相澤の背中が廊下の人波に消えていくのを見て、俺は一瞬だけ置き去りにされたみたいな気分になった。けど、それは「一人で抱えろ」の置き去りじゃない。「お前はこれだけやれ」の置き去りだ。やることが“これだけ”に切られる。たったそれだけで、胸の奥の圧が少しだけ下がるのが悔しい。
(文言。文言だけ)
俺はスマホのメモに新しい文を打ち始めた。
「迷子の方は受付へ」――これだと普通すぎる。
「迷子の方は入口スタッフにお声がけください」――ルールにも優しい。
「放送室」や「誘導」を匂わせると本部が嫌がる。校内ルール、という言葉が画面にある以上、挑発はしない。
文言案を二つ並べたところで、息が詰まりかけた。提出先、先生チェック、送信形式、添付ファイル名。頭がまた枝分かれしそうになる。俺は掲示板の端を押さえていた手を離し、両手でスマホを持ち直した。逃げの手が出る前に、順番を思い出す。
その時、相澤が戻ってきた。走ってはいない。急いでいるのに、急いで見えない歩き方をしている。そこがずるい。相澤は俺の前まで来て、息も乱さず言った。
「先生、今職員室にいる。捕まえた。――結城、文言できた?」
「……今、二案」
「よし。二案で十分。三案目は作るな」
言い切られて、俺の指が止まった。作るな、って命令が、なぜか救いになる。俺は反射で「でも」と言いかけて、相澤がすぐに続けた。
「今、優先順位。
一:本部に出す修正文言を確定。
二:先生の確認印もらう。
三:送信。
原因究明は、四。今日じゃない」
四。原因を四番に落とされた瞬間、胸の奥の“罪悪感”が少しだけ薄くなる。俺はずっと、原因=自分の責任、みたいに直結させて苦しくなっていた。原因を後回しにしていい、と言われるだけで、世界が少し戻る。
「結城、見せて」
相澤はスマホを奪わない。画面を覗き込むだけ。俺は差し出すように持ち上げた。
『迷子の方は入口スタッフにお声がけください』
『お困りの方は受付までお越しください』
相澤が一秒で決めた。
「一個目。理由:具体的で、誘導じゃなく“案内”。本部が嫌う単語がない」
「……了解」
俺が頷くと、相澤は「よし」と短く言って、俺の肩口を軽く叩いた。触れたのは一瞬。けど、その一瞬で息が通る。
「結城、今の仕事、完璧。あとは俺が先生の前で一回喋る。結城は横で頷くだけでいい」
「……俺も喋れる」
反射で言い返したのに、声が弱い。相澤は笑わないで、ただ目を合わせた。
「喋れるの知ってる。けど、今は喋らなくていい。結城が削れないのが、今日の勝ち」
“削れないのが勝ち”という言い方が、俺の中で初めて正解になった気がした。俺はスマホの送信画面を開きながら、相澤の横に並ぶ。時間はまだ迫っている。でも、迫っているのは締切だけで、俺の呼吸じゃない。そこが、救いだった。
(文言。文言だけ)
俺はスマホのメモに新しい文を打ち始めた。
「迷子の方は受付へ」――これだと普通すぎる。
「迷子の方は入口スタッフにお声がけください」――ルールにも優しい。
「放送室」や「誘導」を匂わせると本部が嫌がる。校内ルール、という言葉が画面にある以上、挑発はしない。
文言案を二つ並べたところで、息が詰まりかけた。提出先、先生チェック、送信形式、添付ファイル名。頭がまた枝分かれしそうになる。俺は掲示板の端を押さえていた手を離し、両手でスマホを持ち直した。逃げの手が出る前に、順番を思い出す。
その時、相澤が戻ってきた。走ってはいない。急いでいるのに、急いで見えない歩き方をしている。そこがずるい。相澤は俺の前まで来て、息も乱さず言った。
「先生、今職員室にいる。捕まえた。――結城、文言できた?」
「……今、二案」
「よし。二案で十分。三案目は作るな」
言い切られて、俺の指が止まった。作るな、って命令が、なぜか救いになる。俺は反射で「でも」と言いかけて、相澤がすぐに続けた。
「今、優先順位。
一:本部に出す修正文言を確定。
二:先生の確認印もらう。
三:送信。
原因究明は、四。今日じゃない」
四。原因を四番に落とされた瞬間、胸の奥の“罪悪感”が少しだけ薄くなる。俺はずっと、原因=自分の責任、みたいに直結させて苦しくなっていた。原因を後回しにしていい、と言われるだけで、世界が少し戻る。
「結城、見せて」
相澤はスマホを奪わない。画面を覗き込むだけ。俺は差し出すように持ち上げた。
『迷子の方は入口スタッフにお声がけください』
『お困りの方は受付までお越しください』
相澤が一秒で決めた。
「一個目。理由:具体的で、誘導じゃなく“案内”。本部が嫌う単語がない」
「……了解」
俺が頷くと、相澤は「よし」と短く言って、俺の肩口を軽く叩いた。触れたのは一瞬。けど、その一瞬で息が通る。
「結城、今の仕事、完璧。あとは俺が先生の前で一回喋る。結城は横で頷くだけでいい」
「……俺も喋れる」
反射で言い返したのに、声が弱い。相澤は笑わないで、ただ目を合わせた。
「喋れるの知ってる。けど、今は喋らなくていい。結城が削れないのが、今日の勝ち」
“削れないのが勝ち”という言い方が、俺の中で初めて正解になった気がした。俺はスマホの送信画面を開きながら、相澤の横に並ぶ。時間はまだ迫っている。でも、迫っているのは締切だけで、俺の呼吸じゃない。そこが、救いだった。
