準備室の扉が開いた瞬間、廊下の音が一気に流れ込んできた。誰かの笑い声、ロッカーの扉が閉まる音、遠くの掛け声。現実が戻る。戻ったのに、俺の胸の中だけが遅れていて、まだ準備室の白い光の中に置き去りになっている。
相澤が「戻る」と言った俺の言葉を受け取って、何も言わずに先に歩き出す。半歩前。いつもの位置。囲う位置。俺はその背中についていけるはずなのに、足が一瞬だけ止まった。
(戻るって言ったのに)
言ったのに、身体が拒否する。廊下のざわめきの中に出た途端、さっきの「置いていかれる」がまた顔を出す。今は作業。話は22:30。固定。頭では分かってる。でも胸は分からない。胸が勝手に、“今ここで”何かを求めようとしてしまう。求めるのが怖い。だから逃げたくなる。
相澤が振り返りかけたのが、視界の端で分かった。振り返られると、また見抜かれる。見抜かれて、引き止められて、優しくされて、痛くなる。俺は反射で、視線を床に落とした。
「……俺、先に印刷室行く」
言い訳みたいな声。相澤は「了解」とだけ返した。引き止めない。追い詰めない。だからこそ、俺は余計に歩けなくなる。
俺は資料袋を抱え直して、相澤の横をすり抜けた。すり抜けた瞬間、肩が触れそうで、触れない。触れない距離が、やけに冷たい。自分で作った冷たさだって分かるのに。
廊下を曲がる。角を一つ曲がるだけで、相澤の気配が薄くなる。薄くなると、胸の奥がひゅっとなる。置いていかれるのが嫌だと言ったくせに、自分から離れていく。矛盾がまた喉に刺さる。
(逃げんな、って言われる)
そう思って、スマホを握りしめた。22:30の固定が、遠くの時計みたいに頭の中で鳴る。ここで逃げ切ったら、夜に戻れなくなる気がした。戻れないのは怖い。でも戻るのも怖い。
印刷室の前まで来て、俺は立ち止まった。ドアの向こうでプリンタの音が続いている。規則正しい音。落ち着くはずの音。なのに今日は、俺の足音だけがやたら大きく聞こえて、胸の奥のざわつきが消えなかった。
俺は深く息を吸って、吐いた。
“去った”のは、逃げじゃない。作業に戻るため。そう言い聞かせても、心臓だけはまだ、準備室の扉の前に立っていた。
相澤が「戻る」と言った俺の言葉を受け取って、何も言わずに先に歩き出す。半歩前。いつもの位置。囲う位置。俺はその背中についていけるはずなのに、足が一瞬だけ止まった。
(戻るって言ったのに)
言ったのに、身体が拒否する。廊下のざわめきの中に出た途端、さっきの「置いていかれる」がまた顔を出す。今は作業。話は22:30。固定。頭では分かってる。でも胸は分からない。胸が勝手に、“今ここで”何かを求めようとしてしまう。求めるのが怖い。だから逃げたくなる。
相澤が振り返りかけたのが、視界の端で分かった。振り返られると、また見抜かれる。見抜かれて、引き止められて、優しくされて、痛くなる。俺は反射で、視線を床に落とした。
「……俺、先に印刷室行く」
言い訳みたいな声。相澤は「了解」とだけ返した。引き止めない。追い詰めない。だからこそ、俺は余計に歩けなくなる。
俺は資料袋を抱え直して、相澤の横をすり抜けた。すり抜けた瞬間、肩が触れそうで、触れない。触れない距離が、やけに冷たい。自分で作った冷たさだって分かるのに。
廊下を曲がる。角を一つ曲がるだけで、相澤の気配が薄くなる。薄くなると、胸の奥がひゅっとなる。置いていかれるのが嫌だと言ったくせに、自分から離れていく。矛盾がまた喉に刺さる。
(逃げんな、って言われる)
そう思って、スマホを握りしめた。22:30の固定が、遠くの時計みたいに頭の中で鳴る。ここで逃げ切ったら、夜に戻れなくなる気がした。戻れないのは怖い。でも戻るのも怖い。
印刷室の前まで来て、俺は立ち止まった。ドアの向こうでプリンタの音が続いている。規則正しい音。落ち着くはずの音。なのに今日は、俺の足音だけがやたら大きく聞こえて、胸の奥のざわつきが消えなかった。
俺は深く息を吸って、吐いた。
“去った”のは、逃げじゃない。作業に戻るため。そう言い聞かせても、心臓だけはまだ、準備室の扉の前に立っていた。
