スタスタと歩き進める紘都を追いながら、思考を整理していく。
事件が起きた場所は、三年一組の生徒がたくさんいる教室。そこで、落書きされたクラスTシャツがゴミ箱の中から見つかった。それは生徒会長のもので間違いなさそうだ。
しかし、それを見ていた人はひとりもいない。落書きをしているところも、ゴミ箱に捨てているところも。
絶対に犯人がいるはずなのに、そのヒントがなさすぎる。
「……透明人間ってマジでいたんだな」
なんとなく呟くと、紘都は振り返って顔を顰めた。
そんな表情をされるとは、心外だな。
「なんだよ。お前が昨日言ったんだろ? 誰にも見られていない犯人のこと、透明人間って」
紘都は深くため息をつき、再び歩き始める。
そんな冗談を信じるアホとは思わなかった。
顔を見ていないのに、そう考えているのが伝わってきた。
俺だって、本気で透明人間がいるとは思ってない。でも、こんな状況ならそう考えたくなるのもおかしくないだろ。
「人目を盗んで悪事を働くのは不可能じゃない。ゴミ箱に捨てるとき、別のゴミと一緒に捨てるか、身体で隠すかすれば誰にも見られていないのと変わらない」
「そうかもしれないけど……」
紘都の言うことは一理ある。それは、ちゃんとわかっている。
でも、どうにも腑に落ちない。
「悪いことをするときって、若干挙動不審になって周りを警戒したりするじゃん。そういう違和感すらも、誰も気付かないってありえるのかよ」
「その相手を気にしていなければ、ありえるだろ」
「同じ空間にいるのに?」
近くにいれば、気にしていなくても気付けるような気がするけど。
実際、さっきの俺も、美術部と思しき女子たちの会話を気にしていたわけではないけど、聞こえたわけだし。
「じゃあ聞くが、お前は俺が着替えに教室を出たことに気付いていたのか」
紘都に言われ、記憶を辿る。
紘都と三階に上がってくる前は、教室で紘都のコスプレを見て……矢野たちと話していたが、その前は、窓の外を眺めて考えごとをしていた。
そこまで明確に思い出せるのに、いつ紘都が着替えに行ったのかは記憶にない。
ゆえに俺は、紘都の質問に答えられなかった。
俺の無言の時間は肯定の意として伝わり、紘都は「ほらみろ」と言わんばかりに小さく息を吐き出しながら、階段を降りていく。
「まあ……誰にも意識を向けられていなかったとなれば、ある意味透明人間と言えるだろうが……あまりそういう言い方はしたくない」
「……同感」
俺は安易に“透明人間”というワードを使ったことを悔いた。いくら記憶に新しい単語でも、言っていいことと悪いことがある。
しかしまあ、だったら昨日の紘都はどういうつもりで言ったんだと責めたいところではあるが。あれだって人の仕業じゃんね。
「ん? 教室に戻らねえの?」
勝手に不貞腐れていたら、紘都が俺たちの教室を華麗にスルーして、廊下を進んでいった。
「事情が変わった」
「事情?」
紘都は俺の返しなんか聞き流して、黙って歩き進める。
事情だなんて、そんな気になる言い回しをされたらついて行くしかない。
そして紘都が向かったのは、のんちゃんのクラスだった。のんちゃんは昨日と変わらず、真面目に文化祭の準備に取り組んでいる。
「あ! ヒロくん、碧羽くん!」
俺たちの存在に気付いたひとりがのんちゃんに伝えたことで、のんちゃんは俺たちを見て表情を明るくした。
どこまでもいつもと変わらないのんちゃんを見ていると、自然と口角が緩む。やっぱり俺の日常はこうでないと。
のんちゃんは作業を止め、俺たちのもとへ駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
いつもなら勝手に教室の中に入っていくのに、今日は廊下から呼んだこともあり、のんちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「話がある」
紘都が真剣な顔をして言うと、のんちゃんは一拍置いて反対の左側に首を動かした。
だけど、すぐになにかあったことを察したようで、わずかに笑顔を消して「わかった」と返す。
そして俺とのんちゃんは、紘都について場所を移した。賑やかな廊下を通り抜け、校舎を出る。
その間、のんちゃんはなにも話さなくて、変に緊張してしまう。
逆に俺がなにか話したほうがいいのかなんて考えているうちに、紘都は外の渡り廊下の真ん中で足を止めた。三階の渡り廊下のおかげで、日差しが強くても影ができている。日に当たると暑いので、俺とのんちゃんは影の上に並んで紘都と向かい合う。
あのことを話すなら人気がないところに行くと思っていたから、ちょっと戸惑ってしまう。
まあ、ここなら誰かが通ったとかわかりやすいし、話も止められるのか。
「なにがあったの?」
探偵モードに入ったのんちゃんは、単刀直入に尋ねる。
すると、タイミングよく生ぬるい風が吹き抜けた。その風は紘都の髪をなびかせ、表情を隠してしまった。それが不穏さを際立たせているようで、のんちゃんの緊張感が真横から伝わってくる。
「……さっき、生徒会長のクラスTシャツが落書きされて、捨てられてた」
紘都が静かに告げると、のんちゃんは風にさらわれるような声で「え……」とこぼした。
やっぱり昨日の垂れ幕事件を知っていると、二日連続で、という動揺が走るみたいだ。
「ねえ、それって……」
紘都は重たく首を縦に振った。
俺は全然わからないのに、ふたりにはなにか確信めいたことがあるらしい。
なんだ。なにをふたりは確信している?
