アラームが鳴る前に目が覚める。
カーテンの隙間から差し込む光は、今日もひどく白々しくて、僕の体温を奪っていくようだった。
湊は、天井の木目をじっと見つめる。
右から三番目の節が、なんとなく歪んだ笑い顔に見える。
それを確認するのが、僕の朝の儀式だった。
「……今日も、変わらないな」
独り言は、乾燥した部屋の空気に吸い込まれて消えた。
制服に着替え、鏡を見る。
そこに映っているのは、どこにでもいる、目立たない高校二年生の少年だ。
校則通りの短髪、無表情な目。自分の顔なのに、時々、他人の写真を眺めているような気分になる。
僕の世界は、いつからかモノクロームだ。
何を食べても味が薄く、何を聴いてもノイズが混じっている。
学校へ行き、授業を受け、適当に相槌を打ち、帰宅して眠る。
その繰り返しのサイクルに、何の疑問も持たないように心を殺していた。
家を出ると、五月の風が頬を掠めた。
街は色彩に溢れているはずだった。
道端に咲くツツジの赤、信号機の青、登校中の女子生徒が振るう色鮮やかなキーホルダー。
けれど、僕の目を通すと、それらはすべて明度の異なる灰色に変換されてしまう。
趣味の古いライカを、通学鞄の底に忍ばせている。
僕はときどき、放課後の誰もいない場所でシャッターを切る。
モノクロフィルムを使い、色のない世界をそのまま切り取る。
そうすることで、自分の感覚が間違っていないのだと確認したかった。
「おはよう、湊」
校門をくぐると、数人のクラスメイトが声をかけてくる。
「……ああ、おはよう」
名前を呼ばれるたびに、背中がむず痒くなる。
彼らは僕を見ているのではなく、そこに「いるはずのピース」を確認しているだけだ。
僕という人間が何に怒り、何に笑うか、誰も興味なんて持っていない。
それでよかった。
深入りされるより、背景の一部として扱われる方が、ずっと呼吸がしやすい。
教室に入り、自分の席に座る。
窓際の後ろから二番目。
物語の主人公なら特等席だろうが、僕にとっては単に「視界が遮られ、誰とも目を合わせなくて済む場所」でしかなかった。
予鈴が鳴る直前、クラスが妙に騒がしくなった。
「おい、マジかよ」
「こんな時期に?」
廊下から、担任の重い足音と一緒に、もう一つ、軽やかなステップが聞こえてくる。
コンクリートを蹴るような、リズム感のある音。
ガラリと教室の扉が開いた。
「えー、急だが今日から新しい仲間が増えることになった」
担任の言葉に、教室の温度が数度上がった。
だが、僕だけは冷めたまま、ノートの端に意味のない幾何学模様を描き続けていた。
どうせ、僕の灰色の日常に干渉してくる存在ではない。
だが、その予想は、次の瞬間に裏切られることになる。
「浅陽 陽太です。趣味は、面白いこと探し! よろしくな!」
弾けるような声だった。
教室に充満していた淀んだ空気を、一瞬で切り裂くような響き。
思わず顔を上げると、教壇の前で、一人の少年が白い歯を見せて笑っていた。
少し長めの髪は、ワックスで無造作に遊ばせている。
制服のシャツは第一ボタンまで開けられ、首元には安っぽい革紐のネックレス。
そして、何より――彼の周りだけ、世界の「彩度」がおかしかった。
僕の目に映る彼は、灰色なんかじゃなかった。
網膜が焼けるような、鮮烈な「青」。
夏の空をそのまま閉じ込めたような、見たこともないほど澄んだ色彩が、彼の瞳と、その存在すべてから溢れ出している。
「……なんだ、あいつ」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
陽太と名乗った少年は、クラス中を見渡すと、まるで僕がそこにいることを知っていたかのように、まっすぐに僕の目を見た。
「あ、見っけ」
彼は迷いのない足取りで、僕の方へ歩いてくる。
教室内がしんと静まり返る中、彼は僕の隣の、空席だった机にドサリと荷物を置いた。
「よろしくな。えーっと……」
彼は僕のノートを覗き込み、そこに書かれた名前を見つける。
「湊。湊、って呼んでいいか?」
「……勝手にすれば。僕は、君なんて知らないけど」
突き放すように言った。
しかし、彼は怯むどころか、さらに顔を近づけてくる。
彼の纏う空気は、太陽に温められたアスファルトのような、不思議な熱を持っていた。
「いいじゃん、これから知れば。俺さ、勘が鋭いんだよ。お前と一緒にいれば、最高に面白いことが撮れそうな気がする」
彼は、僕が鞄の奥に隠していたカメラの存在を、一目で見抜いたような不敵な笑みを浮かべた。
モノクロームの世界に、一滴の濃いインクを落としたような出会い。
それが、僕と陽太の、そして終わりの始まりの幕開けだった。
