段ボールの角に触れていた指先を、俺はそっと離した。冷たい紙の感触が残っている。相澤は「助けられるのが怖い」を受け取ったまま、すぐに答えを出さない。代わりに、倉庫の奥に積まれた黒い布の山へ視線を移した。
「……じゃあさ」
相澤が、息を吐くみたいに言う。
「助ける話の前に、作業しよ。小道具。暗幕と録音。今できるやつ」
逃げ道みたいに聞こえるのに、逃げじゃない。現実に戻すやり方だ。俺は頷いて、黒い布の山に近づいた。暗幕――体育館行事で使う、分厚い黒。触ると埃の匂いがして、指が少しざらつく。
「これ、結構重い」
「重い。だから二人でやる」
相澤が当たり前みたいに言って、片端を持った。俺も反対側を持ち上げる。重さが腕に乗る。でも一人の重さじゃない。半分になるだけで、こんなに違うのかと腹が立つ。
暗幕を広げると、倉庫の薄い光が一段暗くなる。黒が黒を増やして、音まで吸い込むみたいだ。
「入口の導線、ここで作れるな」
俺が言うと、相澤は「設計」と短く返して、暗幕の端を見た。
「留め具、いる。洗濯ばさみじゃ無理だな」
「ガムテと養生テープ。…あと、突っ張り棒があると楽」
「突っ張り棒、借りる。どこにある?」
「用具室。俺、明日取ってくる」
言いかけて、俺は口を閉じた。明日、俺が全部やるみたいな言い方になっている。相澤が気づいたみたいに、すぐに言う。
「一緒に行く。朝当番のあと」
“明日も”が、ここでも自然に入ってくる。俺は反射で否定したくなるのに、暗幕の重さが手にあって、否定が喉まで届かなかった。
次に相澤が取り出したのはスマホだった。画面をタップして、録音アプリを開く。
「録音、どうする? 放送っぽくするなら、BGMとアナウンスだろ」
「BGMはフリー素材。…アナウンスは、短いのをループ。『迷子の方は受付へ』はもう禁止ワード寄りだから、言い方変える」
「本部が嫌がるやつな」
相澤はそこを軽く確認するだけで、茶化さない。俺は少しだけ息が通った。
「『お困りの方は入口スタッフへ』。それを“放送”っぽく、淡々と」
「声、誰がやる?」
相澤が聞いた瞬間、俺の中で“俺がやる”が立ち上がってしまう。責任。確実。自分でやれば安心。いつもの癖だ。けど相澤が、俺の目の動きを見て先に言う。
「結城、やりたくないなら俺がやる。やりたいなら、二人で分ける。どっち?」
どっち、は逃げ道じゃない。選ばせるための言葉だ。俺は暗幕の端を握り直して、小さく言った。
「……二人で。短いの、交互に」
相澤が「OK」と頷く。すぐに録音ボタンを押さず、まず台本メモを作るところが、妙に優しい。
「じゃ、文。結城、短く。俺、読みやすくする」
俺は暗幕の黒を見つめながら、言葉を絞った。
「『こちらは迷子の放送室です。困ったら近くのスタッフへ』…とか」
「いい。『困ったら』は柔らかい。放送っぽくするなら、語尾だけ整える」
相澤がさらっと直す。俺が言葉を出すたびに、相澤が形にする。暗い倉庫の中で、俺の“怖い”が少しだけ薄くなるのは、たぶんこういう手順のおかげだ。
暗幕を畳み直しながら、相澤がぽつりと言った。
「結城。助けられるのが怖いって言ったけどさ」
俺の心臓が一拍跳ねる。
「今のは、どう? 怖い?」
俺は答える前に、暗幕の重さをもう一度感じた。半分になった重さ。声の仕事を半分にした安心。怖さはまだある。でも――
「……怖いけど。さっきより、マシ」
それだけ言うと、相澤は小さく笑った。茶化す笑いじゃない。
「じゃ、これを続ける。暗幕と録音、まずここまで。三分、延長な」
