誰かが言った。
嘘はいけないと。
いや、違うな。
優しい嘘はいいけれど、人を傷つける嘘はついてはいけない、だったか。
それを聞いたとき、バカバカしいと思った。
だって、嘘は嘘だ。良いことのわけがない。
まあそれがわかってて、俺はワルイコトをしてるんだけど。
「ねえ、のんちゃん。なんで空が青いか知ってる?」
最近のお気に入り、のんちゃんこと葛城花音。フワフワした黒髪をトレードマークとも言えるツイテールに結んでいる女の子で、一目見て相性がいいと思った子だ。
その直感は的中し、二年になってクラスが離れても、こうして構いに来てしまうくらいだ。
俺に質問されたのんちゃんは、右手の人差し指を顎に当て、空を見ている。
「んー……のん、知らないかも! 碧羽くん、知ってるの?」
のんちゃんの大きな瞳が俺のほうに向く。
これだ。この反応が、たまらなく楽しくて仕方ない。おかげで勝手に口角が緩む。
性格が悪いことは自覚しているが、止められない。
「海が青いからだよ」
「へー! 碧羽くんは物知りさんだね!」
のんちゃんは大袈裟だと思うくらい、全力で驚いてくれた。
自分で嘘をついておきながら、この純粋さは心配になる。まあ若干、からかう楽しさが勝っているから、今でものんちゃんに構っているのだけど。
「……のん、それ嘘だよ」
「ヒロくん!」
俺の嘘知識に感心しているのんちゃんに冷たく言い放ったのは、葛城紘都。のんちゃんの弟だったか、兄だったか……覚えていないが、双子だ。
俺と同じクラスの紘都が、どうしてすぐ隣に立っているのか。俺を見下ろす鋭い視線から逃げつつ、俺は考えることを放棄したかった。
「ウソ?」
のんちゃんはあざとらしく首を傾げた。
ほかの女子がやっていたら引くだろうけど、のんちゃんだからか、可愛らしいと思える。
「空が青い理由。あれはただの光の屈折」
「え、そうなの!? また騙されたー!」
のんちゃんは両頬を膨らませて俺を睨むが、まったくもって怖くない。
「少しは勉強したら?」
そんなのんちゃんを見て、紘都はため息をついている。
「のん、ちゃんとお勉強してるよ?」
「はいはい」
クールで頭脳明晰な紘都と、天然おバカなのんちゃん。本当に同じ環境で育ったのか?と言いたくなってしまうくらい、真逆なふたり。
ああでも、ひとつだけ共通点があった。
俺はふたりの微笑ましい言い合いを聞き流しつつ、周りに視線をやる。
教室内にいる女子は皆、紘都を見ては小声でなにかを話していた。正確に聞こえはしないが、きっと、カッコイイと言っているのがほとんどだろう。
そしてのんちゃんを見ている子も数名。この天然さが可愛いらしいんだと。それは俺もそう思う。
つまり葛城兄妹は、女子人気が高いコンビ。
そんな間に入っている俺はきっと、邪魔者としか映っていないだろう。
それでものんちゃんにちょっかいをかけることをやめるつもりはないが。
「ところでヒロくん、どうしてここにいるの?」
ふと、のんちゃんが紘都に聞いてほしくないことを聞いた。
そのせいで、紘都の視線が俺のほうに向いてしまった。
お前ものんちゃんくらい素直に笑えよ、兄妹だろと思うが、言えるわけもなく。
「どこかの阿呆が仕事サボって姿を消したから、探しにきた」
「阿呆ってなんだよ、失礼だな」
「碧羽くん、お仕事サボったの?」
小物感満載で紘都に言い返したのはいいが、のんちゃんのピュアさ全開の瞳を向けられると、抵抗心が薄れてしまう。
そのせいで、俺は「いや、サボったっていうか……ね……」なんて、カッコ悪く言い淀んでしまった。
「碧羽くん! 文化祭はみんなでやるから楽しいんだよ」
「……そうですネ」
のんちゃん以外に言われたら鼻で笑っていたな、と思いながら、俺は立ち上がる。
「ヒロくんたちのクラスは、なにやるの?」
「謎解きゲーム」
「全部解けたら景品あり、みたいなね」
「えー! 楽しそう! のん、絶対に行くね!」
こんな約束をしても、どうせ来ないだろう、なんてのんちゃんと出会う前の俺は思っただろう。
でも、嘘偽りのない反応をするのが、のんちゃんだ。ここまで楽しみにされると、面倒な準備もやってやらんこともないと思えてくる。
「じゃあのんちゃん、またあとでね」
「はーい」
のんちゃんは幼稚園児に見間違ってしまいそうなくらい手を振った。その光景が微笑ましく、表情が緩んだまま教室を出る。
廊下を歩いていると、のんちゃんと同じくらい浮き足立った生徒たちと何度もすれ違った。非協力的な俺のほうがおかしいみたいに思えてくるから、少し居心地が悪い。
「お前も飽きないよな」
すると、紘都が唐突に言った。横に視線をやると、若干軽蔑した目をしている。
「飽きないって、なにが?」
「のんに嘘つくこと。しかも、くだらないものだらけ」
そこまで言われるほど、俺はのんちゃんに構っていただろうか。自問しても、そんなことはないと思うが、紘都が言うということは、相当構っていたのだと思う。
「のんちゃんはいつだっていい反応をしてくれるからな」
正直に答えたものの、紘都の眼はくだらないと語っている。
口でも目でも言うのか、コノヤロウ。
いいぜ、その喧嘩買ってやる。
「お前も見習えばー? のんちゃんの素直さ」
俺が両手を頭の後ろに回しながら言うと、紘都は鼻で笑った。さっきよりも明確に、俺を嘲笑っているのが手に取るようにわかる。
だから、今みたく怒りを流すことが上手くできなかった。
「なんだよ」
「別に?」
「言えよ、気になるだろ」
紘都は一瞬、空を見た。その視線の送り方は、のんちゃんを彷彿とさせる。なんだ、やっぱり双子だな。
「お前ってのんに構うくせに、のんのこと全然見てないんだなと思っただけ」
紘都はそう言って、俺の先を行った。
その背中を見送りながら、今の紘都のセリフを脳内で繰り返す。
俺が? のんちゃんのことを見ていないだって?
