嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

 一般公開もされているから、さっきまでとは比にならないくらい、廊下には人がいた。前に進むのもやっとなくらいの廊下は窮屈すぎる。
 去年はほとんど控室で過ごしていたから、ここまで大盛況なイベントだとは知らなかったな。知っていたら、あんな提案はしなかったのに。
 まあ、のんちゃんの笑顔が特等席で見れるのなら、これくらい我慢するか。

「のんちゃんは楽しみにしてる催し物とかあるの?」
「えっとね、クレープと、ひとくちパンケーキと、フロート!」

 指を折りながら即答された。見事に甘いものばかりで笑ってしまう。
 それだけ並べられたら、聞いているだけで胸やけしそう。
 てか、ステージとかそういう催しは興味ないのね。俺もだからいいけどさ。

「……ダメ?」

 俺が笑ったせいか、のんちゃんは不安げに上目遣いをしてきた。

「全然? 全部行こうよ」

 すると、のんちゃんの表情はコロッと変わり、太陽のように明るい笑顔になった。
 クレープ、パンケーキ、フロートね。さっき校内を一通り回ったから、なんとなくどこにあるか把握してるから行けそうだ。
 まあ、それがあることをちゃんと調べてきたのんちゃんのほうが知ってそうだけど。

「でもまずは謎解きをするって決めてたの」

 そこまで楽しみにするほどのものでもないけどね、とは言えなかった。

「あ、でも、碧羽くんはなにも言わないでね。のん、自分で探したいから」

 がっつり謎を配置したところに案内しようと思ってついてきたのに、そんなことを言われるとは。
 自分で探すことも楽しもうとしているのなら、なにも言えないじゃないか。

「……わかったよ」

 俺が答えると、のんちゃんは満足そうな顔をして進み始めた。
 それならそれで、のんちゃんが悩んだりひらめいたりするところを楽しむだけにすればいいか。
 素直なのんちゃんなら、どれも純粋に楽しんでくれそうだし、きっと退屈しない。
 そうして、のんちゃんは受け付けで渡した紙に記されたヒントを元に謎を探し、順調に解き進めていった。
 矢野たちが用意した謎は絶妙な難易度のようで、のんちゃんは何度か頭を悩ませた。それが可愛らしくてこっそり写真に収めたら、怒られたけど。

「最後の一個が見つからないなあ」

 のんちゃんは口を尖らせて言う。

「ヒントいる?」
「ううん、もう少し頑張ってみる」

 のんちゃんが見つけられないでいる謎は、俺が設置したひとつ。
 だから余計にネタバレをしたい気持ちが込み上げてくるのだが、それをすれば本当に嫌がられそうだ。我慢、我慢。
 そうやって自分に言い聞かせながら、のんちゃんについて行く。
 しかし下駄箱の前を通ったとき、文化祭開始前は気にならなかったカラフルな掲示物が目についた。
 ふと足を止めて見ると、それはたくさんの付箋が貼られてできていることがわかる。

【あなたの誰にも言えないヒミツをどうぞ】

 そんなタイトルが掲げられている。
 いや、ヒミツは誰にも言わないからヒミツって言うんじゃねえの。矛盾してんじゃん。
 
「どうしたの?」
「いや、ちょっとこれが気になって」

 俺が足を止めたことに気付いたのんちゃんが戻ってきて、その掲示を見上げる。

【誰にも言えないけれど、ひとりで抱えておくこともできない。そんな、誰かに聞いてほしいヒミツを募集しています。
 ※個人を特定できるような表現や、誹謗中傷等はお控えください。】

 タイトルの下には、ちゃんと注意書きがされていた。
 よく見れば、付箋と筆記用具を置いた机にも同じ文言が貼られている。
 一応、ルールみたいなものはあるのね。ちゃんと守られているのかとなれば、話は変わってくるだろうな。

【一週間前、彼氏と別れた。】
【学校のワークなくした】
【化学の先生が可愛らしくて私の身近な推し(誰にも理解されないけど)】
【友達に借りたシャーペン壊した。】

 目につくものは、どうでもいいヒミツばかり。
 この程度なら、確かに楽しめる掲示なのかもしれない。

「碧羽くん、なにか書くの?」

 聞かれて「んー……」と考えてみるものの、いい感じのヒミツが思い浮かばない。

「いや、俺はパスかな。のんちゃんは?」
「のんも……パス、しようかな」

 掲示を見つめるのんちゃんから、一瞬だけ感情が消えたような気がした。
 でも、俺のほうを向いたときには笑顔に戻っていた。
 今の遠い目みたいなのは、見間違いか?
 まあ、気のせいじゃなかったとしても、深追いするとのんちゃんのヒミツを聞き出そうとしているみたいになりそうだし、見なかったことにしよう。
 そして俺たちは、謎解きラリーを再開した。
 最後、俺が美術部の展示会場となっている教室前の廊下の近くに置いた謎も、のんちゃんは楽しみながら解き終えてくれた。
 謎解きラリーの解答欄はすべて埋まったのに、のんちゃんは立ち止まったまま、教室のほうを見つめている。
 校内にはたくさんの人がいて、めちゃくちゃ賑やかだということを忘れてしまうくらい、そこは静かだった。
 展示されている作品や、作品の配置、見ている人の反応からして、もう美術館だな。
 でも、のんちゃんが気になっているのは、美術部の作品ではなく、あの人のことだろう。

