

「自分以外の女子と仲良くしているのが許せなかったり、もやもやしたりするのは嫉妬。その人のことが好きだって証拠だよ」

 それを聞いてから、誰かを好きになったことはないのに、すんなりと柳くんが好きであることを受け入れている私がいた。
 無意識に柳くんを好きになっていたから、私は柳くんの特別だなんて勘違いをしてしまったのだろうとも思った。
 だけど、自覚したからといってすぐに行動に移すことはなかった。
 水曜日と金曜日の朝、文芸部の活動があることに浮かれたり、柳くんを見かけるだけでにやけてしまったりと、それだけで満足していたからだ。
 今思えば、小学生よりも幼い恋の仕方をしていたと思う。それくらい、私は誰かを好きになることに慣れていなかった。

「好きなら付き合いたいとか思わないの?」

 佑奈にそう言われてから、その選択肢が私の中に現れた。
 柳くんが、私の彼氏。私が、柳くんの彼女。
 そんな恋人関係が友達よりももっと特別なものだというのは、漫画やドラマで知っていた。
 でも、自分がそういう関係を築くということが頭になく、告白をしようという考えに至らなかった。
 だから言葉を濁したのだけど、佑奈はそれを自信がないから言わないんだと受け取ったのか、柳くんのアカウントを見つけてメッセージを送ったらしい。

 ――柳って、白川灯里と部活一緒だよね?
 ――そうだけど
 ――灯里のこと、どう思ってるの?
 ――どうって?
 ――ただの部活仲間なのか、友達なのか、恋愛感情があるのか、どれ?ってこと
 ――それを知ってどうするの
 ――いいから、教えて!
 ――恋愛寄りの友達かな

 佑奈はすぐに柳くんとのやり取りのスクショを送ってきた。『砕けないから思い切って告白しちゃえ!』というメッセージ付きで。
 だけど、佑奈に背中を押されても、私は柳くんに告白をすることができなかった。
 好きという立った二文字が、音にならない。声の出し方を忘れてしまったと言っても過言ではないくらいに。
 そして事情を知っている佑奈がどうなったかを聞いてきて、無理だったと答える日が何日か続いた。
 そんなある日の放課後だった。

「……あのさ」

 部活が終わり、部室の鍵も返した廊下でのこと。
 柳くんが緊張した面持ちで私を呼んだ。なにを言われるのか予想をしなかった私は、いつものように「ん?」と応えた。
 すると、柳くんはそっと私の耳元に近付いてきた。
 柳くんと過ごした時間は長くなっていたけれど、その距離感は初めてで、息が止まったような気がした。

「好きだから付き合って」

 え、という驚きの声は出なかった。
 それだけでなく、「はい」だとか「お願いします」だとか、そういう言葉も出てこなくて、私は首を縦に振っただけだった。
 柳くんは緊張から解放され、安心したように微笑むと、窓の外に視線をやった。
 いくら日が落ちるのが遅くなったとはいえ、部活終わりごろともなると、夕焼け空に移り変わろうとしていた。

「……綺麗な蜂蜜色だね」

 目の前に広がった薄いオレンジ色を、柳くんはそう表現した。
 やはり柳くんの見ている世界は美しい。
 そんな彼の世界に少しでも入ることができたような気がして、私は世界一の幸せ者だと思いながら、柳くんの隣を歩き始めた。