嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

   ◇

 結衣子が怪しいと思ったのは、垂れ幕を回収するために、紘都と屋上に行ったときよ。
 昨日は生徒会の仕事が立て込んでいて、結衣子と一緒に垂れ幕の回収に向かうことができなかったの。
 待たせすぎてはいけないと思って急いで屋上に向かうと、先に到着していた結衣子は、ドアと向かい合ってそこいた。

「結衣子、お待たせ」

 私が声をかけると、結衣子は肩をビクつかせた。
 私たちが階段を登っていた音はしていたと思う。あと、紘都が屋上に向かっていた理由を話しながら到着したから、その声も。
 それなのに、結衣子はまったく私たちの存在に気付いていなかったの。
 といっても、なにか考えごとをしていたら、周りの声が聞こえなくなるなんて、よくあること。だから、それ自体は問題じゃないの。
 私が気になったのは、そのあとの結衣子の表情。
 普通なら、勢いよく振り向いて、そこにいるのが知り合いだとわかれば、安心したような顔をするでしょう?
 でも、そのときの結衣子は違った。
 私を見て、さらに青ざめたような顔をしていたの。
 それだけで、なにかあったということがわかった。
 だけど、そのときは聞かなかったの。ううん、聞けなかった。紘都がドアを開けながら、結衣子に声をかけたから。

「守谷先輩も、毎日大変ですね」
「え……」
「文化祭なんて、美術部が大活躍できるイベントじゃないですか。自分の作品に、校内の装飾まで。どれもハイクオリティですごいなって、去年思いました」
「そう、かな」

 紘都と言葉を交わしていくうちに、結衣子の表情は少し柔らかくなった。
 とても、「なにかあった?」と聞ける雰囲気ではなかったの。
 だから、私の気のせいだったのかもしれないと思いながら、私は屋上へ出た。

「いたな」

 紘都は怒りのこもった声で言うと、私たちから離れていった。その先には、貴方がいたわ。
 目的が達成されたならよかった。
 そんなことを思いながら、私たちは私たちの仕事をするために、フェンスのほうへ向かった。そして、垂れ幕を引き上げるためにフェンスから下を覗き込んだの。その瞬間、私は言葉を失った。

「なに、これ……」

 目の前の光景が信じられなかった。
 今朝も、昼間も、もっと言えば放課後まで、垂れ幕は完成形で飾られていたのに。
 いつ、誰が、こんなことをしたのか。
 怒りを覚えたと同時に、結衣子が挙動不審だった理由がわかった気がした。
 結衣子は、先に屋上に出て、ひとりで垂れ幕を片付けようとしたのかもしれない。そのとき、この垂れ幕を見たのかもしれない。
 それなら、すぐにこのことを話せなかったのも、私を見ても顔が青ざめたままなのも納得できる。

「どうかしたんですか」

 私たちが固まっていることに気付いた紘都が、私たちのもとへやってきた。
 貴方はまだ、壁に背中を預けるように座ったままだった。

「垂れ幕が……」

 まだ状況が飲み込めていなかったことで、上手く説明できなかった。
 そして紘都は、自分の目でその惨状を確かめたの。紘都も私と同じように言葉を失っていたわ。
 だけど、私とは違って、すぐに垂れ幕を引き上げた。
 近くで見たら、ますます怒りが込み上げてきた。
 花音たちも覚えているでしょう? 全体的に切り刻まれた垂れ幕の姿を。
 私はそれを、結衣子がどれだけ時間をかけて完成させたのかを知ってる。だから、本当に許せなかった。

「……まさか」

 ただ茫然と立ち尽くし、ズタズタにされてしまった垂れ幕を見下ろしていると、ふと紘都が呟いた。
 紘都が向かったのは、貴方のところだった。
 このタイミングでそこに行った理由はひとつしかない。
 きっと、彼が犯人。
 私はそう思って、垂れ幕を持って貴方の元へ行ったの。
 案の定、貴方の傍にはハサミがあった。状況証拠としては十分すぎる物よね。
 でもそれは、貴方の物ではなかった。
 ……そうよね、信じられないわよね。私は貴方の話も聞かずに、犯人扱いしたんだもの。
 あれは、生徒会室にあったハサミなの。左利き用で、誰も使っていなかったハサミ。だから、知っている人でないと見つけられないようなところに置かれていた。
 貴方がこっそりと盗みに来ていたのなら話は別だけど、きっと違うでしょう?
 垂れ幕が切られたタイミング。使われた物。
 それを踏まえて、私は勘違いをしていたことに気付いた。
 結衣子が青ざめていたのは、切り刻まれた垂れ幕を見てしまったからではなくて、自分が犯した罪の重さを自覚していたからなんだって。
 そして、罪から目を逸らしたくて、貴方に罪を着せようとしたのだろうとも思った。
 だけど、どうして自分で垂れ幕を傷付けたのかがわからなかった。
 だから……いえ、違うわ。
 結衣子に「貴方がやったの?」と聞く勇気が、私になかっただけ。
 だから、貴方が犯人であってくれたら、と思ってしまった。
 なし崩しに貴方が頷いてくれたら、私は結衣子を責めなくて済む、なんて最低なことまで考えて。
 それを後悔したのは、貴方たちと別れてすぐだった。
 結衣子とふたりになって、私たちは会話もせずに職員室に向かっていた。
 無言の時間は、後悔を膨らませていった。
 どうして、無実の子をあんなにも責めてしまったのだろう。関係のない子を巻き込んで、私はなにをしているのだろう。
 私は、生徒会長なのに。
 そうやって後悔に潰されそうになってやっと、私は自分がやってしまったことの重さを知ったの。
 花音が否定してくれたことが、わずかな救いだった。
 犯人は彼ではない。そして、真犯人もわからない。
 その主張が、私の罪の重さを少しだけ軽くしてくれた気がした。
 そうやって、どこまでも最低なことを考えていたときだった。