「ちょっと寄ってく?」

 俺たちがいる場所からは教室のすべては見えなくて、様子を伺いながら尋ねた。
 のんちゃんは少し固まったあと、ゆっくり首を縦に振った。のんちゃんの警戒心を感じながら、俺たちは教室に足を踏み入れた。
 どの作品もじっくり鑑賞するのではなく、壊されていないことだけを確かめていく。
 その中で、俺たちは言葉を交わさずに、“守谷結衣子”と名前が書かれた作品の前で足を止めた。
 オレンジ色に包まれた美術室の絵だ。温かく、透き通った色使いで目が離せない。

『片隅』

 結衣子先輩が付けたであろうタイトルには、どんな意味が込められているのだろう。
 創作活動というものとは縁遠い俺には、読み取れそうになかった。
 そして教室を一周して作品を見たが、傷付けられているものは見当たらない。
 加えて、結衣子先輩もいない。正確に言えば、出入り口あたりに受付係のように美術部と思われる男子生徒がいるが、それは結衣子先輩ではなかった。
 彼の「ありがとうございました」という声に見送られながら、俺たちは教室を出る。
 そっと横に立つのんちゃんに視線をやると、わずかに安心しているように見えた。

「じゃあうちのクラスに戻って、景品もらおっか」
「うん!」

 のんちゃんの明るい声を聞いて、やっと俺の中からも不安が薄れた気がした。
 教室に戻るまでののんちゃんの足取りは、今日の中で一番軽くなっている。

「全部正解できたかなあ」
「できてるといいね」

 無垢な笑みが眩しくて、そして、ものすごくくすぐったかった。
 景品をもらったあとは、さっきのんちゃんが言っていた甘いもの巡りでもしよう。
 幸せそうな顔をして食べるのんちゃんが容易に想像できて、それだけで頬が緩む。
 だけど、そんな顔で教室に戻ればからかわれるに決まっている。だから俺は、必死に浮かれた心を落ち着かせようとしたのだが、賑やかというよりざわついていると言ったほうが相応しいような声が聞こえてきたことで、浮ついた心は一瞬でどこかに消え去った。
 客寄せパンダになった紘都がいるはずなのに、黄色い歓声が上がっていないなんて妙だ。
 教室に入ってみると、紘都は使わない机を固めた隅で矢野といた。ふたりともこちらに背を向けているから、俺たちが戻ってきたことには気付いていないらしい。
 なにがあったのかと聞くよりも前に、のんちゃんに異様な視線が向けられているように感じた。
 それだけじゃない。
 のんちゃんを見た奴らは、お互いにしか聞こえない声で会話をしている。
 まさか、のんちゃんのことでなにかあった?
 そう感じて、俺よりもあとに教室に入ってきたのんちゃんを見ると、戸惑いが隠せずに目が泳いでいた。
 クソ、戻ってくるタイミングを間違えた。
 いや違う。後悔している場合じゃない。
 俺はのんちゃんを連れて紘都たちに近付いた。

「おい」

 俺が声をかけると、矢野が肩を跳ねらせ、勢いよく振り向いた。
 ここにいるのが俺だけではない、つまりのんちゃんがいることを把握した途端、青ざめた表情を見せ、背中になにかを隠した。
 紘都は目も合わせようとしない。

「な、なんだよ、芳村。やっぱ葛城さんとデートしてたんじゃん」

 いつものようなからかう口調だが、顔が引きつっている。
 それで隠しごとをしているつもりなら、かなりへたくそだ。

「今、なに隠した」
「な、なにも?」

 わかりやすくどもりやがって。
 下手な隠し方にイラついて、俺は矢野の背中を覗き込んだ。
 しかし、矢野は絶対に見せてなるものかと、抵抗してくる。
 なにか持っていると思ったものは、強く握りしめられてしまって、奪うことが難しくなってしまった。
 それでも、収穫はあった。矢野が持っていたのは、カラー用紙だろう。それも、手のひらサイズ。

「それ、付箋か?」

 その形状は記憶に新しかった。
 下駄箱のところにあった、誰にも言えないヒミツを書く企画で使われていたのが、カラフルな付箋だ。

「……ああ」

 矢野は観念したのか、重たい沈黙の中で、肯定した。
 あれは【個人を特定できるような表現や、誹謗中傷等はお控えください】と注意書きされていたはずの企画。
 そこで使用されている付箋が矢野の手にあって、異様な空気を生んでいる。
 それが意味することなんて、考えたくもない。
 ゆえに、俺はなにも言えなくなってしまった。

「……うそつき」

 すると、背後から小さな声が聞こえてきた。
 振り向くと、のんちゃんは謎解きラリーで使用した紙を強く握りしめ、俯いている。

「のんちゃん?」

 俺が名前を呼んだのに、のんちゃんは紘都のほうを見た。
 潤んだ瞳は紘都に助けを求めている。
 そう思った瞬間、のんちゃんは眼を閉じてふっと全身から力を抜いた。

「え……?」
「のん!」

 突如視界からのんちゃんが消えたことに戸惑った俺に対し、紘都はすかさず倒れたのんちゃんを抱きかかえた。
 そのおかげでのんちゃんは頭を打ったりはしなかったが、室内には動揺が走った。
 紘都はこうなることを予想していたのか、やけに落ち着いている。
 そしてのんちゃんをお姫様抱っこすると、黙って教室を出ていってしまった。
 俺と矢野は顔を見合わせて、なにを言うでもなく、すぐに紘都の後を追った。