蒼が部活に顔を出したのはそれからさらに一週間が経った、月曜日のことだ。
「長らく欠席していてすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします!」
いつものようににへらと笑いながら元気よく部室に入ってきた蒼。朝比奈さんがほっと胸を撫で下ろすのを見て、僕も良かったと、ほっとした。
でも、安心したのも束の間、蒼は久しぶりのお稽古だからか、帛紗の畳み方を忘れていたり、お湯を手の甲に誤ってぶちまけたりして、ミスを連発していた。
「あっつー! す、すみません」
そばで指導していた久遠先生に向かって、蒼はへこへこと頭を下げる。お湯を手にかけてしまう惨事など、これまで見たことがない。朝比奈さんが心配そうに「香月!?」と声を上げる。久遠先生も初めての事態らしく、お稽古を中断して「水屋で冷やしてきなさい」と苦悶の表情を浮かべて蒼に指示を出していた。
「蒼、大丈夫……?」
彼らしからぬ慌てっぷりに、僕は水道で手を冷やしている蒼の背中に問いかける。
「大丈夫、大丈夫! 久しぶりで頭すっからかんになってたわ」
「それならいんだけどさ……休みの間に何かあったのかなって」
「何もないってー。宗貴、もしかして心配してくれてた?」
「……当たり前でしょ。朝比奈さんも心配してたよ」
「そっか。それは申し訳なかったなー。あとで謝っとく」
「いや、謝ることじゃないと思うけど——」
僕は蒼と会話をしながら、視界の端に蒼の鞄がちらりと映り込んだ。
鞄のチャックが開いていて、中から茶色い封筒のようなものが少しだけ飛び出している。
なんだろう——と気になっていると、蒼が「ハンカチとってくんない? 鞄の中にあるから」と言った。僕は、蒼の鞄からハンカチを取り出そうとしたが、思わず封筒に触れてしまう。
悪いとは思いつつ、あまりにも気になって茶封筒の中身を白い便箋を覗き見た。
そこには、達筆な文字で「蒼へ」と手紙が書かれていた。
『高校生になったら、お茶を習いなさい。お母さんも大好きだったの。明智高校には茶道部があるでしょ。きっと蒼も、茶道を好きになると思うわ』
「宗貴、ハンカチあった——」
蒼が蛇口を止めて、くるりとこちらに振り返った。
僕は咄嗟に手紙を隠そうとした。が、タイミングが遅く、封筒の中に便箋をしまうことすらできなかった。
「……読んだ?」
責められる、と思って僕はぎゅっと眉根を寄せながら頷く。
さすがの蒼も、勝手に自分宛の手紙を読まれて怒らないなんてことはないだろう。僕は「ごめん」と先に謝ろうとした。でも蒼は僕が謝罪の言葉を口にする前に、へらりと笑って「おかしいだろ?」と口を開く。
「自分の趣味を子どもに押し付けるなんてさ。自分が好きだからって子どもも好きになるとか限らないのにな。でもまあ、俺も母親の言う通りに茶道を好きになってんだから、結局間違っちゃいないんだけどね」
ははは、と心底おかしそうに、いや自分を嘲るようにして話し出した。僕は、どうして蒼のお母さんが、直接ではなくこんなふうに手紙で「お茶を習いなさい」と蒼に伝えているのか気になっていた。だけど、聞けなかった。今の蒼からは、何も聞かないでほしいと言われているようで、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「“知り合いで茶道をやってる人”ってお母さんだったんだ」
「……そうだな」
蒼がなぜ茶道部に入ったのか。その理由を聞いたときに、蒼はそう答えた。どうして母親のことを“知り合い”だなんて表現したのか分からない。蒼の心の深淵は、僕が思っているよりもずっと深いのかもしれな。普段は明るくてひょうきん者の彼の知らない一面を知って、僕はなんとも言えない気持ちになるのだった。
「長らく欠席していてすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします!」
いつものようににへらと笑いながら元気よく部室に入ってきた蒼。朝比奈さんがほっと胸を撫で下ろすのを見て、僕も良かったと、ほっとした。
でも、安心したのも束の間、蒼は久しぶりのお稽古だからか、帛紗の畳み方を忘れていたり、お湯を手の甲に誤ってぶちまけたりして、ミスを連発していた。
「あっつー! す、すみません」
そばで指導していた久遠先生に向かって、蒼はへこへこと頭を下げる。お湯を手にかけてしまう惨事など、これまで見たことがない。朝比奈さんが心配そうに「香月!?」と声を上げる。久遠先生も初めての事態らしく、お稽古を中断して「水屋で冷やしてきなさい」と苦悶の表情を浮かべて蒼に指示を出していた。
「蒼、大丈夫……?」
彼らしからぬ慌てっぷりに、僕は水道で手を冷やしている蒼の背中に問いかける。
「大丈夫、大丈夫! 久しぶりで頭すっからかんになってたわ」
「それならいんだけどさ……休みの間に何かあったのかなって」
「何もないってー。宗貴、もしかして心配してくれてた?」
「……当たり前でしょ。朝比奈さんも心配してたよ」
「そっか。それは申し訳なかったなー。あとで謝っとく」
「いや、謝ることじゃないと思うけど——」
僕は蒼と会話をしながら、視界の端に蒼の鞄がちらりと映り込んだ。
鞄のチャックが開いていて、中から茶色い封筒のようなものが少しだけ飛び出している。
なんだろう——と気になっていると、蒼が「ハンカチとってくんない? 鞄の中にあるから」と言った。僕は、蒼の鞄からハンカチを取り出そうとしたが、思わず封筒に触れてしまう。
悪いとは思いつつ、あまりにも気になって茶封筒の中身を白い便箋を覗き見た。
そこには、達筆な文字で「蒼へ」と手紙が書かれていた。
『高校生になったら、お茶を習いなさい。お母さんも大好きだったの。明智高校には茶道部があるでしょ。きっと蒼も、茶道を好きになると思うわ』
「宗貴、ハンカチあった——」
蒼が蛇口を止めて、くるりとこちらに振り返った。
僕は咄嗟に手紙を隠そうとした。が、タイミングが遅く、封筒の中に便箋をしまうことすらできなかった。
「……読んだ?」
責められる、と思って僕はぎゅっと眉根を寄せながら頷く。
さすがの蒼も、勝手に自分宛の手紙を読まれて怒らないなんてことはないだろう。僕は「ごめん」と先に謝ろうとした。でも蒼は僕が謝罪の言葉を口にする前に、へらりと笑って「おかしいだろ?」と口を開く。
「自分の趣味を子どもに押し付けるなんてさ。自分が好きだからって子どもも好きになるとか限らないのにな。でもまあ、俺も母親の言う通りに茶道を好きになってんだから、結局間違っちゃいないんだけどね」
ははは、と心底おかしそうに、いや自分を嘲るようにして話し出した。僕は、どうして蒼のお母さんが、直接ではなくこんなふうに手紙で「お茶を習いなさい」と蒼に伝えているのか気になっていた。だけど、聞けなかった。今の蒼からは、何も聞かないでほしいと言われているようで、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「“知り合いで茶道をやってる人”ってお母さんだったんだ」
「……そうだな」
蒼がなぜ茶道部に入ったのか。その理由を聞いたときに、蒼はそう答えた。どうして母親のことを“知り合い”だなんて表現したのか分からない。蒼の心の深淵は、僕が思っているよりもずっと深いのかもしれな。普段は明るくてひょうきん者の彼の知らない一面を知って、僕はなんとも言えない気持ちになるのだった。