そりゃ、生まれたときから隣にいる双子のお前には負けるでしょうよ。なんせ俺は、高校からの付き合いなんでね。のんちゃんのこと、お前ほどは知ってませんよ。
でもだからって、鼻で笑うことはないだろ、ムカつくな。
「……よし、サボるか」
紘都がいる教室になんて戻ってやるもんか、テンション下がるわ。
踵を返した俺は、人が少なそうなところを探して校内を歩き回った。
しかしまあ、文化祭準備期間ってことでどこも賑やかなこと。普段行かないような場所にまで人がいては、落ち着いてサボることもできない。
そうしてさまよった結果、俺がたどり着いたのは屋上だった。
ここもまた、普段は出入りできないが、今だけ入ることができる特別な場所。こういうときに足を踏み入れられるのは、少し心が踊る。
外に出れば、青空が広がっていた。サボるにはもってこいの天気だ。
九月の日差しは心地よく、あっさりと眠気に負けそうになる。
俺は日陰に移動し、壁に背中を預けるように座ると、そのまま夢の世界へ飛び立った。
◇
遠くで足音が聞こえる。
気のせいかもしれないと思うほどの、小さな足音だ。
誰か目の前にいる空気は感じるのに、意識がぼんやりとしているせいか、その姿や顔は確認できない。
「これで大丈夫……」
なにが大丈夫なんだ?と尋ねる前に、人の気配はなくなった。
変な夢だ。
そう思った途端、視界が激しく揺さぶられた。いや、揺れているのは俺の身体か。それはもう乱暴な揺らし方で、次第に意識ははっきりとしてきた。
「起きろ阿呆」
俺が目を開けるより先に、罵倒が聞こえてきた。
この声は紘都だ。飽きもせず、また俺を探しに来たらしい。
しかし、相手が紘都だとじわじわと腹立たしさを感じてくる。
「……もっと優しい起こし方できないのかよ、お前は」
欠伸を噛み殺しながら、俺は悪態をついた。
本来の俺は、こんなに口は悪くないのに。これも紘都のせいだと思うと、悪態をつかずにはいられない。
「生憎、お前に見せる優しさは持ち合わせていない」
「ああそうですか」
俺はそう言いながら、両手を組んで上に伸ばした。寝方が悪かったのか、あちこち痛む。
「今何時?」
「放課後だ」
俺の目の前にしゃがみ込んでいる紘都は、呆れたと言わんばかりの表情をしている。
放課後か。さすがにそれは、俺も予想外。
「結局、最後までサボりやがって」
「いやー、ごめんごめん」
俺の軽い謝罪に、紘都は明確に不機嫌になるが、気にしない。
正確には、紘都の後ろに見かけない女子生徒がふたりほどいて、そっちのほうが気になった。
短髪黒髪クールビューティと、メガネにおさげヘアの真面目っ子。そして一匹狼、紘都。なんともアンバランスな組み合わせだ。
よく見れば、女子生徒が来ている文化祭用のクラスTシャツには『3-1』とある。
つまり、紘都が先輩をふたりも引き連れて、俺を起こしにきたということになる。
……なんのために?
いまいち状況が飲み込めないが、クールビューティ先輩から憎しみを込めた視線を向けられていることだけは理解した。
しかしその眼力に気付いた一瞬、言葉が出なくなった。
「えっと……なにごと?」
「お前には失望した」
それでもなんとか絞り出して聞いたというのに、紘都は俺のちっぽけな勇気を簡単に切り捨てた。
それどころか、ため息混じりに立ち上がり、俺を見下ろす目が「クズめ」と語っているように見えて仕方ない。
「はあ?」
俺は脊髄反射で応えた。
本当なんなんだよ、コイツは。喧嘩売る天才か。言い値で買ってやるぞ、コノヤロウ。
「貴方がやったの?」
そんな俺の腰を折ったのは、クールビューティ先輩。メガネ先輩は怯えた様子で俺のほうを見ている。
そんな怖いものでも見ているような眼を向けられるのは、なんか悲しくなってくる。俺、良い人ではないけど、悪い人でもないと思うんだけどな。
「やったって、なにが?」
クールビューティ先輩は俺の質問に、言葉ではなく物を差し出すことで答えた。
彼女の手にあったのは、ズタズタに切り刻まれた白い布。カラフルな文字が書かれていたのだろうけど、無惨な姿になっているせいで読むことができない。
「うわ、なにそれ……」
「誰かさんに切られた、文化祭に向けての垂れ幕よ」
なるほど、垂れ幕ね。そんなものがあったなんて、知らなかったな。カウントダウンでもしてたのか。なんだかんだ盛り上げられてたわけだ。
それなのに、こんな切り刻まれて可哀想に。
「貴方がやったんでしょ」
「……え、俺?」
よくわからない状況に、反応が遅れてしまった。
ただ、俺が疑われているから睨まれているということはわかった。
「なんで俺?」
クールビューティ先輩は俺のほうを指さした。いや、正確には床だ。アスファルトの上。
それに引っ張られるように視線を動かすと、そこにはハサミが置かれている。ケースもなにもなく、ただ無造作に。
「なんでこんなところにハサミがあんの?」
「とぼけるなよ。お前がそれを使って垂れ幕を切り刻んだんだろ。犯行後に現場で昼寝するなんて、救えないバカだな」
紘都はそう言って鼻で笑った。
「いやいやいや、待ってよ。俺、犯人じゃないって」
そう言ったのはいいものの、三人の目は全然信じてくれていなさそうだ。
その気持ちもわからないことはないが、主張しないわけにはいかない。
さてどうしたものか。
「そんなもの信じられるか。職員室に行くから来い」
紘都はこんなときでも冷静で、俺を立たせようと手を伸ばしてくる。
「いやだから、俺じゃないって!」
大人しく連れて行かれるつもりもなく、俺は紘都の手を払う。
その瞬間、紘都はさらに険しい顔になった。
「お前……往生際が悪いぞ」
そんなこと言われても、違うものは違うと抵抗することのなにが悪い。
「いいから来い」
