「遅くなってすみません!」
部室にたどり着いた僕たちは、二人揃って部員たちにガバッと頭を下げる。ちょうど、お席が終わった直後の十分休憩中だった。バタバタと次のお茶会の準備をしている先輩たちを尻目に、朝比奈さんが「和泉、香月」と僕たちを見て目を丸くした。
「良かった……もう帰ってこないかと思ってた」
「心配かけてごめん。この通り、蒼を連れ戻したから」
僕が朝比奈さんにそう言うと、彼女はぽっと頬を赤く染めた。
「べ、べつに待ってたわけじゃないし!」
ぷいっと顔を横にそらす彼女を見て、他の一年生たちがみんなくすくすと笑っている。
「素直じゃないな〜芽里は」
「二人が帰ってきて嬉しいって言えばいいのに」
「特に“香月が帰ってきて”、でしょ」
「ちょ、それを今言うな!」
朝比奈さんが、からかう稲葉さんの口を塞ぐ。久遠先生が騒動を聞きつけたのか、僕たちの前に姿を現した。
「久遠先生、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
蒼が先生に向かって深く頭を下げる。久遠先生はそんな蒼を一瞥したあと、「すぐに準備しなさい」と指示を出した。
「次のお席、香月くんも和泉くんも出なさい」
「え、でも……」
僕はたった今帰ってきたばかりで迷惑じゃないだろうかと周りを見回す。だが、先輩たちが「いいよー」と僕たちの背中を押してくれた。
「これからの茶道部をつくっていくのはあなたたちでしょう? さあ、早く」
僕は蒼と顔を見合わせて頷きあう。
これからここで、茶の道を極めていくのは僕たちだ。
久遠先生に言われた通り、次の茶席では蒼と共に給仕役に励んだ。不思議と、午前中よりも落ち着いて接客することができて、やっぱり僕には蒼が必要なのだと思い知った。
「ありがとう〜お茶もお菓子もおいしかったわ」
お客さんが満足そうに笑いながら茶室を出ていくのを、僕たちは温かい気持ちで見送った。
「こちらこそ、来てくださってありがとうございました。これからも明智高校茶道部をよろしくお願いします!」
蒼の元気の良いお見送りも評判で、お客さんたちは清々しい表情をして去っていった。
「久遠先生」
文化祭一日目のお茶会がすべて終わったあと、部員たちが片付けに励む中、僕は久遠先生に声をかける。
久遠先生は芳名帳を見ながら、今日来てくれたお客さんの数を数えているようだった。
「なんでしょう、和泉くん」
僕は、水屋で先生の前に正座をし、緊張しながら決定的な一言を放った。
「久遠先生は、僕のおばあちゃんですよね」
静寂が水屋の中を包み込む。茶室を掃除している一年生や二年生たちには僕たちの会話は聞こえていないだろう。三年生は他の教室で着物から制服へと着替えている最中だ。
僕は、久遠先生とたった二人きりの静かな時の中で一滴の水が落ちるような音を聞いた。
「そうですね。気づいていましたか」
やっぱり、そうだったんだ。
先生も僕が自分の孫であることにやっぱり気づいていた。そうでなければ、僕を寺の息子だなんて言い当てらなかっただろう。
「はい。初日に、聞いたことがある名前だと思って……。昔一度会っていますよね。僕は小さかったからあまり覚えてないんですけど」
「そうですね。かなり昔のことですね。あなたのお母さんが、あなたをうちに連れてきたんです」
その時のことを、久遠先輩も覚えていたのか、昔を懐かしむように語ってくれた。
「あなたはお母さんの影に隠れてほとんど会話らしい会話はできませんでしたけどね。可愛い初孫だから、忘れるはずがありませんよ」
可愛い初孫——久遠先生が僕のことをそんなふうに思ってくれていると知って、胸がつんとした。
「久遠先生……は、どうして僕に他人のように接していたんですか」
僕は、ずっと気になっていたことを久遠先生に聞いた。
「あなたのお母さんが嫁ぎ先の寺から逃げ出したと聞いたとき……私は自分のせいだと思ったんですよ」
「久遠先生のせい……?」