——事情が変わった。
引っかかるのは、さっきの紘都の言葉だ。
事情ってなんだ? Tシャツ事件が起きたことで、どんな事情が変わるって言うんだ?
「……確認なんだけどさ」
ひとつ、たどり着いた結論を確かめたくて、恐る恐る手を上げると、のんちゃんと紘都の視線がこちらに向いた。
きょとんとしたのんちゃんと、どこか面倒そうな紘都を交互に見る。
「もしかしてふたりとも、犯人わかってんの?」
またしても、アイコンタクト。
なんとなく、話していいと思う?なんて会話をしているように見える。
「……へっぽこ探偵」
「あん?」
紘都がため息混じりに言ったのに対して、条件反射で応えてしまった。
俺が探偵に向いていないとわかっているくせにへっぽことか、結構性格悪いからな、この野郎。
しかし少し落ち着いて紘都の言葉の意図を考えれば、やっぱりふたりは垂れ幕を切った犯人も、生徒会長のクラスTシャツに落書きをした犯人もわかっているようにしか思えなかった。
でも、俺には言えない。
そう察したけれど、その理由がわからない。
「お前、本当にわからないのか」
「なにが?」
「昨日の放課後、垂れ幕を切ることができたのは誰なのか。そして、さっきの教室での違和感の正体がなんなのか」
紘都に問われ、俺は改めて記憶をたどった。その間、何人か生徒が談笑しながら通り過ぎていったけれど、その声はどこか遠くから聞こえてきたような気がした。
昨日の放課後のこと、紘都から聞いた話をもう一度整理しよう。
結衣子先輩が垂れ幕を片付けるために、一番に屋上に到着したんだっけ。そこから生徒会長と紘都が合流するまで、三人は誰にも会わなかった。
でも、俺の手元に犯行に使われたであろうハサミがあったから、間違いなく垂れ幕は屋上で切られている。
屋上も開放されているとはいえ、誰にも会わなかったという点から導かれる答えは……
事件が起きた場所は、三年一組の生徒がたくさんいる教室。そこで、落書きされたクラスTシャツがゴミ箱の中から見つかった。それは生徒会長のもので間違いなさそうだ。
しかし、それを見ていた人はひとりもいない。落書きをしているところも、ゴミ箱に捨てているところも。
絶対に犯人がいるはずなのに、そのヒントがなさすぎる。
「……透明人間ってマジでいたんだな」
なんとなく呟くと、紘都は振り返って顔を顰めた。
そんな表情をされるとは、心外だな。
「なんだよ。お前が昨日言ったんだろ? 誰にも見られていない犯人のこと、透明人間って」
紘都は深くため息をつき、再び歩き始める。
そんな冗談を信じるアホとは思わなかった。
顔を見ていないのに、そう考えているのが伝わってきた。
俺だって、本気で透明人間がいるとは思ってない。でも、こんな状況ならそう考えたくなるのもおかしくないだろ。
「人目を盗んで悪事を働くのは不可能じゃない。ゴミ箱に捨てるとき、別のゴミと一緒に捨てるか、身体で隠すかすれば誰にも見られていないのと変わらない」
「そうかもしれないけど……」
紘都の言うことは一理ある。それは、ちゃんとわかっている。
でも、どうにも腑に落ちない。
「悪いことをするときって、若干挙動不審になって周りを警戒したりするじゃん。そういう違和感すらも、誰も気付かないってありえるのかよ」
「その相手を気にしていなければ、ありえるだろ」
「同じ空間にいるのに?」
近くにいれば、気にしていなくても気付けるような気がするけど。
実際、さっきの俺も、美術部と思しき女子たちの会話を気にしていたわけではないけど、聞こえたわけだし。
「じゃあ聞くが、お前は俺が着替えに教室を出たことに気付いていたのか」
紘都に言われ、記憶を辿る。
紘都と三階に上がってくる前は、教室で紘都のコスプレを見て……矢野たちと話していたが、その前は、窓の外を眺めて考えごとをしていた。
そこまで明確に思い出せるのに、いつ紘都が着替えに行ったのかは記憶にない。
ゆえに俺は、紘都の質問に答えられなかった。
俺の無言の時間は肯定の意として伝わり、紘都は「ほらみろ」と言わんばかりに小さく息を吐き出しながら、階段を降りていく。
「まあ……誰にも意識を向けられていなかったとなれば、ある意味透明人間と言えるだろうが……あまりそういう言い方はしたくない」
「……同感」
俺は安易に“透明人間”というワードを使ったことを悔いた。いくら記憶に新しい単語でも、言っていいことと悪いことがある。
しかしまあ、だったら昨日の紘都はどういうつもりで言ったんだと責めたいところではあるが。あれだって人の仕業じゃんね。
「ん? 教室に戻らねえの?」