カーテンの隙間から差し込む光は、今日もひどく白々しくて、僕の体温を奪っていくようだった。
湊は、天井の木目をじっと見つめる。
右から三番目の節が、なんとなく歪んだ笑い顔に見える。
それを確認するのが、僕の朝の儀式だった。
「……今日も、変わらないな」
独り言は、乾燥した部屋の空気に吸い込まれて消えた。
制服に着替え、鏡を見る。
そこに映っているのは、どこにでもいる、目立たない高校二年生の少年だ。
校則通りの短髪、無表情な目。自分の顔なのに、時々、他人の写真を眺めているような気分になる。
僕の世界は、いつからかモノクロームだ。
何を食べても味が薄く、何を聴いてもノイズが混じっている。
学校へ行き、授業を受け、適当に相槌を打ち、帰宅して眠る。
その繰り返しのサイクルに、何の疑問も持たないように心を殺していた。
家を出ると、五月の風が頬を掠めた。
街は色彩に溢れているはずだった。
道端に咲くツツジの赤、信号機の青、登校中の女子生徒が振るう色鮮やかなキーホルダー。
けれど、僕の目を通すと、それらはすべて明度の異なる灰色に変換されてしまう。
趣味の古いライカを、通学鞄の底に忍ばせている。
僕はときどき、放課後の誰もいない場所でシャッターを切る。
モノクロフィルムを使い、色のない世界をそのまま切り取る。
そうすることで、自分の感覚が間違っていないのだと確認したかった。
「おはよう、湊」
校門をくぐると、数人のクラスメイトが声をかけてくる。
「……ああ、おはよう」
名前を呼ばれるたびに、背中がむず痒くなる。
彼らは僕を見ているのではなく、そこに「いるはずのピース」を確認しているだけだ。
僕という人間が何に怒り、何に笑うか、誰も興味なんて持っていない。
それでよかった。
深入りされるより、背景の一部として扱われる方が、ずっと呼吸がしやすい。
教室に入り、自分の席に座る。
窓際の後ろから二番目。
物語の主人公なら特等席だろうが、僕にとっては単に「視界が遮られ、誰とも目を合わせなくて済む場所」でしかなかった。
予鈴が鳴る直前、クラスが妙に騒がしくなった。
「おい、マジかよ」
「こんな時期に?」
廊下から、担任の重い足音と一緒に、もう一つ、軽やかなステップが聞こえてくる。
コンクリートを蹴るような、リズム感のある音。
ガラリと教室の扉が開いた。
「えー、急だが今日から新しい仲間が増えることになった」
担任の言葉に、教室の温度が数度上がった。
だが、僕だけは冷めたまま、ノートの端に意味のない幾何学模様を描き続けていた。
どうせ、僕の灰色の日常に干渉してくる存在ではない。
だが、その予想は、次の瞬間に裏切られることになる。
「浅陽 陽太です。趣味は、面白いこと探し! よろしくな!」
弾けるような声だった。
教室に充満していた淀んだ空気を、一瞬で切り裂くような響き。
思わず顔を上げると、教壇の前で、一人の少年が白い歯を見せて笑っていた。
少し長めの髪は、ワックスで無造作に遊ばせている。
制服のシャツは第一ボタンまで開けられ、首元には安っぽい革紐のネックレス。
そして、何より――彼の周りだけ、世界の「彩度」がおかしかった。
僕の目に映る彼は、灰色なんかじゃなかった。
網膜が焼けるような、鮮烈な「青」。
夏の空をそのまま閉じ込めたような、見たこともないほど澄んだ色彩が、彼の瞳と、その存在すべてから溢れ出している。
「……なんだ、あいつ」
心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
陽太と名乗った少年は、クラス中を見渡すと、まるで僕がそこにいることを知っていたかのように、まっすぐに僕の目を見た。
「あ、見っけ」
彼は迷いのない足取りで、僕の方へ歩いてくる。
教室内がしんと静まり返る中、彼は僕の隣の、空席だった机にドサリと荷物を置いた。
「よろしくな。えーっと……」
彼は僕のノートを覗き込み、そこに書かれた名前を見つける。
「湊。湊、って呼んでいいか?」
「……勝手にすれば。僕は、君なんて知らないけど」
突き放すように言った。
しかし、彼は怯むどころか、さらに顔を近づけてくる。
彼の纏う空気は、太陽に温められたアスファルトのような、不思議な熱を持っていた。
「いいじゃん、これから知れば。俺さ、勘が鋭いんだよ。お前と一緒にいれば、最高に面白いことが撮れそうな気がする」
彼は、僕が鞄の奥に隠していたカメラの存在を、一目で見抜いたような不敵な笑みを浮かべた。
モノクロームの世界に、一滴の濃いインクを落としたような出会い。
それが、僕と陽太の、そして終わりの始まりの幕開けだった。