紘都は俺の左手首を掴み、遠慮なく引っ張り上げた。
正直、抜け出せそうな腕力だけど、メガネ先輩の泣きそうな表情が視界に入った途端、戸惑いが勝った。
せっかく頑張って作ったのに、みたいな顔を見てしまうと、誰だって罪悪感が勝つと思う。
まあ俺はやってないから、こんな争いを見せるのは悪いなと思って止まってしまった。
しかしそんな俺の動揺を見逃さなかった紘都は、そのまま俺の手首を掴んだまま、校舎に入っていく。
「なあ、紘都。少しは人の話聞けって」
しかしながら、この状況に納得しているわけではないので、一応抗議してみる。
だけど、紘都は聞く耳も持たない。
このまま、ガチで職員室に連れて行かれるのは勘弁してほしいんだけど。
「あー! ヒロくん、みっけ!」
すると、前方から底抜けに明るい声が聞こえてきた。
紘都の背中から顔を覗かせると、二本の髪束が元気よく揺れているのが目に入った。
やっぱりのんちゃんだ。
「あれ? 碧羽くんも一緒?」
不思議そうにするのんちゃんの視線が、俺たちの顔からゆっくりと下がっていく。止まったのは、俺たちの手元だ。
「仲良しさん?」
のんちゃんのピュアな反応を見た瞬間、紘都は手を離した。
俺と仲がいいと思われることが、そんなにも不服か。まあいい。俺だって、お前がのんちゃんと兄妹じゃなかったら、関わりたくもないからな。
「芳村を職員室に連れていくところだったんだ」
「碧羽くんを? どうして?」
「彼が垂れ幕を切り刻んだからよ」
のんちゃんの質問に答えたのは、クールビューティ先輩。それによって、のんちゃんは俺の後ろにいた先輩たちに気付き、不思議そうな顔へと変化させていった。
「早希センパイ! 結衣子センパイも!」
「のんちゃん、お知り合い?」
のんちゃんがあまりにもさらっとふたりの名前を口にしたから聞いたのに、のんちゃんだけでなく、紘都までも「嘘だろ?」と言わんばかりの目を向けてきた。
「早希センパイは生徒会長さんだよ。結衣子センパイは、美術部の部長さん」
なるほど、知らないな。
そんな思考が先走ったせいで、俺は「へえ……」なんて興味なさそうな声を出してしまった。
それもあってか、紘都が俺を蔑むような目をしているが、気付かなかったことにしてやる。
「それより、碧羽くんが垂れ幕を切り刻んだって、本当なの?」
「ええ」
「だから、俺じゃないって言ってんじゃん」
相手が異性だというのに、俺は苛立ちを抑え切ることができなかった。
俺のわかりやすい嘘を、あんなにも簡単に信じるのんちゃんだ。嘘だと認識していない言葉を疑って聞くとは到底思えない。
のんちゃんにまで軽蔑されてしまったら、ちょっと生きた心地がしない。
「早希センパイは、どうして碧羽くんだと思ったの?」
相反する主張で混乱したのか、のんちゃんは少し考えた後、そう言った。
「結衣子と垂れ幕を片付けるために屋上に行ったら、彼が日陰で寝ていたの。このハサミを傍に置いたまま」
生徒会長の言葉に合わせて、結衣子先輩がのんちゃんにハサミを見せた。ついでに垂れ幕ものんちゃんの視界に入り、のんちゃんは「酷い……」と声を漏らした。
「そして垂れ幕を引き上げたら、こうなってて。結衣子たちが一生懸命完成させたものなのに……」
生徒会長は流れるように、俺を睨みつける。その横で、やっぱり結衣子先輩はしゅんとしていた。
そしてのんちゃんは完成までの苦労を知っているのか、同情するような反応を見せる。
ああ、終わったな。
なんとなく、そう思った。
この空気から、のんちゃんが俺の無実を信じてくれるわけがない。
なんかもう、どうでもよくなってきたな。このままやってもいないことの犯人になってしまったほうが、楽な気がする。
そうやって投げやりになりかけたときだった。
のんちゃんの視線が俺のほうに向いたが、それは俺を責めるような眼ではなかった。
「本当に、碧羽くんがやったの?」
状況証拠がしっかり揃っている中で、お前がやったんだろ、と決めつけるんじゃなくて、やったの?と確認されるなんて。
もしかしたら、のんちゃんは、俺のことを信じてくれるかもしれない。
「俺は、やってない」
紘都が「まだ言うのか」みたいな顔をしたが、そんなものは気にしてなんかいられない。
「……早希センパイ、結衣子センパイ。のん、碧羽くんは犯人じゃないと思う」
「は?」
誰よりも先に反応したのは、紘都だ。
しかし紘都に睨まれても、のんちゃんは表情ひとつ変えない。あんなにも感情豊かなのんちゃんを知っているから、目の前にいる彼女が本当にのんちゃんなのだろうかと疑ってしまうくらいだ。
「のん、まだコイツのこと信じるのか? いつも、あんなに嘘つかれてるのに」
正論すぎて、ぐうの音も出ない。こんなときだけ信じてほしいってのも、都合よすぎだと自分でも思う。
「だからだよ。のんだから、今の碧羽くんが嘘をついてないってわかるの。それに、碧羽くんは今まで、誰かを傷付けるような嘘をついたことがないもん」
おバカなのんちゃん、なんて誰が言った。
そんな姿は微塵も感じられない。
『お前って、のんに構うくせに、のんのこと全然見てないんだな』
ふと、紘都の言葉を思い出した。
言われたときは喧嘩を売られたとしか思わなかったけど、今、理解した。
たしかに俺は、のんちゃんのことを見ていなかったんだな。
実際、戸惑っているのは俺だけみたいだし。
「でも、屋上には彼しかいなかったのよ?」
生徒会長が反論するも、のんちゃんは落ち着いた様子で変わらない。
「そうかもしれないけど……でものんだったら、垂れ幕を切ったら逃げる。そしてもし、そこに第三者がいたら、罪を擦り付ける。だって、悪いことしたら、バレたくないもん」
紘都も生徒会長も、言葉が出ないらしい。
これは、俺の冤罪が晴らされる絶好の好機か?
