相澤は引くと言ったきり、もう何も言わなかった。怒鳴らない。ため息もつかない。プリンタが紙を吐き出す音だけが、二人の間の空気を代わりに運んでいく。俺は赤ペンを握ったまま、視線を紙に縫い付けた。誤字の二重線が増えるほど、胸の中の“言い過ぎた”が濃くなるのに、戻せない。
相澤は黙って束を揃え、付箋を貼り直し、次の用紙を補充する。動きは正確で、いつも通りで、だからこそ怖い。怒っていないのに距離ができる。俺が作った距離だ。さっきの「俺じゃなくていいだろ」が、まだ空中に残っている気がして、吸う息が浅くなる。
「……本部、これ送る」
相澤が淡々とだけ告げる。指示じゃない、報告。俺は「うん」と言えず、ペン先で紙の端を叩いた。相澤は俺の沈黙を責めない。責めないまま、俺の逃げ道側に立たない。追い詰めない引き方を、ここでもする。
時計がカチ、と鳴る。前日追い込みの時間は容赦なく進むのに、俺の中だけが置き去りで、指先が冷えていく。相澤は送信を終えると、紙を一枚引き抜いて余白にメモを書いた。『掲示差し替え→二階西廊下』『看板→美術部へ』『暗幕→倉庫の残数確認』。俺の仕事も、相澤の仕事も、同じ紙の上に並ぶ。並ぶだけで、上下が消える。そのはずなのに、俺は勝手に一人になった気がしてしまう。
「結城」
相澤が初めて俺を呼ぶ。名前だけ。続きがない。俺は反射で顔を上げそうになって、止めた。相澤は無理に目を合わせず、机の端に赤ペンを置いた。
「誤字、ここ。『案内放送室』の送り仮名」
それだけ。作業の一言。怒りも説教もない。だから俺は、逃げずに丸を付けられる。丸を付けた瞬間、喉の奥が痛む。謝りたいのに、謝ったら“深い意味”を認めることになる気がして怖い。相澤はそれも分かっているみたいに、ただ作業に戻る。怒らない沈黙は、突き放しじゃない。けど、俺の胸の真ん中には、まだ取り消せない一文が刺さったままだった。
相澤は黙って束を揃え、付箋を貼り直し、次の用紙を補充する。動きは正確で、いつも通りで、だからこそ怖い。怒っていないのに距離ができる。俺が作った距離だ。さっきの「俺じゃなくていいだろ」が、まだ空中に残っている気がして、吸う息が浅くなる。
「……本部、これ送る」
相澤が淡々とだけ告げる。指示じゃない、報告。俺は「うん」と言えず、ペン先で紙の端を叩いた。相澤は俺の沈黙を責めない。責めないまま、俺の逃げ道側に立たない。追い詰めない引き方を、ここでもする。
時計がカチ、と鳴る。前日追い込みの時間は容赦なく進むのに、俺の中だけが置き去りで、指先が冷えていく。相澤は送信を終えると、紙を一枚引き抜いて余白にメモを書いた。『掲示差し替え→二階西廊下』『看板→美術部へ』『暗幕→倉庫の残数確認』。俺の仕事も、相澤の仕事も、同じ紙の上に並ぶ。並ぶだけで、上下が消える。そのはずなのに、俺は勝手に一人になった気がしてしまう。
「結城」
相澤が初めて俺を呼ぶ。名前だけ。続きがない。俺は反射で顔を上げそうになって、止めた。相澤は無理に目を合わせず、机の端に赤ペンを置いた。
「誤字、ここ。『案内放送室』の送り仮名」
それだけ。作業の一言。怒りも説教もない。だから俺は、逃げずに丸を付けられる。丸を付けた瞬間、喉の奥が痛む。謝りたいのに、謝ったら“深い意味”を認めることになる気がして怖い。相澤はそれも分かっているみたいに、ただ作業に戻る。怒らない沈黙は、突き放しじゃない。けど、俺の胸の真ん中には、まだ取り消せない一文が刺さったままだった。