「……ねえ、早希」

 結衣子に名前を呼ばれて振り向いたものの、結衣子とは目が合わなかった。
 結衣子もまた、後ろめたい気持ちが強かったのだと思う。

「ん?」

 まだなにも整理がついていなくて、素っ気ない声になってしまった。
 真実に気付いていることを、まだ悟られたくない。
 その一心で、ぎこちなく笑顔を作った。

「垂れ幕のこと、本当に先生に言うの?」

 そこまでして、自分が犯した罪から逃げたいの?
 結衣子から言われた瞬間、そう思ったわ。
 でも、言えなかった。
 私はまだ、なにも知らないふりをしているから。
 だから、その場での最適解を返した。

「学校の物がこんなふうにされたということは、伝えなければいけないでしょう?」
「そうだけど……」

 やっぱり、結衣子とは目が合わなかった。
 結衣子とは長い付き合いだけど、私も結衣子も、あれほど言葉を考えながら会話をしたのは初めてだったと思う。
 それくらい、私たちの会話はぎこちなかった。
 結局、結衣子は先生たちに言いたくない理由を語らなかった。
 さっきはほかの子たちには悲しい思いをしてほしくないって言ったけれど、それは私が作り出した嘘なの。私の知っている結衣子が言いそうなことを、勝手に想像して言っただけ。そんな優しさを持ち合わせた子だと信じたかったから。
 でも、違ったのね。
 私は結衣子の心の叫びに気付けなかった。
 そのせいで、あの事件は起きたのかもしれない。
 そう思うと、ますます結衣子になんて言えばいいのかわからなくなってしまったの。
 結局、貴方が知っている通り、私は先生には本当のことを言わなかった。
 結衣子のこともあったけれど、貴方のことも思っての判断だったの。やってもいない罪を、教師に伝えるわけにはいかなかったから。
 そして、私たちは職員室を出てからは一言も言葉を交わさなかった。
 家に帰ってからも、結衣子のことが頭から離れなかったわ。
 どうすることが正解なのか、目が覚めても答えは見つからなかった。
 結果、私は結衣子から話してくれるのを待つことにした。
 つまり、自分から結衣子と向き合うことから逃げたの。本当、どこまでも憶病で嫌になる。
 今が文化祭直前でよかった、なんて思ったくらいよ。忙しかったら、自分の嫌な部分を忘れることができたんだもの。
 だけど、すぐにその判断が間違いだったと思い知らされた。
 ……そう。私のクラスTシャツに落書きがされ、ごみ箱に捨てられていた事件が起きた。
 私は生徒会の仕事で忙しくて、クラスのほうには参加することが少なくて、Tシャツを着ることはほとんどなかったの。
 だから結衣子は、私のTシャツに目をつけたのだと思う。自分のTシャツを捨ててしまっては、自分が犯人だと言っているようなものでしょう?
 あと……うちのクラスTシャツは、もともと結衣子がデザインするはずだったの。というより、していたの。
 いくつかのデザイン案を見て、声をあげたのは瑠夏と純恋だった。

「こんなダサいの、着れないんだけど」

 貴方は思い知ったと思うけれど、ふたりはうちのクラスでも発言力があるタイプでね。瑠夏たちがそう言った途端、否定的な声が飛び交った。
 不思議よね。自分ではいいと思っていても、誰かの否定的な言葉が入ってきただけで、それに対する印象はがらりと変わってしまうなんて。
 そこからは見ていられなかった。
 結衣子のデザインの原型がないものが完成して、全員がそっちを採用したの。
 結衣子の泣きそうな顔は、今でも脳裏に焼き付いてる。忘れることなんてできないわ。
 ……ね? 結衣子がクラスTシャツに落書きをして捨てるには十分すぎる動機と思わない?
 といっても、結衣子がしたことはとても肯定できるものではない。
 私がちゃんと結衣子と話していたら、今日の事件は起きなかったかもしれない。
 そう思うと、やりきれない気持ちでいっぱいよ。