よし、のんちゃん。紘都なんかに負けるな、がんばれ!
「そもそも、碧羽くんがそんなことをする理由ってなあに?」
「文化祭なんてくだらないとか、準備がめんどくさいとかで、文化祭の空気感を台無しにしたかったから……」
紘都は言い返しているものの、さっきまでの勢いがない。やはり、のんちゃんが優勢みたいだ。
しかしまあ、準備をサボっていたことがこんなところで仇となるとは、さすがに予想外。
「じゃあ……そうだ。碧羽くん、垂れ幕があること、知ってた?」
のんちゃんは閃いた!という目をして俺を見た。
「いや全然」
結衣子先輩たちが一生懸命作成したと知ったあとに言うのは気が引けるけど、ここは素直に言ったほうがいいに決まっている。
ゆえに、はっきりと言い切らせてもらった。
「でも彼、花音に嘘ばかりついているんでしょう? 私からしてみれば、今の話すべて、罪から逃れるための嘘としか思えない」
それでも生徒会長の凛とした姿勢は変わらなかった。
たしかに、俺が嘘をついていないという証明もできない。なんせ、垂れ幕を切り刻んだ事件の目撃者がひとりもいないのだから。
のんちゃんは右手の人差し指を顎に当て、「んー……」と空を見る。
それはのんちゃんの癖でいつも見てきたはずなのに、どこか雰囲気が違うように感じた。
「でもやっぱり、のんは碧羽くんじゃないと思う」
この議論には、着地点がない。
それはこの場にいる誰もが思った。
「……わかった。コイツを職員室に連れていくのはやめる」
紘都がそう言った途端、のんちゃんに満面の笑みが戻った。
よかった、俺が知っているのんちゃんだ。
「ただし。お前の疑いが晴れたわけではないからな」
紘都は俺を睨んで釘を刺した。
「わかってるって」
「あと、身の潔白を証明したいなら、今後しばらく、単独行動禁止な」
「うげ」
俺は苦虫を潰したような顔をした。
しかし紘都は「はい」か「イエス」以外の返事を認めない目をしている。
「はいはい、わかりましたよ」
視界の端では、のんちゃんが安心したように笑っている。
なにも解決していないんだけどね。のんちゃんはそこのところ、ちゃんとわかっているのだろうか。
「ちょっと待ちなさい」
すると、生徒会長の声が緩んだ空気を元に戻した。
俺としては予想通りなのだけど、のんちゃんは驚いた顔をしている。
「彼が犯人じゃないなら、一体誰がこんな酷いことをしたって言うの?」
「それは……」
のんちゃんは視線を泳がせ、わかりやすく言葉に迷った。
「のん、わかんない……」
さっきまでのような正論で圧倒していたのんちゃんは、もういなかった。
まあ、のんちゃんはついさっき話を聞いて、俺が犯人とは思えなかっただけ。犯人を知っているわけではない。
つまり、のんちゃんがここまで申し訳なさそうにする必要はないのだが、のんちゃんは妙に責任を感じているように見えた。
「……そうね。ごめん、花音」
生徒会長ものんちゃんが知るはずないと気付いたのか、素直に謝った。のんちゃんは首を横に振る。
「じゃあ……彼のことは、紘都に任せるわ」
「わかりました。やっぱりコイツが犯人だったとわかったら、徹底的に潰しておきます」
紘都がとんでもなく恐ろしいことを言ったというのに、生徒会長は笑って「よろしくね」なんて言いながら、俺たちの横を通り過ぎて行った。結衣子先輩は小走りでその背中を追う。
そういえば、最後まで結衣子先輩とまともに目が合わなかったな。まあ、自分たちが作成したものを傷つけたであろう人物と目なんて合わせたくはないか。
「のんちゃん、助けてくれてありがとね。ヒーローみたいでかっこよかったよ」
すると、のんちゃんは「へへ」と笑ってみせた。褒め言葉を謙遜せずに受け取る辺り、やっぱりいつもののんちゃんだ。
まあでも、本当に惚れ直すレベルでかっこよかったし、いいか。
「で、のんはここになにしに来たんだ」
紘都の声のトーンは一貫して低かった。
のんちゃんには優しさを見せてもいいだろうに。
「そうだった! もうすぐ、ヒロくんの誕生日でしょ? だから、一緒にプレゼント探そうと思って」
「俺も連れていかれるのかよ」
冷たい奴め、と思ったそばから、紘都は鼻で笑った。なんだ、笑えるじゃないか。
いや、待てよ?
「のんちゃんの誕生日って、五月くらいじゃなかったっけ」
「そうだよ?」
のんちゃんはきょとんとした表情で俺を見るが、俺は俺でのんちゃんが言ったことが理解できず、鏡写しのように首を傾げた。
いや、双子なら誕生日は同じだろ。
「俺ら、双子じゃないからな」
「え、そうなの!?」
俺が驚きのままに声を上げたのに対して、ふたりは「知らなかったの?」とでも言いたげな目をしている。
逆に、なんで俺がそんなプライベートに踏み込んだことを知ってると思ってんの? 今さっきまで、のんちゃんが見事な観察力と推察力の持ち主だということにも気付けていなかったんだぞ? 知るわけないだろ。
ただ、なにか複雑な事情でもあるのかと思うと、どうして、なんて言えなかった。
「あ、でも、碧羽くん、独り行動禁止なんだよね? のんたちと一緒に帰る?」
のんちゃんの提案を聞いて、紘都がわかりやすく顔を顰めた。
そんなに嫌そうにされたら、期待に応えたくなるじゃん?
