嘘が溢れた世界で、君だけは真実を見つめていた

 生徒会室の前には、誰もいなかった。
 ときどき人が通るけど、その人たちは生徒会室の前に設置されているボックスに用があるだけのようで、手のひらサイズに折りたたんだ紙をボックスの中に入れると、そのまま去っていった。
 その様子を、生徒会室のドアと向かい合った壁に背を預けるように座りながら眺める。
 退屈だ。生徒会長はいつ戻ってくるのだろうか。
 そんなことを思いながら、俺の隣で立ったままののんちゃんを見上げた。
 のんちゃんはただまっすぐ、生徒会室のドアを見つめている。
 今度こそ、大丈夫?と声をかけべきだろうか。いやでも、今から生徒会長と対峙するのに向けて集中しているのだとしたら、それが邪魔になってしまうかもしれない。それに、俺が声をかけたところで、のんちゃんは強がるだけに決まっている。だったら、このまま黙っておいたほうがいいか。

「お待たせ」

 グダグダと言い訳を脳内で並べていたら、やっと生徒会長が戻ってきた。
 しかしそう思ったのは俺だけらしく、のんちゃんの表情はますます緊張に染まった。立ち上がってみると、それがよくわかる。

「あれ。ふたり?」
「ヒロくんは文化祭の準備に戻ったの」

 のんちゃんの口調はいつも通りだけど、声はあまり元気がない。
 しかし会長は気にも留めず、「そう」と小さく返しながら、ドアを開けた。そして俺たちに入るよう促すようにこちらを振り返ったが、会長の表情もまた、強張っているように見える。
 ふたりがそんな調子だから、関係ないのに俺まで緊張してくる。
 こんな異様な空気が流れている中で、昨日と今日の事件について話すのか。
 紘都が心配していた理由が少しわかった気がする。

「どうぞ」

 俺はのんちゃんが足を進めるのを待って、生徒会室に足を踏み入れた。
 あまり広くなく、部屋の真ん中にある長机の上に散らばったたくさんの書類。壁には天井まで届きそうな鉄製の本棚が置かれ、少々乱雑に詰め込まれているファイル。
 学校のトップ集団が過ごしている場所だから、俺なんかは場違いだろうと思っていたが、案外そうでもなさそうだ。
 しかしのんちゃんは何度か訪れたことがあるのか、俺と違って部屋の中を見渡すようなことはしていなかった。話の切り出し方を考えていて、そんな余裕がなかっただけなのかもしれないけど。
 生徒会長はドアを閉め、部屋の奥に進む。そして手に持っているバインダーを机の上に置くと、窓際に置かれているひとつのパイプ椅子に腰かけた。
 続いてのんちゃんが本棚の前にある椅子を引いたことで、俺はその隣に座る。
 場所を移したところで、緊張感が漂っていることは変わらない。むしろ、さらに張り詰めた空気になっているような気がする。

「それで、私に話って?」

 生徒会長は俺たちに視線を送ってくるが、俺はのんちゃんのほうを見た。
 しかしのんちゃんはなにも言わない。いや、言えないのか。

「花音?」

 不思議に思った生徒会長がのんちゃんの名前を呼ぶと、のんちゃんは軽く肩を跳ねらせた。
 それだけでなく、「えっと……その……」と言葉に迷っている。
 話す内容がわからないということはないはずだ。会長のところに行くと決めたのは、のんちゃんなのだから。
 じゃあ、のんちゃんはなんで戸惑っている?
 昨日みたいに、詳らかに推理を語るだけなのに。

 ——ひとりで大丈夫か?

 そうか。紘都はのんちゃんがこうなることを予感していたんだ。
 そして俺は、のんちゃんが言葉に詰まらせるなんて到底思っていなくて、フォローできるわけがないと思われていたわけだ。
 なんか一気に腑に落ちた。
 でも、俺だって覚悟を決めたんだ。出遅れてしまったけど、ちゃんとのんちゃんの力にならないと。
 ただ、どうやって?
 のんちゃんは、会長となにを話すつもりなんだろう。

 ——昨日のことよね?

 そういえば、会長はさっき起きたTシャツ事件ではなく、昨日の垂れ幕事件のことを口にしていた。
 垂れ幕か……いきなり「結衣子先輩が犯人なんですか?」なんて聞けるわけがない。聞くとしても、順番があるはずだ。
 じゃあ、なにを言えばいい?

 ——私たちが作った垂れ幕、破れちゃったんだって。

 思い出したのは教室での女子の会話だが、これを思い出したところで……
 いや、待てよ?
 生徒会長はさっき、文化祭の中止を恐れてTシャツに落書きがされていたことを教師にも言わないように指示していた。
 だったら、垂れ幕も同じで、教師に知られないようにしたのか?

