はちみつ色


 それはちょうど三年前のこと。
 高校一年の春、小さな部室の中で恋と知らずに始まった。
 私が通っていた高校は、一年生の間は必ず部活に入るように言われ、私は活動日が少なそうな文芸部を選んだ。
 ちなみに、小説や詩を読んだり、作成したりする部活だと知ったのは、入部してからだった。それまで文学にはあまり触れてこなかったので、場違いのようにも思えたけれど、幽霊部員が多数いると知り安心したのは、ここだけの話だ。
 また、パソコン室や図書室で活動する部員が多く、部室にはたったひとりの男子生徒しかいなかった。
 それが(やなぎ)琉惺(りゅうせい)
 私が好きになった人だ。

 文芸部の活動日である水曜日と金曜日、柳くんは必ず部室にいた。
 室内の真ん中に置かれた長机の隅っこで本を読んでいる姿は、今でもはっきりと思い出せる。
 黒く落ち着いたブックカバーと、クラゲ柄の半透明な栞。それが、柳くんの読書セットだった。
 私は、柳くんがページをめくる音を聴きながら過ごす放課後の時間が、とても好きだった。

「……雪桜」

 初めの自己紹介以来、次に柳くんの声を聞いたのはそれだった。
 柳くんは私なんかには一切視線をやらず、静かに呟いた。自分が独り言を言ったことにも気付いていないレベルの小声だったが、部室が驚くほどに無音だったこともあり、私はそれを聞き取ることができた。
 柳くんが言った単語がなにを示しているのか、すぐには理解できなかった。
 しかし、柳くんの視線が本ではなく窓の外に向いていたことで、私もそちらに視線をやった。
 外は風が吹いているようで、桜の花びらが雨のように散っていた。
 柳くんは、それを〝雪桜〟と言ったのだ。

「雪桜?」

 聞き慣れない言葉で私が反応すると、柳くんの瞳がこちらを向いた。初めて、柳くんと目が合った瞬間だった。
 自分の言葉を聞かれた恥ずかしさからか、少し顔を赤らめていたような気がする。あの日はまだ、部室に夕日は差し込んでいなかったから。

「……桜の花びらが舞う姿が、雪が降ってるみたいに綺麗だなと思って」

 柳くんの目に映る世界は美しい。
 その一言で、私はそう感じた。
 文学に触れているからこその美しさなのだとしたら、私もその世界を見てみたい。
 少しずつ、そう思うようになった。
 しかし、図書室や本屋に行って本を見ても、惹かれるものを見つけられなかった。
 というより、一冊の小説ほどの文字数を読み切れる自信がなく、手が伸ばせなかった。
 それでも、なぜか諦められなくて、ゴールデンウィーク前に柳くんに尋ねた。

「読者初心者でも読みやすい本ってないかな」

 そのころには挨拶を交わす程度の関係になっていたので、私が声をかけたことで驚かれることはなくなっていた。
 柳くんはそっと視線を落とし、思考を巡らせる。その仕草の効果か、時の流れが緩やかに感じた。
 忙しなく時が過ぎていくことが当たり前になっていたからこそ、私は少しずつ、柳くんが生み出す時間に居心地の良さを抱くようになっていた。

「短編集とか、どうかな。今はタイムパフォーマンスを重視してか、五分で読める、なんて謳っている作品がたくさんあるから」
「へえ……おすすめ聞いてもいい?」
「あー……僕、あまりそういうのは読まないんだ。ごめんね」

 柳くんが申し訳なさそうに笑うから、私は首を横に振って応えた。

「でもどうして、短編集を読まないの?」
「短編集は読むよ。少し距離を置いているのは、五分で読めるシリーズ。物語を短くすることにばかり重きを置いているからか、心理描写の深みが足りないような気がして、苦手なんだ」

 私は本を読まないから、柳くんが言っていることが、あまりよくわからなかった。
 たしか、物語の余白が物足りないとも言っていたような気がするけれど、やはり理解するには難しかった。