勝手に不貞腐れていたら、紘都が俺たちの教室を華麗にスルーして、廊下を進んでいった。
「事情が変わった」
「事情?」
紘都は俺の返しなんか聞き流して、黙って歩き進める。
事情だなんて、そんな気になる言い回しをされたらついて行くしかない。
そして紘都が向かったのは、のんちゃんのクラスだった。のんちゃんは昨日と変わらず、真面目に文化祭の準備に取り組んでいる。
「あ! ヒロくん、碧羽くん!」
俺たちの存在に気付いたひとりがのんちゃんに伝えたことで、のんちゃんは俺たちを見て表情を明るくした。
どこまでもいつもと変わらないのんちゃんを見ていると、自然と口角が緩む。やっぱり俺の日常はこうでないと。
のんちゃんは作業を止め、俺たちのもとへ駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
いつもなら勝手に教室の中に入っていくのに、今日は廊下から呼んだこともあり、のんちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「話がある」
紘都が真剣な顔をして言うと、のんちゃんは一拍置いて反対の左側に首を動かした。
だけど、すぐになにかあったことを察したようで、わずかに笑顔を消して「わかった」と返す。
そして俺とのんちゃんは、紘都について場所を移した。賑やかな廊下を通り抜け、校舎を出る。
その間、のんちゃんはなにも話さなくて、変に緊張してしまう。
逆に俺がなにか話したほうがいいのかなんて考えているうちに、紘都は外の渡り廊下の真ん中で足を止めた。三階の渡り廊下のおかげで、日差しが強くても影ができている。日に当たると暑いので、俺とのんちゃんは影の上に並んで紘都と向かい合う。
あのことを話すなら人気がないところに行くと思っていたから、ちょっと戸惑ってしまう。
まあ、ここなら誰かが通ったとかわかりやすいし、話も止められるのか。
「なにがあったの?」
探偵モードに入ったのんちゃんは、単刀直入に尋ねる。
すると、タイミングよく生ぬるい風が吹き抜けた。その風は紘都の髪をなびかせ、表情を隠してしまった。それが不穏さを際立たせているようで、のんちゃんの緊張感が真横から伝わってくる。
「……さっき、生徒会長のクラスTシャツが落書きされて、捨てられてた」
紘都が静かに告げると、のんちゃんは風にさらわれるような声で「え……」とこぼした。
やっぱり昨日の垂れ幕事件を知っていると、二日連続で、という動揺が走るみたいだ。
「ねえ、それって……」
紘都は重たく首を縦に振った。
俺は全然わからないのに、ふたりにはなにか確信めいたことがあるらしい。
なんだ。なにをふたりは確信している?
——事情が変わった。
引っかかるのは、さっきの紘都の言葉だ。
事情ってなんだ? Tシャツ事件が起きたことで、どんな事情が変わるって言うんだ?
「……確認なんだけどさ」
ひとつ、たどり着いた結論を確かめたくて、恐る恐る手を上げると、のんちゃんと紘都の視線がこちらに向いた。
きょとんとしたのんちゃんと、どこか面倒そうな紘都を交互に見る。
「もしかしてふたりとも、犯人わかってんの?」
またしても、アイコンタクト。
なんとなく、話していいと思う?なんて会話をしているように見える。
「……へっぽこ探偵」
「あん?」
紘都がため息混じりに言ったのに対して、条件反射で応えてしまった。
俺が探偵に向いていないとわかっているくせにへっぽことか、結構性格悪いからな、この野郎。
しかし少し落ち着いて紘都の言葉の意図を考えれば、やっぱりふたりは垂れ幕を切った犯人も、生徒会長のクラスTシャツに落書きをした犯人もわかっているようにしか思えなかった。
でも、俺には言えない。
そう察したけれど、その理由がわからない。
「お前、本当にわからないのか」
「なにが?」
「昨日の放課後、垂れ幕を切ることができたのは誰なのか。そして、さっきの教室での違和感の正体がなんなのか」
紘都に問われ、俺は改めて記憶をたどった。その間、何人か生徒が談笑しながら通り過ぎていったけれど、その声はどこか遠くから聞こえてきたような気がした。
昨日の放課後のこと、紘都から聞いた話をもう一度整理しよう。
結衣子先輩が垂れ幕を片付けるために、一番に屋上に到着したんだっけ。そこから生徒会長と紘都が合流するまで、三人は誰にも会わなかった。
でも、俺の手元に犯行に使われたであろうハサミがあったから、間違いなく垂れ幕は屋上で切られている。
屋上も開放されているとはいえ、誰にも会わなかったという点から導かれる答えは……