「……昨日の垂れ幕!」

 必死に頭をフル回転させて言葉を発したら、思っていたよりも声が大きくなってしまった。
 生徒会長ものんちゃんも、俺のほうを向いて、何度か瞬きをしている。
 俺は声のボリュームを調整するように、二度ほど咳払いをする。

「あれ、制作に関わった生徒たちには“切られた”じゃなくて、“破れた”って伝えたんですね」
「ええ。一生懸命作ったものを壊された悲しみを、誰にも味わってほしくないからって、結衣子が」

 結衣子先輩の提案だったのか。
 結衣子先輩が犯人候補ではなかったら、それを信じていただろう。
 しかし状況が変わった今、自分が犯人だと気付かれたくないがためにそう言ったとしか思えないのだが、それをバカ正直に言ったところで、軽蔑しているような眼を向けられるに決まっている。
 困った、なにを言えば……

「でも、貴方にとっては好都合だったんじゃない?」
「へ?」

 考えごとをしていたのと、予想外の言葉が投げられたことで、間抜けな声が出てしまった。

「だって、自分が起こした事件が大ごとにならなかったんだもの」
「えー……」

 呆れてものが言えないって、こういうことを言うんだろうな。
 この人、まだ俺が犯人だと思ってんのかよ。さすがに無理があるっての。

「……やっぱり早希センパイ、本当は誰が犯人なのか……わかってる、よね?」

 のんちゃんはおそるおそる、会長の様子を伺いながら言った。
 少しずつ、会長から表情が消えていく。

「どうして、そう思うの?」
「だって……ヒロくんと同じだから」
「紘都と?」

 のんちゃんは頷く。

「アイツが犯人になれば、すべてが丸く収まると思っただけ。ヒロくんはそう言ってた。だからわからず屋になってたんだって」
「え、そうなん?」

 つい、俺が反応してしまったことで、のんちゃんはこちらを振り向き、もう一度頷いた。
 なるほどねえ。おおかた、犯人を庇ったか犯人の目的が知りたかったってところなんだろうけど。
 俺が周りからどんな目で見られるかは、どうでもよかったってわけだ。
 いっそ清々しいな。
 まあ、このことに関しては、あとで紘都とゆっくり話すか。
 俺が静かに怒りを抑えているうちに、のんちゃんは再び生徒会長と向き合っていた。

「今の早希センパイも、碧羽くんが犯人であってくれたらって感じに見えるの。だから……犯人を知ってて、気付かないようにしてるのかなって」

 生徒会長は俯いたまま、応えない。
 なにを言うかを考えているのか。それとも、腹をくくろうとしているのか。
 実際には数十秒の沈黙が、数十分のように感じた。

「花音の目は誤魔化せなさそうね」

 顔を上げた会長は、困ったように笑った。
 それはのんちゃんの仮説が正しいと言っているようなもの。
 そのせいで、のんちゃんは泣きそうな顔をして、下唇を噛んでいる。
 なんて声をかけるのがいいのか考えていたら、生徒会長の視線が俺に向いた。のんちゃんが話し始めた時点で俺の存在は完全に空気になったと思っていたから、変に戸惑ってしまう。

「私情を挟んだことで、貴方には嫌な思いをさせてしまった。ごめんなさい」
「いやいや、そんな……てか、紘都のほうがめちゃくちゃ容赦なかったんで、本当、全然気にしてないです」

 生徒会長の丁寧な謝罪に、俺は両手を振って否定する。それでも会長は気にした表情を崩さない。
 真面目な人だな。だから生徒会長なのかもしれないけど。

「花音たちも、誰が犯人なのか見当がついてる?」

 俺は率先して肯定できず、のんちゃんの反応を待った。
 のんちゃんが重々しく首を盾に振ると、会長は「……そうよね」と呟いた。
 さっき、外でのんちゃんに話があると言われた時点で、察していたのかもしれない。

「たぶん、その予想は当たってるわ」

 生徒会長が話を進めれば進めるほど、のんちゃんの顔がどんどん下がっていく。
 聞きたくない。
 そんな悲鳴が聞こえたような気がした。
 すべてを話すと決めた会長は、まっすぐな眼をしている。

「垂れ幕を切ったのも、私のTシャツに落書きをして捨てたのも……」

 生徒会長は言葉を切り、一瞬視線を落とす。
 そして静かに告げた。

「……どちらも、結衣子が犯人だと思う」

 俺たちがその名を口にするのとは、重みが違った。
 もはや、俺がふたりの会話に加わるのは難しいだろうと直感するくらい、俺がお呼びではない空気を感じる。

「少し長くなるんだけど……私の話を聞いてくれる?」

 俺としては好都合な提案だ。
 そして、現状、上手く言葉を紡げないのんちゃんにとっても。
 俺たちが頷くと、会長は「ありがとう」と言うと、隠していたことをすべて語ってくれた。