「最高のプレゼント選んでやんよ、お兄サマ」
俺が肩を組めば、紘都は迷惑そうに俺の腕から逃げていった。
ある意味素直な反応で、俺は自然と笑っていた。
嘘はいけないと。
いや、違うな。
優しい嘘はいいけれど、人を傷つける嘘はついてはいけない、だったか。
それを聞いたとき、バカバカしいと思った。
だって、嘘は嘘だ。良いことのわけがない。
まあそれがわかってて、俺はワルイコトをしてるんだけど。
「ねえ、のんちゃん。なんで空が青いか知ってる?」
最近のお気に入り、のんちゃんこと葛城花音。フワフワした黒髪をトレードマークとも言えるツイテールに結んでいる女の子で、一目見て相性がいいと思った子だ。
その直感は的中し、二年になってクラスが離れても、こうして構いに来てしまうくらいだ。
俺に質問されたのんちゃんは、右手の人差し指を顎に当て、空を見ている。
「んー……のん、知らないかも! 碧羽くん、知ってるの?」
のんちゃんの大きな瞳が俺のほうに向く。
これだ。この反応が、たまらなく楽しくて仕方ない。おかげで勝手に口角が緩む。
性格が悪いことは自覚しているが、止められない。
「海が青いからだよ」
「へー! 碧羽くんは物知りさんだね!」
のんちゃんは大袈裟だと思うくらい、全力で驚いてくれた。
自分で嘘をついておきながら、この純粋さは心配になる。まあ若干、からかう楽しさが勝っているから、今でものんちゃんに構っているのだけど。
「……のん、それ嘘だよ」
「ヒロくん!」
俺の嘘知識に感心しているのんちゃんに冷たく言い放ったのは、葛城紘都。のんちゃんの弟だったか、兄だったか……覚えていないが、双子だ。
俺と同じクラスの紘都が、どうしてすぐ隣に立っているのか。俺を見下ろす鋭い視線から逃げつつ、俺は考えることを放棄したかった。
「ウソ?」
のんちゃんはあざとらしく首を傾げた。
ほかの女子がやっていたら引くだろうけど、のんちゃんだからか、可愛らしいと思える。
「空が青い理由。あれはただの光の屈折」
「え、そうなの!? また騙されたー!」
のんちゃんは両頬を膨らませて俺を睨むが、まったくもって怖くない。
「少しは勉強したら?」
そんなのんちゃんを見て、紘都はため息をついている。
「のん、ちゃんとお勉強してるよ?」
「はいはい」
クールで頭脳明晰な紘都と、天然おバカなのんちゃん。本当に同じ環境で育ったのか?と言いたくなってしまうくらい、真逆なふたり。
ああでも、ひとつだけ共通点があった。
俺はふたりの微笑ましい言い合いを聞き流しつつ、周りに視線をやる。
教室内にいる女子は皆、紘都を見ては小声でなにかを話していた。正確に聞こえはしないが、きっと、カッコイイと言っているのがほとんどだろう。
そしてのんちゃんを見ている子も数名。この天然さが可愛いらしいんだと。それは俺もそう思う。
つまり葛城兄妹は、女子人気が高いコンビ。
そんな間に入っている俺はきっと、邪魔者としか映っていないだろう。
それでものんちゃんにちょっかいをかけることをやめるつもりはないが。
「ところでヒロくん、どうしてここにいるの?」
ふと、のんちゃんが紘都に聞いてほしくないことを聞いた。
そのせいで、紘都の視線が俺のほうに向いてしまった。
お前ものんちゃんくらい素直に笑えよ、兄妹だろと思うが、言えるわけもなく。
「どこかの阿呆が仕事サボって姿を消したから、探しにきた」
「阿呆ってなんだよ、失礼だな」
「碧羽くん、お仕事サボったの?」
小物感満載で紘都に言い返したのはいいが、のんちゃんのピュアさ全開の瞳を向けられると、抵抗心が薄れてしまう。
そのせいで、俺は「いや、サボったっていうか……ね……」なんて、カッコ悪く言い淀んでしまった。
「碧羽くん! 文化祭はみんなでやるから楽しいんだよ」
「……そうですネ」
のんちゃん以外に言われたら鼻で笑っていたな、と思いながら、俺は立ち上がる。
「ヒロくんたちのクラスは、なにやるの?」
「謎解きゲーム」
「全部解けたら景品あり、みたいなね」
「えー! 楽しそう! のん、絶対に行くね!」
こんな約束をしても、どうせ来ないだろう、なんてのんちゃんと出会う前の俺は思っただろう。
でも、嘘偽りのない反応をするのが、のんちゃんだ。ここまで楽しみにされると、面倒な準備もやってやらんこともないと思えてくる。
「じゃあのんちゃん、またあとでね」
「はーい」
のんちゃんは幼稚園児に見間違ってしまいそうなくらい手を振った。その光景が微笑ましく、表情が緩んだまま教室を出る。
廊下を歩いていると、のんちゃんと同じくらい浮き足立った生徒たちと何度もすれ違った。非協力的な俺のほうがおかしいみたいに思えてくるから、少し居心地が悪い。
「お前も飽きないよな」
すると、紘都が唐突に言った。横に視線をやると、若干軽蔑した目をしている。
「飽きないって、なにが?」
「のんに嘘つくこと。しかも、くだらないものだらけ」
そこまで言われるほど、俺はのんちゃんに構っていただろうか。自問しても、そんなことはないと思うが、紘都が言うということは、相当構っていたのだと思う。
「のんちゃんはいつだっていい反応をしてくれるからな」
正直に答えたものの、紘都の眼はくだらないと語っている。
口でも目でも言うのか、コノヤロウ。
いいぜ、その喧嘩買ってやる。
「お前も見習えばー? のんちゃんの素直さ」
俺が両手を頭の後ろに回しながら言うと、紘都は鼻で笑った。さっきよりも明確に、俺を嘲笑っているのが手に取るようにわかる。
だから、今みたく怒りを流すことが上手くできなかった。
「なんだよ」
「別に?」
「言えよ、気になるだろ」
紘都は一瞬、空を見た。その視線の送り方は、のんちゃんを彷彿とさせる。なんだ、やっぱり双子だな。
「お前ってのんに構うくせに、のんのこと全然見てないんだなと思っただけ」
紘都はそう言って、俺の先を行った。
その背中を見送りながら、今の紘都のセリフを脳内で繰り返す。
俺が? のんちゃんのことを見ていないだって?
