騒ぎがあったのは、隣の三年一組の教室。俺たちと同様に、騒ぎを聞きつけた生徒たちが、なにごとかと廊下から中の様子を窺っている。
俺たちもただの野次馬で、教室の中に入ることはできそうになかった。
「なんでTシャツがゴミ箱から出てくるわけ!? 信じらんないんだけど!」
さっき聞こえた甲高い声が、耳を刺した。
怒鳴り声を上げている彼女の隣には、ひとりの女子がいる。教室後方からクラスメイトたちを睨みつけている形相は、当事者ではない俺ですら、しり込みしてしまいそうなくらいだ。
怒り狂っている彼女の手には、見覚えのあるクラスTシャツが握られている。
あれはたしか、昨日結衣子先輩が着ていたTシャツだ。
「絵の上にバツとか書いてさあ! 気に入らなかったなら、うちらみたいに言えばよかったじゃん!」
「え、また?」
脊髄反射だった。
誰かが、誰かの作ったものを台無しにする。それが連日起きたことで、また?と思ったのだが、自分でも驚くくらい自然と口から零れていた。
それは当然周りにも聞こえているし、呟いたわけでもないから、怒っている彼女の耳にも届いてしまった。
彼女は俺が言ったと気付くと、俺を睨んできた。それはとてつもなく鋭い視線で、俺は一瞬身体を強ばらせた。
すると、隣から紘都のため息が聞こえた。
自分でも、余計な首を突っ込んだと思う。
「アンタ、なにか知ってんの?」
彼女がまっすぐ俺を見て言うせいで、周りが変な気を使って道を開けてしまった。
見えにくかった教室内がよく見える。
女子二人組対クラス全員。その中には、怯えた様子の結衣子先輩がいた。やっぱり、記憶違いではなかったらしい。結衣子先輩は昨日と同じTシャツを着ている。
それにしても、二日続けてこんな事件に巻き込まれるなんて、結衣子先輩もツイてないな。
なんて、今は現実逃避をしている場合じゃないか。
「いやー……」
昨日の垂れ幕のことを言うわけにもいかず、俺は言葉を濁す。助けてほしくて紘都のほうを見たが、まるで他人のような態度だ。
関わりたくないってことですか。まあ、ですよね。俺も紘都の立場だったら関わりたくなくて知らん振りする。
「なんの騒ぎ?」
どう言い逃れしようかと思ったとき、凛とした声が教室に響いた。
教室後方にいる俺たちに対して、その声は前方のドア付近から聞こえてきた。
「ちょっと聞いてよ、保高!」
結衣子先輩が「早希……」と口を動かしたと思ったら、犯人探しで頭がいっぱいな彼女が声を上げた。
彼女はTシャツを手にしたまま、生徒会長の元へ向かっていく。
「瑠夏、落ち着いて」
「これ!」
瑠夏と呼ばれた彼女は、生徒会長の言葉に被せるように、手に持っているTシャツを勢いよく差し出した。
「誰かが落書きしてゴミ箱に捨ててたんだけど!」
生徒会長はそれを受け取ると、広げて落書きを確認した。曇っていく表情が、その落書きの酷さを表しているようだ。
「あそこの子が『また?』って言ってたんだけど、保高ちゃん、なにか知ってる?」
生徒会長にそう尋ねたのは、瑠夏先輩ではなく、彼女の後ろにいるもうひとりの女子生徒だった。
その女子が俺のほうを向いたことで、生徒会長の視線も俺を捉える。
しかし昨日の今日だというのに、会長は俺を睨んだりしてこないどころか、すぐに視線を逸らされてしまった。それが逆に怖いと感じてしまうのは、俺がおかしいのか。
「さあ、彼の勘違いじゃないかな。これに似たことが起きたなんて、私の耳には届いてないもの」
そんなわけないだろ。
会長が訪ねてきた彼女に答えるのを聞いてそう思ったが、口にするより先に、紘都に睨まれてしまった。余計なことを言うなと目が語っている。
ここでも嘘を重ねるということは、どうしても垂れ幕のことを隠したいのだろう。
でも、どうして垂れ幕が切られていたことを隠したいのだろう。水面下で犯人捜しでもするつもりか?
