自販機の前だけが、学校の中で唯一“逃げていい場所”みたいだった。校舎裏は日当たりが悪くて、昼のはずなのに空気が冷たい。職員室前の廊下の白さ、担任の声、相澤の「ここ俺が喋る」が、全部まだ耳の奥で鳴っている。
俺は小銭を入れようとして、指がうまく動かないことに気づいた。手が震えている。情けない。缶の落ちる音でさえ怖くて、結局何も買わずに、ただ自販機のガラスに映る自分の顔を見た。青い。目が笑っていない。眉間だけが働いている。
「……はぁ」
息を吐いたつもりが、喉が鳴っただけだった。胸がまだ詰まっている。落ち着け、って言われたのに、落ち着き方が分からない。
背後から足音が近づいて、俺は反射で肩に力を入れた。誰かが来る。責められる。説明しろって言われる。そんな予測が勝手に走る。でも聞こえてきたのは、いつもの軽い声じゃなく、わざと静かにした相澤の声だった。
「結城、ここか」
俺は振り返れないまま、頷きだけで返した。相澤は自販機に小銭を入れて、缶を二本買う。落ちる音が、思ったより大きく響いて、俺は目を閉じそうになった。
相澤が缶を一本、俺の前に差し出す。
「飲め。甘いやつ。とりあえず」
「……いらない」
言ったのに、手は勝手に受け取っていた。冷たさが掌に刺さって、やっと現実に戻れる気がする。缶の水滴が指を濡らした。
「さっきの職員室前」
相澤が言いかけて、少し間を置いた。責めない間。言葉を選ぶ間。
「結城、潰れる寸前だった」
俺は缶を握りしめたまま、目の前のコンクリートを見た。ここで否定したら、また嘘になる。嘘を重ねると、もっと苦しくなる。
「……ごめん」
出てきたのは、また謝罪だった。違う、謝る相手じゃない。そう分かっているのに、口が先に謝る。相澤は「それ違う」とも言わず、ただ息を吐いた。
「謝んな。…いや、謝りたくなるのは分かるけどさ」
分かる、って言われた瞬間、胸の奥がふっと緩んで、危うく何かが溢れそうになった。俺は缶を口に当てて、飲むふりをした。甘さが舌に残って、喉がやっと動く。
「俺が、ちゃんと見てれば」
やっと出た本音は、情けなくて、弱くて、でも止められなかった。確認した“はず”が、怖かった。誰かのせいにしたくなくて、全部自分の中で終わらせたかった。
相澤は缶を開ける音を立ててから、俺の横に並ぶでもなく、少しだけ距離を置いて立った。近すぎない距離。逃げない距離。
「結城さ。見てたよ。ちゃんとやってた。だから余計に、あれは結城だけの問題じゃない」
その言い方が、慰めじゃなく事実みたいに聞こえて、俺は缶の表面を親指でなぞった。冷たさで震えが少しだけ収まる。
「……でも、怖かった」
言ってしまった。相澤の“前に出た背中”が、頭の中に浮かぶ。守られた、と感じた自分が、さらに怖い。
相澤は短く「うん」とだけ返して、俺の缶をちらっと見た。
「飲めた? じゃ、戻る。切り分け、やろ」
戻る。現実に戻る。けれど、さっきまでの現実とは少し違う。俺が一人で背負う現実じゃない。
「……うん」
返事をした途端、胸の奥がまた痛くなって、俺はもう一口だけ甘いのを飲んだ。「ごめん」と言った途端、胸の奥が痛くて、言葉の続きを飲み込んだ。
俺は小銭を入れようとして、指がうまく動かないことに気づいた。手が震えている。情けない。缶の落ちる音でさえ怖くて、結局何も買わずに、ただ自販機のガラスに映る自分の顔を見た。青い。目が笑っていない。眉間だけが働いている。
「……はぁ」
息を吐いたつもりが、喉が鳴っただけだった。胸がまだ詰まっている。落ち着け、って言われたのに、落ち着き方が分からない。
背後から足音が近づいて、俺は反射で肩に力を入れた。誰かが来る。責められる。説明しろって言われる。そんな予測が勝手に走る。でも聞こえてきたのは、いつもの軽い声じゃなく、わざと静かにした相澤の声だった。
「結城、ここか」
俺は振り返れないまま、頷きだけで返した。相澤は自販機に小銭を入れて、缶を二本買う。落ちる音が、思ったより大きく響いて、俺は目を閉じそうになった。
相澤が缶を一本、俺の前に差し出す。
「飲め。甘いやつ。とりあえず」
「……いらない」
言ったのに、手は勝手に受け取っていた。冷たさが掌に刺さって、やっと現実に戻れる気がする。缶の水滴が指を濡らした。
「さっきの職員室前」
相澤が言いかけて、少し間を置いた。責めない間。言葉を選ぶ間。
「結城、潰れる寸前だった」
俺は缶を握りしめたまま、目の前のコンクリートを見た。ここで否定したら、また嘘になる。嘘を重ねると、もっと苦しくなる。
「……ごめん」
出てきたのは、また謝罪だった。違う、謝る相手じゃない。そう分かっているのに、口が先に謝る。相澤は「それ違う」とも言わず、ただ息を吐いた。
「謝んな。…いや、謝りたくなるのは分かるけどさ」
分かる、って言われた瞬間、胸の奥がふっと緩んで、危うく何かが溢れそうになった。俺は缶を口に当てて、飲むふりをした。甘さが舌に残って、喉がやっと動く。
「俺が、ちゃんと見てれば」
やっと出た本音は、情けなくて、弱くて、でも止められなかった。確認した“はず”が、怖かった。誰かのせいにしたくなくて、全部自分の中で終わらせたかった。
相澤は缶を開ける音を立ててから、俺の横に並ぶでもなく、少しだけ距離を置いて立った。近すぎない距離。逃げない距離。
「結城さ。見てたよ。ちゃんとやってた。だから余計に、あれは結城だけの問題じゃない」
その言い方が、慰めじゃなく事実みたいに聞こえて、俺は缶の表面を親指でなぞった。冷たさで震えが少しだけ収まる。
「……でも、怖かった」
言ってしまった。相澤の“前に出た背中”が、頭の中に浮かぶ。守られた、と感じた自分が、さらに怖い。
相澤は短く「うん」とだけ返して、俺の缶をちらっと見た。
「飲めた? じゃ、戻る。切り分け、やろ」
戻る。現実に戻る。けれど、さっきまでの現実とは少し違う。俺が一人で背負う現実じゃない。
「……うん」
返事をした途端、胸の奥がまた痛くなって、俺はもう一口だけ甘いのを飲んだ。「ごめん」と言った途端、胸の奥が痛くて、言葉の続きを飲み込んだ。
