迷子の放送室で、君にだけ見つかりたい

立ち上がった瞬間、列の先頭がまた動き始めた。ざわめきが戻る。戻った音に紛れれば、さっきの浅い呼吸も、震えも、全部“なかったこと”にできる気がした。俺は受付台の札を持ち上げて、いつもの声を作ろうとした。

でも、声が出ない。

喉の奥が乾いて、息が引っかかる。札の角を握る指が強くなって、紙が少し曲がった。その曲がりが、自分の中の限界みたいに見えて、急に情けなくなる。

相澤が入口の影のまま、俺の手元だけ見て言った。

「結城。今、言葉。横?」

俺は首を振った。横に倒すと、また逃げた気がする。逃げたくないのに、逃げ場がない。

「……違う」

声が掠れる。相澤が一歩も近づかないまま、待つ。待たれると詰まるのに、今日は詰まりながらでも出したかった。

列の子どもが「こわい?」って笑いながら言う声が聞こえる。笑い声。SE。暗幕の揺れ。全部がさっきの中の暗さを呼び戻して、胸がきゅっと縮む。

俺は札を台に置いた。置くと、両手が空いてしまって、余計に怖い。だから、代わりに手袋の指先を握った。相澤の体温の残り。さっきまでの支え。支えに縋る自分が悔しいのに、縋らないと立っていられない。

「……さっき」

言った瞬間、また喉が詰まる。相澤は「うん」とだけ返す。促さない。急がない。

俺は息を吸って、吐いた。浅いままでもいい。さっきの“三呼吸”をもう一回やってから、やっと言えた。

「……怖かった」

たった三文字。なのに、言った瞬間、肩の力が抜けてしまいそうになる。怖かった、と言うのは負けみたいで、でも負けを認めないと、次に本当に消える気がした。

相澤の目が少しだけ柔らかくなる。笑わない。励ましの言葉を盛らない。代わりに、事実の形で受け取る。

「うん。あそこは怖い。だから、次は俺が中。結城は外。固定」

固定。
相澤が同じ言葉を繰り返すことで、俺の「怖かった」を“例外”じゃなく、運用ルールに変える。俺はそれがありがたくて、悔しかった。

「……俺、情けないな」

漏れた声は小さかった。相澤は否定しない。代わりに、入口の列へ声を張り上げた。

「次の回、五分後です! 受付こちら!」

現場が動く。動く音が、俺の胸のざわつきを外側へ引っ張り出してくれる。相澤が低い声で、俺にだけ言った。

「情けなくない。怖いって言えた。——それ、回すために必要」

必要。
その一言で、俺は札をもう一度持ち上げられた。怖さは残る。でも、本音を漏らしても、突き放されない。突き放されないから、俺はまた入口に向かって声を出した。