そりゃ、生まれたときから隣にいる双子のお前には負けるでしょうよ。なんせ俺は、高校からの付き合いなんでね。のんちゃんのこと、お前ほどは知ってませんよ。
でもだからって、鼻で笑うことはないだろ、ムカつくな。
「……よし、サボるか」
紘都がいる教室になんて戻ってやるもんか、テンション下がるわ。
踵を返した俺は、人が少なそうなところを探して校内を歩き回った。
しかしまあ、文化祭準備期間ってことでどこも賑やかなこと。普段行かないような場所にまで人がいては、落ち着いてサボることもできない。
そうしてさまよった結果、俺がたどり着いたのは屋上だった。
ここもまた、普段は出入りできないが、今だけ入ることができる特別な場所。こういうときに足を踏み入れられるのは、少し心が踊る。
外に出れば、青空が広がっていた。サボるにはもってこいの天気だ。
九月の日差しは心地よく、あっさりと眠気に負けそうになる。
俺は日陰に移動し、壁に背中を預けるように座ると、そのまま夢の世界へ飛び立った。
◇
遠くで足音が聞こえる。
気のせいかもしれないと思うほどの、小さな足音だ。
誰か目の前にいる空気は感じるのに、意識がぼんやりとしているせいか、その姿や顔は確認できない。
「これで大丈夫……」
なにが大丈夫なんだ?と尋ねる前に、人の気配はなくなった。
変な夢だ。
そう思った途端、視界が激しく揺さぶられた。いや、揺れているのは俺の身体か。それはもう乱暴な揺らし方で、次第に意識ははっきりとしてきた。
「起きろ阿呆」
俺が目を開けるより先に、罵倒が聞こえてきた。
この声は紘都だ。飽きもせず、また俺を探しに来たらしい。
しかし、相手が紘都だとじわじわと腹立たしさを感じてくる。
「……もっと優しい起こし方できないのかよ、お前は」
欠伸を噛み殺しながら、俺は悪態をついた。
本来の俺は、こんなに口は悪くないのに。これも紘都のせいだと思うと、悪態をつかずにはいられない。
「生憎、お前に見せる優しさは持ち合わせていない」
「ああそうですか」
俺はそう言いながら、両手を組んで上に伸ばした。寝方が悪かったのか、あちこち痛む。
「今何時?」
「放課後だ」
俺の目の前にしゃがみ込んでいる紘都は、呆れたと言わんばかりの表情をしている。
放課後か。さすがにそれは、俺も予想外。
「結局、最後までサボりやがって」
「いやー、ごめんごめん」
俺の軽い謝罪に、紘都は明確に不機嫌になるが、気にしない。
正確には、紘都の後ろに見かけない女子生徒がふたりほどいて、そっちのほうが気になった。
短髪黒髪クールビューティと、メガネにおさげヘアの真面目っ子。そして一匹狼、紘都。なんともアンバランスな組み合わせだ。
よく見れば、女子生徒が来ている文化祭用のクラスTシャツには『3-1』とある。
つまり、紘都が先輩をふたりも引き連れて、俺を起こしにきたということになる。
……なんのために?
いまいち状況が飲み込めないが、クールビューティ先輩から憎しみを込めた視線を向けられていることだけは理解した。
しかしその眼力に気付いた一瞬、言葉が出なくなった。
「えっと……なにごと?」
「お前には失望した」
それでもなんとか絞り出して聞いたというのに、紘都は俺のちっぽけな勇気を簡単に切り捨てた。
それどころか、ため息混じりに立ち上がり、俺を見下ろす目が「クズめ」と語っているように見えて仕方ない。
「はあ?」
俺は脊髄反射で応えた。
本当なんなんだよ、コイツは。喧嘩売る天才か。言い値で買ってやるぞ、コノヤロウ。
「貴方がやったの?」
そんな俺の腰を折ったのは、クールビューティ先輩。メガネ先輩は怯えた様子で俺のほうを見ている。
そんな怖いものでも見ているような眼を向けられるのは、なんか悲しくなってくる。俺、良い人ではないけど、悪い人でもないと思うんだけどな。
「やったって、なにが?」
クールビューティ先輩は俺の質問に、言葉ではなく物を差し出すことで答えた。
彼女の手にあったのは、ズタズタに切り刻まれた白い布。カラフルな文字が書かれていたのだろうけど、無惨な姿になっているせいで読むことができない。
「うわ、なにそれ……」
「誰かさんに切られた、文化祭に向けての垂れ幕よ」
なるほど、垂れ幕ね。そんなものがあったなんて、知らなかったな。カウントダウンでもしてたのか。なんだかんだ盛り上げられてたわけだ。
それなのに、こんな切り刻まれて可哀想に。
「貴方がやったんでしょ」
「……え、俺?」
よくわからない状況に、反応が遅れてしまった。
ただ、俺が疑われているから睨まれているということはわかった。
「なんで俺?」
クールビューティ先輩は俺のほうを指さした。いや、正確には床だ。アスファルトの上。
それに引っ張られるように視線を動かすと、そこにはハサミが置かれている。ケースもなにもなく、ただ無造作に。
「なんでこんなところにハサミがあんの?」
「とぼけるなよ。お前がそれを使って垂れ幕を切り刻んだんだろ。犯行後に現場で昼寝するなんて、救えないバカだな」
紘都はそう言って鼻で笑った。
「いやいやいや、待ってよ。俺、犯人じゃないって」
そう言ったのはいいものの、三人の目は全然信じてくれていなさそうだ。
その気持ちもわからないことはないが、主張しないわけにはいかない。
さてどうしたものか。
「そんなもの信じられるか。職員室に行くから来い」
紘都はこんなときでも冷静で、俺を立たせようと手を伸ばしてくる。
「いやだから、俺じゃないって!」
大人しく連れて行かれるつもりもなく、俺は紘都の手を払う。
その瞬間、紘都はさらに険しい顔になった。
「お前……往生際が悪いぞ」
そんなこと言われても、違うものは違うと抵抗することのなにが悪い。
「いいから来い」