「それで、これはどうやって見つかったの?」
会長は完全に俺のことをスルーして話を進めた。
あとで名探偵のんちゃんに話すかもしれないし、俺もよく聞いておこう。
瑠夏先輩は隣の彼女と顔を見合せる。
「うちらは文化祭の準備を進めてて、純恋が一旦ゴミを捨てに行ったら、これがあったって感じかな」
生徒会長が落ち着いたトーンで言ったからか、瑠夏先輩も冷静になったらしい。さっき鋭い視線で睨んできたとは思えないくらい、静かでわかりやすい説明だ。
「じゃあもしかして、誰かがTシャツを捨てているところは、誰も見てないの?」
会長に問われるも、互いに顔を見合せて首を横に振る人がほとんどで、名乗り出る人はいなかった。
「みんな教室にいて、誰も見ていないなんて……」
その通りだ。そんなことがあるのか。
これはもう、透明人間がいるとしか思えない。
なんてくだらないことを考えてしまうのは、紘都が昨日、変なことを言ったせいだ。
「ちなみに、これは誰のTシャツなの?」
ひとりで思考を巡らせていると、生徒会長が続けて尋ねた。
今Tシャツを着ている人たちは、より無関係だという空気が漂う。
「Tシャツ着てない人は、すぐここに出して」
瑠夏先輩が声をあげた途端、三年一組の生徒たちの目が軽蔑に近い眼に変わり、Tシャツを着ていない人たちを見た。
着ていなかったのは、六人。
だが、全員カバンやロッカーからTシャツを取り出し、Tシャツを持っていない人はいなかった。
「なんで……」
動揺しているのは、瑠夏先輩だけではなかった。
当たり前だ。Tシャツに落書きがされ、それがゴミ箱に捨てられていた事実はあるのに、誰がやったのかどころか、誰のものなのかすらわからないなんて、意味がわからない。
「保高ちゃんは?」
野次馬たちさえも戸惑っていると、純恋先輩がその空気を一変させる冷静な一言を放った。
「そうじゃん。保高も一組なんだし、Tシャツ持ってるよね?」
二人に言われ、生徒会長はこのクラスの生徒のカバンがまとめて置かれている隅に移動した。そして自分のカバンを見つけると、中を探り始めた。
しかし、その表情は次第に曇っていく。
「ない……」
生徒会長は信じられなかったのか、もう一度カバンの中を漁っている。
その姿が、さらなる動揺を呼んだ。
正義感が強くて、しっかりしていそうな生徒会長だ。きちんと片付けたはずの場所にないとなれば、見つからないだろう。
つまり、バツの落書きをされていたクラスTシャツは、生徒会長のもの。
そんな予感がした俺は、「なあ」と言いながら、肘で紘都をつついた。若干不服そうな顔をされたが、今はそんなことどうでもいい。
「これってもしかして、この中の誰かが、生徒会長に嫌がらせをしたってこと?」
俺は右手のひらで口元を隠し、小声で紘都に言った。
「……さあ、どうだろうな」
しかし紘都はまっすぐ教室の中を見つめたまま、冷たく返してきた。
まあ、勝手な妄想で決めつけるのもよくないか。
俺は事の顛末を見届けるべく、再び教室へと視線を戻した。
俺と同じように、会長への嫌がらせかもしれないと察した人は多く、室内はどよめいている。
落書きTシャツを発見したふたりも、生徒会長になんて声をかければいいのか、迷っているみたいだ。
「先生に言おうよ、保高」
「ダメ!」
瑠夏先輩はしゃがみ込んでいる生徒会長に提案したが、会長は振り向くと同時に、力強く否定した。
「なんで? 保高、嫌がらせされたかもしれないんだよ? 言ったほうがいいって」
瑠夏先輩の声色は、どこか不機嫌そうで、「私、間違ったこと言った?」とでも言いたげだ。
生徒会長はゆっくりと立ち上がりながら、「だからよ」と呟いた。瑠夏先輩をまっすぐ見る会長の眼は、なにを考えているのか読み取れない。
「生徒会長である私への嫌がらせなら、文化祭の開催に不満があるという意趣返しかもしれない。それを先生に知られたら、最悪、文化祭が中止になるかもしれないでしょ?」
その言葉は妙に説得力があった。
特に先輩たちは三年で、文化祭を開催してほしい気持ちは強いのだろう。
このどよめきと沈黙が、答えのような気がした。