延長、という言葉が、なぜか許可みたいに聞こえて。俺は暗幕の端を押さえたまま、小さく頷いた。
「……じゃあさ」
相澤が、息を吐くみたいに言う。
「助ける話の前に、作業しよ。小道具。暗幕と録音。今できるやつ」
逃げ道みたいに聞こえるのに、逃げじゃない。現実に戻すやり方だ。俺は頷いて、黒い布の山に近づいた。暗幕――体育館行事で使う、分厚い黒。触ると埃の匂いがして、指が少しざらつく。
「これ、結構重い」
「重い。だから二人でやる」
相澤が当たり前みたいに言って、片端を持った。俺も反対側を持ち上げる。重さが腕に乗る。でも一人の重さじゃない。半分になるだけで、こんなに違うのかと腹が立つ。
暗幕を広げると、倉庫の薄い光が一段暗くなる。黒が黒を増やして、音まで吸い込むみたいだ。
「入口の導線、ここで作れるな」
俺が言うと、相澤は「設計」と短く返して、暗幕の端を見た。
「留め具、いる。洗濯ばさみじゃ無理だな」
「ガムテと養生テープ。…あと、突っ張り棒があると楽」
「突っ張り棒、借りる。どこにある?」
「用具室。俺、明日取ってくる」
言いかけて、俺は口を閉じた。明日、俺が全部やるみたいな言い方になっている。相澤が気づいたみたいに、すぐに言う。
「一緒に行く。朝当番のあと」
“明日も”が、ここでも自然に入ってくる。俺は反射で否定したくなるのに、暗幕の重さが手にあって、否定が喉まで届かなかった。
次に相澤が取り出したのはスマホだった。画面をタップして、録音アプリを開く。
「録音、どうする? 放送っぽくするなら、BGMとアナウンスだろ」
「BGMはフリー素材。…アナウンスは、短いのをループ。『迷子の方は受付へ』はもう禁止ワード寄りだから、言い方変える」
「本部が嫌がるやつな」
相澤はそこを軽く確認するだけで、茶化さない。俺は少しだけ息が通った。
「『お困りの方は入口スタッフへ』。それを“放送”っぽく、淡々と」
「声、誰がやる?」
相澤が聞いた瞬間、俺の中で“俺がやる”が立ち上がってしまう。責任。確実。自分でやれば安心。いつもの癖だ。けど相澤が、俺の目の動きを見て先に言う。
「結城、やりたくないなら俺がやる。やりたいなら、二人で分ける。どっち?」
どっち、は逃げ道じゃない。選ばせるための言葉だ。俺は暗幕の端を握り直して、小さく言った。
「……二人で。短いの、交互に」
相澤が「OK」と頷く。すぐに録音ボタンを押さず、まず台本メモを作るところが、妙に優しい。
「じゃ、文。結城、短く。俺、読みやすくする」
俺は暗幕の黒を見つめながら、言葉を絞った。
「『こちらは迷子の放送室です。困ったら近くのスタッフへ』…とか」
「いい。『困ったら』は柔らかい。放送っぽくするなら、語尾だけ整える」
相澤がさらっと直す。俺が言葉を出すたびに、相澤が形にする。暗い倉庫の中で、俺の“怖い”が少しだけ薄くなるのは、たぶんこういう手順のおかげだ。
暗幕を畳み直しながら、相澤がぽつりと言った。
「結城。助けられるのが怖いって言ったけどさ」
俺の心臓が一拍跳ねる。
「今のは、どう? 怖い?」
俺は答える前に、暗幕の重さをもう一度感じた。半分になった重さ。声の仕事を半分にした安心。怖さはまだある。でも――
「……怖いけど。さっきより、マシ」
それだけ言うと、相澤は小さく笑った。茶化す笑いじゃない。
「じゃ、これを続ける。暗幕と録音、まずここまで。三分、延長な」
延長、という言葉が、なぜか許可みたいに聞こえて。俺は暗幕の端を押さえたまま、小さく頷いた。