紘都は俺の左手首を掴み、遠慮なく引っ張り上げた。
正直、抜け出せそうな腕力だけど、メガネ先輩の泣きそうな表情が視界に入った途端、戸惑いが勝った。
せっかく頑張って作ったのに、みたいな顔を見てしまうと、誰だって罪悪感が勝つと思う。
まあ俺はやってないから、こんな争いを見せるのは悪いなと思って止まってしまった。
しかしそんな俺の動揺を見逃さなかった紘都は、そのまま俺の手首を掴んだまま、校舎に入っていく。
「なあ、紘都。少しは人の話聞けって」
しかしながら、この状況に納得しているわけではないので、一応抗議してみる。
だけど、紘都は聞く耳も持たない。
このまま、ガチで職員室に連れて行かれるのは勘弁してほしいんだけど。
「あー! ヒロくん、みっけ!」
すると、前方から底抜けに明るい声が聞こえてきた。
紘都の背中から顔を覗かせると、二本の髪束が元気よく揺れているのが目に入った。
やっぱりのんちゃんだ。
「あれ? 碧羽くんも一緒?」
不思議そうにするのんちゃんの視線が、俺たちの顔からゆっくりと下がっていく。止まったのは、俺たちの手元だ。
「仲良しさん?」
のんちゃんのピュアな反応を見た瞬間、紘都は手を離した。
俺と仲がいいと思われることが、そんなにも不服か。まあいい。俺だって、お前がのんちゃんと兄妹じゃなかったら、関わりたくもないからな。
「芳村を職員室に連れていくところだったんだ」
「碧羽くんを? どうして?」
「彼が垂れ幕を切り刻んだからよ」
のんちゃんの質問に答えたのは、クールビューティ先輩。それによって、のんちゃんは俺の後ろにいた先輩たちに気付き、不思議そうな顔へと変化させていった。
「早希センパイ! 結衣子センパイも!」
「のんちゃん、お知り合い?」
のんちゃんがあまりにもさらっとふたりの名前を口にしたから聞いたのに、のんちゃんだけでなく、紘都までも「嘘だろ?」と言わんばかりの目を向けてきた。
「早希センパイは生徒会長さんだよ。結衣子センパイは、美術部の部長さん」
なるほど、知らないな。
そんな思考が先走ったせいで、俺は「へえ……」なんて興味なさそうな声を出してしまった。
それもあってか、紘都が俺を蔑むような目をしているが、気付かなかったことにしてやる。
「それより、碧羽くんが垂れ幕を切り刻んだって、本当なの?」
「ええ」
「だから、俺じゃないって言ってんじゃん」
相手が異性だというのに、俺は苛立ちを抑え切ることができなかった。
俺のわかりやすい嘘を、あんなにも簡単に信じるのんちゃんだ。嘘だと認識していない言葉を疑って聞くとは到底思えない。
のんちゃんにまで軽蔑されてしまったら、ちょっと生きた心地がしない。
「早希センパイは、どうして碧羽くんだと思ったの?」
相反する主張で混乱したのか、のんちゃんは少し考えた後、そう言った。
「結衣子と垂れ幕を片付けるために屋上に行ったら、彼が日陰で寝ていたの。このハサミを傍に置いたまま」
生徒会長の言葉に合わせて、結衣子先輩がのんちゃんにハサミを見せた。ついでに垂れ幕ものんちゃんの視界に入り、のんちゃんは「酷い……」と声を漏らした。
「そして垂れ幕を引き上げたら、こうなってて。結衣子たちが一生懸命完成させたものなのに……」
生徒会長は流れるように、俺を睨みつける。その横で、やっぱり結衣子先輩はしゅんとしていた。
そしてのんちゃんは完成までの苦労を知っているのか、同情するような反応を見せる。
ああ、終わったな。
なんとなく、そう思った。
この空気から、のんちゃんが俺の無実を信じてくれるわけがない。
なんかもう、どうでもよくなってきたな。このままやってもいないことの犯人になってしまったほうが、楽な気がする。
そうやって投げやりになりかけたときだった。
のんちゃんの視線が俺のほうに向いたが、それは俺を責めるような眼ではなかった。
「本当に、碧羽くんがやったの?」
状況証拠がしっかり揃っている中で、お前がやったんだろ、と決めつけるんじゃなくて、やったの?と確認されるなんて。
もしかしたら、のんちゃんは、俺のことを信じてくれるかもしれない。
「俺は、やってない」
紘都が「まだ言うのか」みたいな顔をしたが、そんなものは気にしてなんかいられない。
「……早希センパイ、結衣子センパイ。のん、碧羽くんは犯人じゃないと思う」
「は?」
誰よりも先に反応したのは、紘都だ。
しかし紘都に睨まれても、のんちゃんは表情ひとつ変えない。あんなにも感情豊かなのんちゃんを知っているから、目の前にいる彼女が本当にのんちゃんなのだろうかと疑ってしまうくらいだ。
「のん、まだコイツのこと信じるのか? いつも、あんなに嘘つかれてるのに」
正論すぎて、ぐうの音も出ない。こんなときだけ信じてほしいってのも、都合よすぎだと自分でも思う。
「だからだよ。のんだから、今の碧羽くんが嘘をついてないってわかるの。それに、碧羽くんは今まで、誰かを傷付けるような嘘をついたことがないもん」
おバカなのんちゃん、なんて誰が言った。
そんな姿は微塵も感じられない。
『お前って、のんに構うくせに、のんのこと全然見てないんだな』
ふと、紘都の言葉を思い出した。
言われたときは喧嘩を売られたとしか思わなかったけど、今、理解した。
たしかに俺は、のんちゃんのことを見ていなかったんだな。
実際、戸惑っているのは俺だけみたいだし。
「でも、屋上には彼しかいなかったのよ?」
生徒会長が反論するも、のんちゃんは落ち着いた様子で変わらない。
「そうかもしれないけど……でものんだったら、垂れ幕を切ったら逃げる。そしてもし、そこに第三者がいたら、罪を擦り付ける。だって、悪いことしたら、バレたくないもん」
紘都も生徒会長も、言葉が出ないらしい。
これは、俺の冤罪が晴らされる絶好の好機か?
