迷子の放送室で、君にだけ見つかりたい

印刷室の前は、昼でも薄暗い。廊下の窓から差す光が斜めで、床の線だけがやけにくっきり見える。俺は資料袋を抱えたまま立ち止まり、スマホを見下ろした。嫌な予感は、当たる時ほど静かに来る。

震えた通知。
『文化祭本部:追加修正依頼(至急)』

(……また?)

開いた瞬間、画面に箇条書きが並ぶ。増えてる。昨日の一件で終わったはずなのに、“追加”が三つもある。

『①案内文「迷子の放送室」名称:誤解を招くため「案内放送室」等へ変更推奨
②掲示物にQRコード掲載不可(校内ルール)削除
③暗幕設置場所:避難導線に近いため配置調整要(図面提出)
提出期限:本日 13:20』

13:20。あと二十分もない。喉が一瞬、固まった。紙の匂いが鼻につくのに、息が浅くなる。印刷室のドアの向こうからプリンタの音が聞こえて、規則正しいはずの音が今日は焦りのカウントみたいに刺さる。

「……無理だろ」

思わず漏れた声が、自分でも嫌だった。無理、と言う前にやることを並べなきゃいけないのに、頭の中の順番が散らばる。名称変更、QR削除、図面提出。図面? 俺が描いた導線図を正式にしろってことか。正式、って言葉が重い。責任が増える。

(ここで俺が全部――)

癖が喉まで上がってきて、口が勝手に「俺がやる」を作りかける。作りかけた瞬間、背後から足音。

「結城」

相澤の声が、印刷室の前で止まった俺の背中に当たる。振り返れない。振り返ったら、崩れる気がする。

「本部?」

「……増えた」

スマホの画面を差し出すと、相澤は一秒で把握した。眉がわずかに動く。それだけ。怒りもしないし、溜息もしない。その代わり、声が低くなる。

「優先順位切る」

俺の胸の奥が、条件反射みたいに少し落ち着く。相澤は指を一本立てた。

「一。期限。13:20。まず“送れる形”にする」
次に二本。
「二。QRは即削除。文言は俺がその場で直す」
三本。
「三。図面。結城の導線図を“本部用”にする。簡略でいい。避難導線から離す案も添える」

俺は息を吸った。まだ苦しいのに、順番が戻ると手が動く。

「名称変更は?」

「本部が“推奨”って言ってるなら、今は安全側。『案内放送室』にする。迷い禁止」

迷い禁止。言い切られて、俺はうなずいた。迷ってる暇はない。

相澤が俺のスマホを指で軽くトントンと叩く。準備室の合図みたいに。

「結城、印刷止める。掲示物、差し替え。俺、先生捕まえる。結城は図面描く。——設計」

設計。言葉が鎖じゃなく、支えになる。俺は資料袋を床に置き、ルーズリーフを引っ張り出した。ペン先が紙に触れる。線を引く。入口、受付、暗幕、折り返し、出口。避難導線からの距離。矢印。注記。必要最低限の“本部が安心する形”。

相澤が印刷室のドアを押し開けながら、振り返らずに言った。

「結城、増えたのはミスじゃない。文化祭が近づいたってだけ。だから、今日も“半分”でいく」

半分。
その一言が、焦りの中に小さな足場を作った。俺は線を引きながら、喉の奥で“俺が全部”をもう一度飲み込む。時間は迫る。でも、迫っているのは締切だけで、俺一人じゃない。