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「ちょっと香月くん、痛いって」

 その日の放課後、香月蒼の有無を言わさぬ勢いによって、僕は三階にある茶道部室の前にやってきていた。香月くんが僕の腕をがっしり掴んで離さないから、仕方なく。

 廊下ですれ違うクラスメイトたちに、「なんで香月が“歩くお墓”と一緒なの?」「あの二人って仲良かったっけ」と訝しげに僕らを見つめていた。そんなみんなの声が聞こえているのかいないのか、香月くんは特に何も答えることなく、ずんずん茶道部室へと進んでいった。

 茶道部の部室は、窓に毛筆で「表千家茶道部」と書かれた半紙が貼り付けられていた。その半紙がなければ、ここが何の部屋なのか分からない。
 茶道部の部室は廊下の一番端っこに位置していて、隣の教室は美術室だ。
 入学したてなので、茶道部の部室がこんなところにあること自体、知らなかった。

 香月くんが「ここだよ」と部室の扉を指差した途端、横開きの扉がガラガラと開かれて、中から女子の先輩らしき二人が出てきた。

「あれ〜何か用?」

 GWも明けた今日、一年生が見学に来るなんて思ってもいないのか、先輩たちは物珍しそうに僕と香月くんを見つめた。

「はい! 俺たち一年生なんですけど、茶道部に入部したくて見学に来ました!」

 元気よく答える子犬のような香月くんの言葉に、先輩たちは「えっ」と嬉しそうに驚き、僕は「は?」と戦慄が駆け抜けた。

「ちょ、ちょっと香月くん。いきなり入部したいってどういう……」

 動揺しまくりな僕は、掠れた声で香月くんの腕をつつきながら聞く。
 入部なんて、いきなりすぎるだろ。
 確かに「茶道部に入らない?」と誘われはしたが、僕は一度も了承していない。
 というかそもそも部活動自体、入るつもりなんて毛頭ないのに。

 香月くんはそんな僕の心中なんて知ったこっちゃないという素ぶりで、きらきらと目を輝かせて先輩たちを見返した。そのあまりのまぶしさに、先輩たちも「おおお」と歓喜の声を上げる。

「新入生が二人も……! しかも男子! ぜひ、ぜひ上がって!」

「ありがとうございますー!」

 僕が口を挟む隙なんてどこにもなく、香月くんの勢いと先輩たちのノリによって、こうしてめでたく僕らは茶道部を見学することになった。

 まったく、何が起こっているんだろう。
 自分でも、どうして放課後に茶道部室に来ているのか分からない。今日は学校が終わったら早めに帰宅して、読みかけのミステリー小説の続きを読もうと思っていたのに。気になる謎がまだまだいっぱいあるのだ。

 すぐに帰りたい衝動に駆られながらも、せっかく歓迎してくれた先輩たちの厚意を無碍にすることもできず、部室に上がり込む。
 中は日本家屋の玄関のようになっており、靴を脱いで上がらなければいけなかった。ちなみに明智高校は土足なので、教室や廊下で靴を脱ぐことはない。
 
「失礼します」
 
 犬系男子もここは礼儀正しく挨拶をして、中へと入っていく。
 僕は、香月くんが適当に脱ぎちらかした靴と自分の靴をきっちりそろえてから上がらせてもらった。

「いらっしゃーい、一年生くんたち」

 先ほどの先輩たちが、玄関から入って左にある四畳ほどの和室へと僕らを案内した。
 茶道部の部室は特殊な造りをしており、この和室と、奥の和室が主な活動スペースらしい。明智高校の中に和室があるなんて思ってもいなくて、ちょっとばかり驚く。
 案内された部屋にはほんのりと抹茶の香りが漂っていて、妙な落ち着きを覚えた。
 この感じ……寺と同じだな。
 そう。お寺育ちの僕の身体に、抹茶の匂いがすーっと染み入るような心地がしたのだ。
 お寺で線香の匂いを嗅いでいるときもそう。みんなは僕のことを“歩くお墓”だと馬鹿にするけれど、僕にとって線香の香りは精神安定剤のようなものだ。
 身体によく馴染むし、ずっとこの香りの中で身を沈めていたいと思う。

 学校では物珍しい光景に、香月くんは「おおー」と興味深そうに部屋を見回していた。
 どうして彼が茶道部に入りたいと思っているのか疑問だが、今はそれ以上に、この空間と茶道部という部活にちょっとだけ興味が湧いている自分に驚いていた。

「この部屋は水屋(みずや)っていうの。お茶室に付属する台所のようなものね。隣の部屋が、お茶室。そこで私たち部員がお点前(てまえ)のお稽古をするの。一人しかお稽古できないから、他の部員たちはお客さん役ね」

 水屋だのお点前だの、聞いたことのない言葉が先輩の口から二つも出てきて面食らう。

「へえ、じゃあお客さん役になったらお菓子が食べられるってことですか!?」

「ふふ、きみ、鋭いわね。もちろん、お客さん役の人はお茶菓子を食べられるよ」

「ひゃっほい!」

 香月くんの濁りのない喜びの声が静かな室内に響き渡った。