「ええ。もともと私の家は代々茶道を重んじる家でした。私はあの子を厳しく育てすぎて、十八歳の時にあの子が我が家から出て行ったんです。それからあの子には逃げ癖のようなものがついてしまったんでしょう。嫌なことがあるとすぐに逃げてしまう癖です」
「逃げ癖……」
もしかして母さんは、父さんのお寺の生活が息苦しかったんだろうか。だから、久遠先生の言う通り、お寺からも逃げ出した——。
「だからあなたが部室に現れたとき、身内だからと贔屓するのはやめようと思いました。みんなと同じように、対等に接することで、しっかりと茶の道に向き合える子にしようと」
先生の想いがよやく分かって、僕は胸に痛みを覚える。
久遠先生が、そんな葛藤を抱えながら僕と接してくれていたなんて。と同時に、母が感じていた苦しみにも、少しだけ理解ができたような気がした。
「宗貴、あなたの母親はあなたを捨てたんじゃない。夫婦で喧嘩ばかりして、このままではお前によくない影響を与えると心配して、家を出ていったんだ。ちょっと休憩をしているだけだ。心が落ち着いて静心を手に入れたらまた絶対、お前に会いにくる」
久遠先生の——祖母の言葉は、幼い頃からぽっかりと空いていた僕の心の隙間を、温かい水で満たしてくれたようだった。
「茶道を極めて空っぽになったきみの空っぽの心の器は、大事な人と、大切なものを分け合える器です」
「大事な人と、大切なものを分け合える……」
「そうです。きみはいつも、自分と友人の靴をきれいに並べてから部屋に入るでしょう? 宗貴の心は空っぽで、美しい。大切な人も、大事にしたい心も、手を離したらだめですよ」
祖母が優しげに微笑む顔を正面から見つめていた僕は、ゆっくりと自然に頷いていた。
茶室のほうから「宗貴〜」と僕を呼ぶ声が聞こえる。子犬ように朗らかで明るくて、僕をいつだって明るい世界へ連れ出してくれる彼の。
「お菓子が余ってるから、じゃんけんん大会だぞー!」
「今いく!」
僕は祖母の前から立ち上がり、みんなのいる茶室に向かう。
窓から差し込む夕暮れ時の光が、じゃんけんのために輪になった僕たちの中心を、明るく照らしていた。
<了>
部室にたどり着いた僕たちは、二人揃って部員たちにガバッと頭を下げる。ちょうど、お席が終わった直後の十分休憩中だった。バタバタと次のお茶会の準備をしている先輩たちを尻目に、朝比奈さんが「和泉、香月」と僕たちを見て目を丸くした。
「良かった……もう帰ってこないかと思ってた」
「心配かけてごめん。この通り、蒼を連れ戻したから」
僕が朝比奈さんにそう言うと、彼女はぽっと頬を赤く染めた。
「べ、べつに待ってたわけじゃないし!」
ぷいっと顔を横にそらす彼女を見て、他の一年生たちがみんなくすくすと笑っている。
「素直じゃないな〜芽里は」
「二人が帰ってきて嬉しいって言えばいいのに」
「特に“香月が帰ってきて”、でしょ」
「ちょ、それを今言うな!」
朝比奈さんが、からかう稲葉さんの口を塞ぐ。久遠先生が騒動を聞きつけたのか、僕たちの前に姿を現した。
「久遠先生、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
蒼が先生に向かって深く頭を下げる。久遠先生はそんな蒼を一瞥したあと、「すぐに準備しなさい」と指示を出した。
「次のお席、香月くんも和泉くんも出なさい」
「え、でも……」
僕はたった今帰ってきたばかりで迷惑じゃないだろうかと周りを見回す。だが、先輩たちが「いいよー」と僕たちの背中を押してくれた。
「これからの茶道部をつくっていくのはあなたたちでしょう? さあ、早く」
僕は蒼と顔を見合わせて頷きあう。
これからここで、茶の道を極めていくのは僕たちだ。
久遠先生に言われた通り、次の茶席では蒼と共に給仕役に励んだ。不思議と、午前中よりも落ち着いて接客することができて、やっぱり僕には蒼が必要なのだと思い知った。
「ありがとう〜お茶もお菓子もおいしかったわ」
お客さんが満足そうに笑いながら茶室を出ていくのを、僕たちは温かい気持ちで見送った。
「こちらこそ、来てくださってありがとうございました。これからも明智高校茶道部をよろしくお願いします!」
