迷子の放送室で、君にだけ見つかりたい

6:55。昇降口の柱横。相澤はもういた。昨日と同じ、“普通に待つ”姿。スマホは見ていない。手袋を片方の手で丸めて、もう片方で鞄の肩紐を押さえている。俺の足音に気づくと、「おはよ」とだけ言った。

「……おはよ」

返した瞬間、胸の中のざわつきが跳ねた。昨日の「言い過ぎた」と「刺さった」が、朝の冷たい空気でいっそう輪郭を持つ。俺は逃げたくなる。今日だけでも、普通に並ぶって決めたのに、体は勝手に一歩引こうとする。

相澤がそれを見て、近づかないまま言った。

「結城。言葉だけで止める」

俺は足を止めた。言葉だけ、という区切りがあるだけで、胸の圧が少し下がる。相澤は低い声で続けた。

「今日は三十分。並ぶ。話さないでもいい。
でも、逃げる方向に体が向いたら——『今、横』って言え。親指じゃなく、言葉で」

“今、横”。たった三文字が、俺の逃げ方に名前を付ける。名前が付くと、逃げが逃げのまま終わらない。戻れる。昨日のLINEの『消えるのだけ禁止』が、ここで現実になる。

俺は喉が詰まりそうになって、でも頷いた。

「……今、横」

いきなり口から出た。言ってしまった瞬間、顔が熱くなる。まだ何も起きてないのに、俺は先に転びそうになっていた。相澤は笑わない。からかわない。軽く頷くだけ。

「横、了解。三分。ここ。柱の影」

相澤が一歩だけ位置をずらし、俺の視線が人の流れにさらされない角度を作る。触れない。触れないのに、壁になる。俺は柱の冷たい感触に肩を預けて、息を吸った。吐いた。吸った。吐いた。浅くてもいい。三分の間に、胸のざわつきが少しだけ下がる。

「……戻る」

俺が言うと、相澤は「よし」とだけ返した。

そのまま二人で靴箱の列に並ぶ。近いのに遠くない距離。相澤は何も言わない。俺も何も言わない。ただ、並ぶ。並ぶだけで、逃げきらない。逃げきらないことが、今日の俺の仕事だった。