印刷室の蛍光灯は、準備室より白いのに不思議と落ち着いた。紙の匂いとインクの熱、プリンタの低い唸り。規則正しい音があると、頭の中のざわつきが勝手に整列する。俺は束になったプリントの角を揃えて、赤ペンを持った。
「じゃ、誤字チェック。前回の地獄を繰り返さない」
相澤が言って、わざと真顔を作る。俺は思わず鼻で笑いそうになって、慌てて咳払いでごまかした。
「“迷子の放送室”の文言、最新版これな」
「うん。『お困りの方は近くのスタッフへ』。放送っぽいのは別紙」
俺が指差すと、相澤は「OK」と短く返して、読み上げを始める。テンポが一定。俺はその声に合わせて目を滑らせ、誤字があれば二重線、表記ゆれがあれば丸で囲む。作業に入ると、呼吸がちゃんと深くなるのが分かった。
「『受け付け』ひらがな。直す」
「了解。『受付』で統一」
「『お越し下さい』、漢字と送り仮名揺れてる。『お越しください』」
相澤がさらっと直す。言い換えじゃなく、統一。そういう“日常の修正”が、胸の中の大きい感情を薄くしてくれる。
ふと、紙の端がずれて俺の手が止まった。さっき決めた合図を思い出して、俺は机の下で親指を横に倒しかける。――でも、横にしない。今の俺は続行できる。親指を立てて、紙を押さえ直した。
相澤がそれに気づいたのか、気づいてないふりをしたのか、声だけ落として言った。
「いい。今の、続行のやつ」
「……見てんじゃん」
「見てない。読んでる」
嘘だ。けど、その嘘がちょうどいい。俺は赤ペンで次の行に線を引きながら、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
最後のページまでチェックが終わって、俺は束をトントンと机に揃えた。
「よし。致命傷なし」
相澤が「致命傷って言い方やめろ」と笑って、でも次の瞬間には真顔に戻る。
「結城、落ち着いてる。今、顔に“平気”じゃなくて“作業”って書いてある」
俺は返事の代わりに、赤ペンのキャップをはめた。落ち着きはまだ借り物みたいだけど、借り物でもいい。こうして一枚ずつ、誤字を潰して、紙を揃えて、順番を戻せば――今日も終わる。終われる。
「じゃ、誤字チェック。前回の地獄を繰り返さない」
相澤が言って、わざと真顔を作る。俺は思わず鼻で笑いそうになって、慌てて咳払いでごまかした。
「“迷子の放送室”の文言、最新版これな」
「うん。『お困りの方は近くのスタッフへ』。放送っぽいのは別紙」
俺が指差すと、相澤は「OK」と短く返して、読み上げを始める。テンポが一定。俺はその声に合わせて目を滑らせ、誤字があれば二重線、表記ゆれがあれば丸で囲む。作業に入ると、呼吸がちゃんと深くなるのが分かった。
「『受け付け』ひらがな。直す」
「了解。『受付』で統一」
「『お越し下さい』、漢字と送り仮名揺れてる。『お越しください』」
相澤がさらっと直す。言い換えじゃなく、統一。そういう“日常の修正”が、胸の中の大きい感情を薄くしてくれる。
ふと、紙の端がずれて俺の手が止まった。さっき決めた合図を思い出して、俺は机の下で親指を横に倒しかける。――でも、横にしない。今の俺は続行できる。親指を立てて、紙を押さえ直した。
相澤がそれに気づいたのか、気づいてないふりをしたのか、声だけ落として言った。
「いい。今の、続行のやつ」
「……見てんじゃん」
「見てない。読んでる」
嘘だ。けど、その嘘がちょうどいい。俺は赤ペンで次の行に線を引きながら、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
最後のページまでチェックが終わって、俺は束をトントンと机に揃えた。
「よし。致命傷なし」
相澤が「致命傷って言い方やめろ」と笑って、でも次の瞬間には真顔に戻る。
「結城、落ち着いてる。今、顔に“平気”じゃなくて“作業”って書いてある」
俺は返事の代わりに、赤ペンのキャップをはめた。落ち着きはまだ借り物みたいだけど、借り物でもいい。こうして一枚ずつ、誤字を潰して、紙を揃えて、順番を戻せば――今日も終わる。終われる。