よし、のんちゃん。紘都なんかに負けるな、がんばれ!
「そもそも、碧羽くんがそんなことをする理由ってなあに?」
「文化祭なんてくだらないとか、準備がめんどくさいとかで、文化祭の空気感を台無しにしたかったから……」
紘都は言い返しているものの、さっきまでの勢いがない。やはり、のんちゃんが優勢みたいだ。
しかしまあ、準備をサボっていたことがこんなところで仇となるとは、さすがに予想外。
「じゃあ……そうだ。碧羽くん、垂れ幕があること、知ってた?」
のんちゃんは閃いた!という目をして俺を見た。
「いや全然」
結衣子先輩たちが一生懸命作成したと知ったあとに言うのは気が引けるけど、ここは素直に言ったほうがいいに決まっている。
ゆえに、はっきりと言い切らせてもらった。
「でも彼、花音に嘘ばかりついているんでしょう? 私からしてみれば、今の話すべて、罪から逃れるための嘘としか思えない」
それでも生徒会長の凛とした姿勢は変わらなかった。
たしかに、俺が嘘をついていないという証明もできない。なんせ、垂れ幕を切り刻んだ事件の目撃者がひとりもいないのだから。
のんちゃんは右手の人差し指を顎に当て、「んー……」と空を見る。
それはのんちゃんの癖でいつも見てきたはずなのに、どこか雰囲気が違うように感じた。
「でもやっぱり、のんは碧羽くんじゃないと思う」
この議論には、着地点がない。
それはこの場にいる誰もが思った。
「……わかった。コイツを職員室に連れていくのはやめる」
紘都がそう言った途端、のんちゃんに満面の笑みが戻った。
よかった、俺が知っているのんちゃんだ。
「ただし。お前の疑いが晴れたわけではないからな」
紘都は俺を睨んで釘を刺した。
「わかってるって」
「あと、身の潔白を証明したいなら、今後しばらく、単独行動禁止な」
「うげ」
俺は苦虫を潰したような顔をした。
しかし紘都は「はい」か「イエス」以外の返事を認めない目をしている。
「はいはい、わかりましたよ」
視界の端では、のんちゃんが安心したように笑っている。
なにも解決していないんだけどね。のんちゃんはそこのところ、ちゃんとわかっているのだろうか。
「ちょっと待ちなさい」
すると、生徒会長の声が緩んだ空気を元に戻した。
俺としては予想通りなのだけど、のんちゃんは驚いた顔をしている。
「彼が犯人じゃないなら、一体誰がこんな酷いことをしたって言うの?」
「それは……」
のんちゃんは視線を泳がせ、わかりやすく言葉に迷った。
「のん、わかんない……」
さっきまでのような正論で圧倒していたのんちゃんは、もういなかった。
まあ、のんちゃんはついさっき話を聞いて、俺が犯人とは思えなかっただけ。犯人を知っているわけではない。
つまり、のんちゃんがここまで申し訳なさそうにする必要はないのだが、のんちゃんは妙に責任を感じているように見えた。
「……そうね。ごめん、花音」
生徒会長ものんちゃんが知るはずないと気付いたのか、素直に謝った。のんちゃんは首を横に振る。
「じゃあ……彼のことは、紘都に任せるわ」
「わかりました。やっぱりコイツが犯人だったとわかったら、徹底的に潰しておきます」
紘都がとんでもなく恐ろしいことを言ったというのに、生徒会長は笑って「よろしくね」なんて言いながら、俺たちの横を通り過ぎて行った。結衣子先輩は小走りでその背中を追う。
そういえば、最後まで結衣子先輩とまともに目が合わなかったな。まあ、自分たちが作成したものを傷つけたであろう人物と目なんて合わせたくはないか。
「のんちゃん、助けてくれてありがとね。ヒーローみたいでかっこよかったよ」
すると、のんちゃんは「へへ」と笑ってみせた。褒め言葉を謙遜せずに受け取る辺り、やっぱりいつもののんちゃんだ。
まあでも、本当に惚れ直すレベルでかっこよかったし、いいか。
「で、のんはここになにしに来たんだ」
紘都の声のトーンは一貫して低かった。
のんちゃんには優しさを見せてもいいだろうに。
「そうだった! もうすぐ、ヒロくんの誕生日でしょ? だから、一緒にプレゼント探そうと思って」
「俺も連れていかれるのかよ」
冷たい奴め、と思ったそばから、紘都は鼻で笑った。なんだ、笑えるじゃないか。
いや、待てよ?
「のんちゃんの誕生日って、五月くらいじゃなかったっけ」
「そうだよ?」
のんちゃんはきょとんとした表情で俺を見るが、俺は俺でのんちゃんが言ったことが理解できず、鏡写しのように首を傾げた。
いや、双子なら誕生日は同じだろ。
「俺ら、双子じゃないからな」
「え、そうなの!?」
俺が驚きのままに声を上げたのに対して、ふたりは「知らなかったの?」とでも言いたげな目をしている。
逆に、なんで俺がそんなプライベートに踏み込んだことを知ってると思ってんの? 今さっきまで、のんちゃんが見事な観察力と推察力の持ち主だということにも気付けていなかったんだぞ? 知るわけないだろ。
ただ、なにか複雑な事情でもあるのかと思うと、どうして、なんて言えなかった。
「あ、でも、碧羽くん、独り行動禁止なんだよね? のんたちと一緒に帰る?」
のんちゃんの提案を聞いて、紘都がわかりやすく顔を顰めた。
そんなに嫌そうにされたら、期待に応えたくなるじゃん?
「最高のプレゼント選んでやんよ、お兄サマ」
俺が肩を組めば、紘都は迷惑そうに俺の腕から逃げていった。
ある意味素直な反応で、俺は自然と笑っていた。