「じゃあ、解散。みんなも、あまり言いふらさないようにしてね」
周りの思考が固まるのを待たずに、会長は二度ほど手を叩いて解散の指示を出した。
集まっていた野次馬も、ゆっくりと散らばっていく。
「行くぞ」
まだなにも解決していないというのに、紘都に命令されたせいで、後ろ髪を引かれる思いで俺はその場を離れた。
俺たちもただの野次馬で、教室の中に入ることはできそうになかった。
「なんでTシャツがゴミ箱から出てくるわけ!? 信じらんないんだけど!」
さっき聞こえた甲高い声が、耳を刺した。
怒鳴り声を上げている彼女の隣には、ひとりの女子がいる。教室後方からクラスメイトたちを睨みつけている形相は、当事者ではない俺ですら、しり込みしてしまいそうなくらいだ。
怒り狂っている彼女の手には、見覚えのあるクラスTシャツが握られている。
あれはたしか、昨日結衣子先輩が着ていたTシャツだ。
「絵の上にバツとか書いてさあ! 気に入らなかったなら、うちらみたいに言えばよかったじゃん!」
「え、また?」
脊髄反射だった。
誰かが、誰かの作ったものを台無しにする。それが連日起きたことで、また?と思ったのだが、自分でも驚くくらい自然と口から零れていた。
それは当然周りにも聞こえているし、呟いたわけでもないから、怒っている彼女の耳にも届いてしまった。
彼女は俺が言ったと気付くと、俺を睨んできた。それはとてつもなく鋭い視線で、俺は一瞬身体を強ばらせた。
すると、隣から紘都のため息が聞こえた。
自分でも、余計な首を突っ込んだと思う。
「アンタ、なにか知ってんの?」
彼女がまっすぐ俺を見て言うせいで、周りが変な気を使って道を開けてしまった。
見えにくかった教室内がよく見える。
女子二人組対クラス全員。その中には、怯えた様子の結衣子先輩がいた。やっぱり、記憶違いではなかったらしい。結衣子先輩は昨日と同じTシャツを着ている。
それにしても、二日続けてこんな事件に巻き込まれるなんて、結衣子先輩もツイてないな。
なんて、今は現実逃避をしている場合じゃないか。
「いやー……」
昨日の垂れ幕のことを言うわけにもいかず、俺は言葉を濁す。助けてほしくて紘都のほうを見たが、まるで他人のような態度だ。
関わりたくないってことですか。まあ、ですよね。俺も紘都の立場だったら関わりたくなくて知らん振りする。
「なんの騒ぎ?」
どう言い逃れしようかと思ったとき、凛とした声が教室に響いた。
教室後方にいる俺たちに対して、その声は前方のドア付近から聞こえてきた。
「ちょっと聞いてよ、保高!」
結衣子先輩が「早希……」と口を動かしたと思ったら、犯人探しで頭がいっぱいな彼女が声を上げた。
彼女はTシャツを手にしたまま、生徒会長の元へ向かっていく。
「瑠夏、落ち着いて」
「これ!」
瑠夏と呼ばれた彼女は、生徒会長の言葉に被せるように、手に持っているTシャツを勢いよく差し出した。
「誰かが落書きしてゴミ箱に捨ててたんだけど!」
生徒会長はそれを受け取ると、広げて落書きを確認した。曇っていく表情が、その落書きの酷さを表しているようだ。
「あそこの子が『また?』って言ってたんだけど、保高ちゃん、なにか知ってる?」
生徒会長にそう尋ねたのは、瑠夏先輩ではなく、彼女の後ろにいるもうひとりの女子生徒だった。
その女子が俺のほうを向いたことで、生徒会長の視線も俺を捉える。
しかし昨日の今日だというのに、会長は俺を睨んだりしてこないどころか、すぐに視線を逸らされてしまった。それが逆に怖いと感じてしまうのは、俺がおかしいのか。
「さあ、彼の勘違いじゃないかな。これに似たことが起きたなんて、私の耳には届いてないもの」
そんなわけないだろ。
会長が訪ねてきた彼女に答えるのを聞いてそう思ったが、口にするより先に、紘都に睨まれてしまった。余計なことを言うなと目が語っている。
ここでも嘘を重ねるということは、どうしても垂れ幕のことを隠したいのだろう。
でも、どうして垂れ幕が切られていたことを隠したいのだろう。水面下で犯人捜しでもするつもりか?