蒼の元気の良いお見送りも評判で、お客さんたちは清々しい表情をして去っていった。
「久遠先生」
文化祭一日目のお茶会がすべて終わったあと、部員たちが片付けに励む中、僕は久遠先生に声をかける。
久遠先生は芳名帳を見ながら、今日来てくれたお客さんの数を数えているようだった。
「なんでしょう、和泉くん」
僕は、水屋で先生の前に正座をし、緊張しながら決定的な一言を放った。
「久遠先生は、僕のおばあちゃんですよね」
静寂が水屋の中を包み込む。茶室を掃除している一年生や二年生たちには僕たちの会話は聞こえていないだろう。三年生は他の教室で着物から制服へと着替えている最中だ。
僕は、久遠先生とたった二人きりの静かな時の中で一滴の水が落ちるような音を聞いた。
「そうですね。気づいていましたか」
やっぱり、そうだったんだ。
先生も僕が自分の孫であることにやっぱり気づいていた。そうでなければ、僕を寺の息子だなんて言い当てらなかっただろう。
「はい。初日に、聞いたことがある名前だと思って……。昔一度会っていますよね。僕は小さかったからあまり覚えてないんですけど」
「そうですね。かなり昔のことですね。あなたのお母さんが、あなたをうちに連れてきたんです」
その時のことを、久遠先輩も覚えていたのか、昔を懐かしむように語ってくれた。
「あなたはお母さんの影に隠れてほとんど会話らしい会話はできませんでしたけどね。可愛い初孫だから、忘れるはずがありませんよ」
可愛い初孫——久遠先生が僕のことをそんなふうに思ってくれていると知って、胸がつんとした。
「久遠先生……は、どうして僕に他人のように接していたんですか」
僕は、ずっと気になっていたことを久遠先生に聞いた。
「あなたのお母さんが嫁ぎ先の寺から逃げ出したと聞いたとき……私は自分のせいだと思ったんですよ」
「久遠先生のせい……?」
「ええ。もともと私の家は代々茶道を重んじる家でした。私はあの子を厳しく育てすぎて、十八歳の時にあの子が我が家から出て行ったんです。それからあの子には逃げ癖のようなものがついてしまったんでしょう。嫌なことがあるとすぐに逃げてしまう癖です」
「逃げ癖……」
もしかして母さんは、父さんのお寺の生活が息苦しかったんだろうか。だから、久遠先生の言う通り、お寺からも逃げ出した——。
「だからあなたが部室に現れたとき、身内だからと贔屓するのはやめようと思いました。みんなと同じように、対等に接することで、しっかりと茶の道に向き合える子にしようと」
先生の想いがよやく分かって、僕は胸に痛みを覚える。
久遠先生が、そんな葛藤を抱えながら僕と接してくれていたなんて。と同時に、母が感じていた苦しみにも、少しだけ理解ができたような気がした。
「宗貴、あなたの母親はあなたを捨てたんじゃない。夫婦で喧嘩ばかりして、このままではお前によくない影響を与えると心配して、家を出ていったんだ。ちょっと休憩をしているだけだ。心が落ち着いて静心を手に入れたらまた絶対、お前に会いにくる」
久遠先生の——祖母の言葉は、幼い頃からぽっかりと空いていた僕の心の隙間を、温かい水で満たしてくれたようだった。
「茶道を極めて空っぽになったきみの空っぽの心の器は、大事な人と、大切なものを分け合える器です」
「大事な人と、大切なものを分け合える……」
「そうです。きみはいつも、自分と友人の靴をきれいに並べてから部屋に入るでしょう? 宗貴の心は空っぽで、美しい。大切な人も、大事にしたい心も、手を離したらだめですよ」
祖母が優しげに微笑む顔を正面から見つめていた僕は、ゆっくりと自然に頷いていた。
茶室のほうから「宗貴〜」と僕を呼ぶ声が聞こえる。子犬ように朗らかで明るくて、僕をいつだって明るい世界へ連れ出してくれる彼の。
「お菓子が余ってるから、じゃんけんん大会だぞー!」
「今いく!」
僕は祖母の前から立ち上がり、みんなのいる茶室に向かう。
窓から差し込む夕暮れ時の光が、じゃんけんのために輪になった僕たちの中心を、明るく照らしていた。
<了>



