嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

 保健室のベッドの横にある丸椅子に座り、ベッドで横たわるのんちゃんを見ていると、自分の無力さを思い知らされているようで胸が痛む。
 なんでこんなことになってんだよ。本当なら、今ごろ甘いものを食べて幸せそうに笑っているはずだったのに。

「で? なにがあったんだよ」

 親に連絡してくると部屋を出ていた紘都が戻ってきたことで、俺はそう聞いた。
 すると、矢野は黙って紙を差し出してきた。さっき隠した紙だ。そのときに強く握りしめたらしく、しわくちゃになっている。
 それを広げると、整った字でこう書かれていた。

『葛城花音は仮面を被った大嘘つき』

「なんだよ、これ」

 あんなにもわかりやすくルールが明記されていただろ。
 なのになんで、しっかりのんちゃんの名前があって、のんちゃんへの悪口が書かれてるんだよ。
 注意書きガン無視かよ。

 ——……うそつき。

 そういえば、倒れる直前にのんちゃんはそう呟いていた。
 まさか、この文字が見えた?
 紘都も矢野ものんちゃんに見せないようにしようとしていたことはわかったのに。俺がもっと冷静でいられたら、のんちゃんは見なくて済んだ?

「それ、隅のほうに貼られてたんだ」

 俺が悔しさのあまり付箋を握る手に力が入りそうになったところで、矢野が話し始めた。

「ほかの付箋に隠れる感じでさ。見えたのは葛城さんの名前だけで、芳村がなにか書いたんだろうって思って見たら、それがあったんだ」
「は? なんで俺?」

 矢野が一瞬顔を顰めたことで、苛立ちを抑えきれていないのだと察した。
 まあ、察したところで落ち着けるものでもないんだけど。

「いや、それはお前じゃないってちゃんとわかってるから。あれ、ヒミツを書こうってなってただろ。だから、葛城さんへの告白を書いてんのかと思ったんだよ。それならからかってやろうって」

 言いたいことはいろいろあるが、今は流してやるか。

「それ、かなり悪質じゃん。だから取ったのはいいんだけど、どうするか迷って芳村か葛城に見てもらおうと思って教室に戻ったってわけ。お前はなぜかいなかったけどな」

 矢野の目は、仕事をサボったことを責めているようで、ちょっとだけ気まずい。

「はやめに持ってきてくれて助かった」

 紘都が言うと、矢野は戸惑いながら「いや……」とこぼした。
 たしかに、そいつに感謝されるなんて気持ち悪いよな。

「でも結局、葛城さんには知られたから……」
「矢野が気にすることはない」

 紘都は流れるように俺を睨んできた。
 自分でも余計なことをしたとわかっているけど、こうして紘都に睨まれると逃げたくなる。
 そのとき、ノックの音がした。
 矢野が返事をすると、ドアが開き、女子生徒が顔を覗かせる。その子を見た途端、矢野がハッとした表情を浮かべて「美歌ちゃん!?」と名前を呼び、その子のもとへ駆けつけた。
 なるほど、彼女だな。
 矢野は申し訳なさそうにこちらを見てくる。
 のんちゃんのことは心配だけど、デートの続きもしたいってところだろう。
 だけど、紘都は矢野には興味なさそうで、代わりに追い払うように手を振った。

「悪い」

 矢野は短く言うと、そのまま彼女と保健室を出て行った。
 紘都と残され、この場は沈黙に支配される。
 のんちゃんに視線をやると、悪夢にうなされていそうな表情をしていた。

「……秘密」

 ぽつり、と紘都が呟いた。
 視線をあげると、紘都は静かにのんちゃんを見つめている。
 俺と同じように怒りと悔しさを噛み殺しているのかと思ったのに、感情を失っているようにも見えた。

「あの人が、のんの秘密を明かそうとしていると思ったんだろうな」
「はあ? なんでそんなことするんだよ」

 俺も紘都も、その名前は口にしない。
 だけど、これがあの人の仕業だという認識は同じらしい。

「あの人が徹底的に自分の罪から逃げようとしていたのはわかるよな?」
「ああ」

 垂れ幕のときは、俺に罪をなすりつけようとした。
 クラスTシャツのときは、生徒会長のものを傷付けた。

「でも、自分が犯人だってわかるような証拠も残してたじゃん」

 生徒会室にあったハサミを使ったりとか。
 気付かれたくないにしては、ちょっと詰めが甘いところもあった。

「たぶん、生徒会長にだけは、気付いてほしかったんだろう」
「はあ?」

 紘都は淡々と話すが、意味がわからなかった。

「だから、真実に近付き、暴こうとしていたのんが目障りだったのかもしれない」
「そんなの!」

 紘都が話す内容がどこまでも理解できなくて、つい声が大きくなった。
 慌ててのんちゃんを見ると、起きた様子はない。
 そのことに安堵しながら、改めて紘都を見る。

「そんなの、のんちゃんを傷付けていい理由にはならない」
「わかっている」
「わかってんだったら、なんでそんなに落ち着いてんだよ。垂れ幕もTシャツも、物だったからまだいいけどさ。今度はのんちゃんの日常を壊しにきたんだぞ?」

 紘都の落ち着き具合が気に入らなくて思ったまま言うと、紘都は俺に鋭い視線を向けてきた。
 落ち着いているなんて、俺の勘違いじゃないか。
 初めて、紘都の睨む視線で背筋が凍った。

「それで言うなら、昨日会長が話をつけたんじゃないのか」
「それは……」

 俺は言葉を濁しながら視線を落とした。
 把握できていない。
 正直にそう言うことができなかった。
 詰めが甘いのは、俺も同じだ。
 解決を見届けたわけじゃないのに、解決したと安心して。
 もっと言えば、あの企画物の前を通ったのに、なにも気付けなかった。
 本当、バカだ。

「のんに聞いたが、会長は自分で話をしたいって言っていたんだよな?」

 俺は頷く。
 紘都は左手を口元にもっていくと、考え込んでしまった。

「……これ以上は待っていられないな」

 紘都がそうこぼしたと同時に、ドアが開いた。
 ノックもなしにドアを開けたのは保健室の先生で、その後ろから知らない女性が入ってきた。

「紘都! 花音ちゃんが倒れたって……」

 女性は紘都に駆け寄ると、眠っているのんちゃんに気付き、より心配に染まった表情を見せた。

「今は寝てるだけだから」
「そう……」

 紘都に言われても、安心したようには見えない。
 この人は、紘都のお母さんだろうか。紘都は呼び捨てで、のんちゃんのことは「花音ちゃん」と呼んでいたし。
 というか、紘都が呼んだのはのんちゃんの親じゃなかったのか。

「芳村」

 紘都に呼ばれ、思考が止まる。

「なに?」
「車までのんを運んでくる間にあの人たちを屋上に集めろ」

 紘都は俺の返事を聞く前に、のんちゃんを抱えた。
 命令口調なのが少し気に入らないが、そんなことを言っている場合ではない。

「わかった」

 いつもなら、俺の返事に対して、紘都は反応を示さない。
 だけど、今回は背を向けて「頼む」と返してきた。
 その信頼が、俺の背筋を伸ばした気がした。