「それで、これはどうやって見つかったの?」
会長は完全に俺のことをスルーして話を進めた。
あとで名探偵のんちゃんに話すかもしれないし、俺もよく聞いておこう。
瑠夏先輩は隣の彼女と顔を見合せる。
「うちらは文化祭の準備を進めてて、純恋が一旦ゴミを捨てに行ったら、これがあったって感じかな」
生徒会長が落ち着いたトーンで言ったからか、瑠夏先輩も冷静になったらしい。さっき鋭い視線で睨んできたとは思えないくらい、静かでわかりやすい説明だ。
「じゃあもしかして、誰かがTシャツを捨てているところは、誰も見てないの?」
会長に問われるも、互いに顔を見合せて首を横に振る人がほとんどで、名乗り出る人はいなかった。
「みんな教室にいて、誰も見ていないなんて……」
その通りだ。そんなことがあるのか。
これはもう、透明人間がいるとしか思えない。
なんてくだらないことを考えてしまうのは、紘都が昨日、変なことを言ったせいだ。
「ちなみに、これは誰のTシャツなの?」
ひとりで思考を巡らせていると、生徒会長が続けて尋ねた。
今Tシャツを着ている人たちは、より無関係だという空気が漂う。
「Tシャツ着てない人は、すぐここに出して」
瑠夏先輩が声をあげた途端、三年一組の生徒たちの目が軽蔑に近い眼に変わり、Tシャツを着ていない人たちを見た。
着ていなかったのは、六人。
だが、全員カバンやロッカーからTシャツを取り出し、Tシャツを持っていない人はいなかった。
「なんで……」
動揺しているのは、瑠夏先輩だけではなかった。
当たり前だ。Tシャツに落書きがされ、それがゴミ箱に捨てられていた事実はあるのに、誰がやったのかどころか、誰のものなのかすらわからないなんて、意味がわからない。
「保高ちゃんは?」
野次馬たちさえも戸惑っていると、純恋先輩がその空気を一変させる冷静な一言を放った。
「そうじゃん。保高も一組なんだし、Tシャツ持ってるよね?」
二人に言われ、生徒会長はこのクラスの生徒のカバンがまとめて置かれている隅に移動した。そして自分のカバンを見つけると、中を探り始めた。
しかし、その表情は次第に曇っていく。
「ない……」
生徒会長は信じられなかったのか、もう一度カバンの中を漁っている。
その姿が、さらなる動揺を呼んだ。
正義感が強くて、しっかりしていそうな生徒会長だ。きちんと片付けたはずの場所にないとなれば、見つからないだろう。
つまり、バツの落書きをされていたクラスTシャツは、生徒会長のもの。
そんな予感がした俺は、「なあ」と言いながら、肘で紘都をつついた。若干不服そうな顔をされたが、今はそんなことどうでもいい。
「これってもしかして、この中の誰かが、生徒会長に嫌がらせをしたってこと?」
俺は右手のひらで口元を隠し、小声で紘都に言った。
「……さあ、どうだろうな」
しかし紘都はまっすぐ教室の中を見つめたまま、冷たく返してきた。
まあ、勝手な妄想で決めつけるのもよくないか。
俺は事の顛末を見届けるべく、再び教室へと視線を戻した。
俺と同じように、会長への嫌がらせかもしれないと察した人は多く、室内はどよめいている。
落書きTシャツを発見したふたりも、生徒会長になんて声をかければいいのか、迷っているみたいだ。
「先生に言おうよ、保高」
「ダメ!」
瑠夏先輩はしゃがみ込んでいる生徒会長に提案したが、会長は振り向くと同時に、力強く否定した。
「なんで? 保高、嫌がらせされたかもしれないんだよ? 言ったほうがいいって」
瑠夏先輩の声色は、どこか不機嫌そうで、「私、間違ったこと言った?」とでも言いたげだ。
生徒会長はゆっくりと立ち上がりながら、「だからよ」と呟いた。瑠夏先輩をまっすぐ見る会長の眼は、なにを考えているのか読み取れない。
「生徒会長である私への嫌がらせなら、文化祭の開催に不満があるという意趣返しかもしれない。それを先生に知られたら、最悪、文化祭が中止になるかもしれないでしょ?」
その言葉は妙に説得力があった。
特に先輩たちは三年で、文化祭を開催してほしい気持ちは強いのだろう。
このどよめきと沈黙が、答えのような気がした。
「じゃあ、解散。みんなも、あまり言いふらさないようにしてね」
周りの思考が固まるのを待たずに、会長は二度ほど手を叩いて解散の指示を出した。
集まっていた野次馬も、ゆっくりと散らばっていく。
「行くぞ」
まだなにも解決していないというのに、紘都に命令されたせいで、後ろ髪を引かれる思いで俺はその場を離れた。



